* お知らせ と お願い *
あるとき、こんな言葉を聞いて、びっくりしたんです。
フィリピン娘なら、60の日本人でも、20歳の結婚相手が探せるよ。
これには、いろいろな反応があるでしょう。
ははん、やっぱり金で女を買おう、という話だな、というのが、もっとも普通の感覚でしょうか。
フィリビン・パブに通い、フィリピーナにぞっこんいかれた経験のある日本人なら、
そうだろうな、
と、簡単に了解される話、でしょうか。
僕が、この話を聞いたとき、僕の頭にあったのは、
「60歳は、人生百年のハーフタイムだ」
という日野原重明さんの言葉です。
新しい生き方の始まりの時。
60歳を、人生前期の大人になった20歳と同じスタンスでとらえれば、90歳まで生きる
として(日野原さんは、100歳までいきる、としているのですが。。。氏は現在96歳、
です。)、30年間の大人の時間の開始、です。
20歳から50歳まで、の時間を振り返れば、30年間で、なんと多くのことが達成できることでしょうか。
そんな始まりの時を、たまたま独身で迎えることで巡り合わせたら、もう一度、結婚し、
生活を創造する、ということを考えて、当然だと思うのです。
インターネットで、国際結婚をひくと、日本女性との結婚がなかなか実を結ばない
男性対象に、中国やアジアの女性とのカップリングをあっせんする、サイトが出てきます。
詳しくは書きませんが、なんとなく、うさんくさいし、お金が半端じゃない。
日本の、日本人カップルのための結婚相談所、よりはるかにお金がかかる。
一方で、僕自身、ロングステイに興味をもっているので、そういうセミナーや、インターネット
情報をみると、単身ロングステイヤーが現地女性と結婚する、あるいは恋人関係を
もつ、ということが、だんだんはでに、言われるようになってきている。
もっとも、多くの場合、現地の風俗で出会った相手か、山岳地方かどこかへんぴな
村からあっせんされて、見合いで決めた相手か、そういうのが多いようなのですが。
しかし、単身者が、どんどん相手を見つけて、自由な(一見、、)楽しみを実行して
居る様子なのです。
それを、日本人が、やっかみ半分、いやいや、まるっきりの、やっかみ全部で、非難している
発言がめだつので、ほんとうなんでしょう。
客観的に考えて、冷静に言って、悪いことではない。
ただし、風俗でであった相手でもなく、無知を承知でお金のための見合いで決めた
相手でもなければ、という「かっこ」条件付きで。。。
前者は自由恋愛だから、なんの非難する点はないのですが、やはり安定した結婚
生活を求めるには、破綻の確率が高くなるでしょうし、
後者は、破綻の危険は同様で、その上、人道上、あるいは、性格上、受付にくい
考えが基盤にあります(僕の考えからすると、、、という意味です。)
単身ロングステイでアジアの国に行った人間に、そんな出会いができるのだろうか。
現地の言葉も、できない。
若者のように、学校へもぐりこむこともできない。(ただし、人によって可能性はある。)
職場を持っているわけでもない。
ないない、づくし。。。
しかし、インターネットの出会いサイトが、あるのではないか?
出会い系サイト、と言えば、日本でも風俗代理店のようなサイトから、まじめな結婚
をめざすサイトまで、手広くある。
アジアでも、同じ、なのではないだろうか。
ということで、いくつかのサイトにメンバー登録して、体験して、研究してみました。
これまでの結論は、タイのタイ・ラブ・リンクスが、一番目的をかなえてくれそうな
サイトである、というものです。
さて、これまで、どちらかというと、男性の側にたっての見方で書いている、と読まれていると
思います。
タイで、ロングステイで、タイ人を恋人か結婚相手として・・・・。
ロングスティの話や、セミナーなども、女性単身で、というあり方を対象にしてはいないようです。
しかし、僕の発想は、男も、女も、同じようなことを目指し、得られるのではないか、というものです。
シニアな女性も、単身で、友達複数で、ロングステイするようになるのではないか。
独身で、経済的ゆとりも、ある程度ある。
身体が元気なうちは、日本でじめじめしていたくない。
だけど、あまりお金がかかりすぎるのは、困る。
アジア人であることに、引け目を感ずることなく、暮らしたい。
趣味や、あたらしい知識を得ることに、時間を使いたい。
そして、家事や食事などは、ごく簡便にして、時にリッチな外食を楽しむ。
最後に、恋人できれば、最高。
日本人は、女も男も、若くみられるから、絶対お得!
女性の単身シニア、ロングスティ、タイでなら、十分あり得る、と感じます。
なぜタイで(フィリピンでも、マレーシアでも、ベトナムでもなく)、
どのようにタイ・ラブ・リンクスが良い、と考えるのか。
それは、次回の書き込み、といたします。

フィリピン娘なら、60の日本人でも、20歳の結婚相手が探せるよ。
これには、いろいろな反応があるでしょう。
ははん、やっぱり金で女を買おう、という話だな、というのが、もっとも普通の感覚でしょうか。
フィリビン・パブに通い、フィリピーナにぞっこんいかれた経験のある日本人なら、
そうだろうな、
と、簡単に了解される話、でしょうか。
僕が、この話を聞いたとき、僕の頭にあったのは、
「60歳は、人生百年のハーフタイムだ」
という日野原重明さんの言葉です。
新しい生き方の始まりの時。
60歳を、人生前期の大人になった20歳と同じスタンスでとらえれば、90歳まで生きる
として(日野原さんは、100歳までいきる、としているのですが。。。氏は現在96歳、
です。)、30年間の大人の時間の開始、です。
20歳から50歳まで、の時間を振り返れば、30年間で、なんと多くのことが達成できることでしょうか。
そんな始まりの時を、たまたま独身で迎えることで巡り合わせたら、もう一度、結婚し、
生活を創造する、ということを考えて、当然だと思うのです。
インターネットで、国際結婚をひくと、日本女性との結婚がなかなか実を結ばない
男性対象に、中国やアジアの女性とのカップリングをあっせんする、サイトが出てきます。
詳しくは書きませんが、なんとなく、うさんくさいし、お金が半端じゃない。
日本の、日本人カップルのための結婚相談所、よりはるかにお金がかかる。
一方で、僕自身、ロングステイに興味をもっているので、そういうセミナーや、インターネット
情報をみると、単身ロングステイヤーが現地女性と結婚する、あるいは恋人関係を
もつ、ということが、だんだんはでに、言われるようになってきている。
もっとも、多くの場合、現地の風俗で出会った相手か、山岳地方かどこかへんぴな
村からあっせんされて、見合いで決めた相手か、そういうのが多いようなのですが。
しかし、単身者が、どんどん相手を見つけて、自由な(一見、、)楽しみを実行して
居る様子なのです。
それを、日本人が、やっかみ半分、いやいや、まるっきりの、やっかみ全部で、非難している
発言がめだつので、ほんとうなんでしょう。
客観的に考えて、冷静に言って、悪いことではない。
ただし、風俗でであった相手でもなく、無知を承知でお金のための見合いで決めた
相手でもなければ、という「かっこ」条件付きで。。。
前者は自由恋愛だから、なんの非難する点はないのですが、やはり安定した結婚
生活を求めるには、破綻の確率が高くなるでしょうし、
後者は、破綻の危険は同様で、その上、人道上、あるいは、性格上、受付にくい
考えが基盤にあります(僕の考えからすると、、、という意味です。)
単身ロングステイでアジアの国に行った人間に、そんな出会いができるのだろうか。
現地の言葉も、できない。
若者のように、学校へもぐりこむこともできない。(ただし、人によって可能性はある。)
職場を持っているわけでもない。
ないない、づくし。。。
しかし、インターネットの出会いサイトが、あるのではないか?
出会い系サイト、と言えば、日本でも風俗代理店のようなサイトから、まじめな結婚
をめざすサイトまで、手広くある。
アジアでも、同じ、なのではないだろうか。
ということで、いくつかのサイトにメンバー登録して、体験して、研究してみました。
これまでの結論は、タイのタイ・ラブ・リンクスが、一番目的をかなえてくれそうな
サイトである、というものです。
さて、これまで、どちらかというと、男性の側にたっての見方で書いている、と読まれていると
思います。
タイで、ロングステイで、タイ人を恋人か結婚相手として・・・・。
ロングスティの話や、セミナーなども、女性単身で、というあり方を対象にしてはいないようです。
しかし、僕の発想は、男も、女も、同じようなことを目指し、得られるのではないか、というものです。
シニアな女性も、単身で、友達複数で、ロングステイするようになるのではないか。
独身で、経済的ゆとりも、ある程度ある。
身体が元気なうちは、日本でじめじめしていたくない。
だけど、あまりお金がかかりすぎるのは、困る。
アジア人であることに、引け目を感ずることなく、暮らしたい。
趣味や、あたらしい知識を得ることに、時間を使いたい。
そして、家事や食事などは、ごく簡便にして、時にリッチな外食を楽しむ。
最後に、恋人できれば、最高。
日本人は、女も男も、若くみられるから、絶対お得!
女性の単身シニア、ロングスティ、タイでなら、十分あり得る、と感じます。
なぜタイで(フィリピンでも、マレーシアでも、ベトナムでもなく)、
どのようにタイ・ラブ・リンクスが良い、と考えるのか。
それは、次回の書き込み、といたします。
96歳にして、現役の医師で聖路加病院理事長は、
あのよど号ハイジャックで機内に4日間拘禁されて救われたとき、
59歳だった。
その日から、第二の人生が始まった、
いや生まれ変わった、と氏は言います。
そして、21世紀は、人生100年の時代。
これまでは、60歳は還暦、子供がえりの赤いチャンチャンコ。
これも新たなステージの始まり、という意味は持つけれど、
それは消極的で下降するイメージです。
第二の幼年時代、というなんとなく子バカにした、話だとは思いませんか。
現代のイメージは、
60歳で、また新たな人生の始まり、質の違った登り坂のスタート、
というものではないでしょうか。
氏は、60歳を、人生のハーフタイムと呼びます。
これから後半が始まるのです。
人生の午後、という言い方もあります。
いろいろに使われますが、そろそろ人生を収束しよう、のんびり、やすらかに、
ひとに迷惑かけないよう生きよう、というだけの人生の午後にありかたは、
今ふうではありません。
午前と午後、という時計をじっと見つめてください。
午前の12時間は、なんと短いことでしょう。
朝の6時まで(人によっては7時まで)寝て、意識的な行動がとれるのは、せいぜい6時間。
一方、午後の12時間は、なんと長いことでしょう。
10時に寝る人でさえ、10時間も意識的な行動ができるのです。
人によっては12時間。
6時間と12時間の差。
人生の前半は、肉体的精神的に大人になるまで、眠っているいるのと等しいのです、
そして自立した社会人になり、家庭をもち、子を育て、こういう見えざるノルマを、
人として果たすために、我々は悪戦苦闘して午前を過ごすのです。
これはこれとして、人のあるべき姿、なければいけない。
しかし、人生の午後になったら、そうした社会的ノルマは完了、
新たなスタートが出来るです。
人生の前半において、その数々の岐路において、果たさなかったこと、
生きなかった自分の過去があったら、今度は思いっきり、そのために
時間を使うことができるのです。
したくて出来なかったこと、
新たに始めたいこと、
自分自身こころから望むこと、
それが許されるのです。
そして、時間は10時間以上も、たっぷりあるのです。
いやいや、そういっても、もの覚えも悪く身体もうまく動かなくなって、、、
という人には、こう考えるのだそうです。
それは、登り坂をのぼっているから、苦しいんだ、と。
「後半の人生こそは、
あなた方が自由にデザインできる希望のある人生である
ことに気付いていただきたいのです。
自己を開発する後半のあなたの人生の主体は、あなた自身です。
あなたが勇気と希望をもって生きられる第二の人生の旅路は、
成熟への上り坂であることを期待して欲しいのです」
人生、命の時計が止まるまで、登り坂である。
その意気込みを忘れない。
あのよど号ハイジャックで機内に4日間拘禁されて救われたとき、
59歳だった。
その日から、第二の人生が始まった、
いや生まれ変わった、と氏は言います。
そして、21世紀は、人生100年の時代。
これまでは、60歳は還暦、子供がえりの赤いチャンチャンコ。
これも新たなステージの始まり、という意味は持つけれど、
それは消極的で下降するイメージです。
第二の幼年時代、というなんとなく子バカにした、話だとは思いませんか。
現代のイメージは、
60歳で、また新たな人生の始まり、質の違った登り坂のスタート、
というものではないでしょうか。
氏は、60歳を、人生のハーフタイムと呼びます。
これから後半が始まるのです。
人生の午後、という言い方もあります。
いろいろに使われますが、そろそろ人生を収束しよう、のんびり、やすらかに、
ひとに迷惑かけないよう生きよう、というだけの人生の午後にありかたは、
今ふうではありません。
午前と午後、という時計をじっと見つめてください。
午前の12時間は、なんと短いことでしょう。
朝の6時まで(人によっては7時まで)寝て、意識的な行動がとれるのは、せいぜい6時間。
一方、午後の12時間は、なんと長いことでしょう。
10時に寝る人でさえ、10時間も意識的な行動ができるのです。
人によっては12時間。
6時間と12時間の差。
人生の前半は、肉体的精神的に大人になるまで、眠っているいるのと等しいのです、
そして自立した社会人になり、家庭をもち、子を育て、こういう見えざるノルマを、
人として果たすために、我々は悪戦苦闘して午前を過ごすのです。
これはこれとして、人のあるべき姿、なければいけない。
しかし、人生の午後になったら、そうした社会的ノルマは完了、
新たなスタートが出来るです。
人生の前半において、その数々の岐路において、果たさなかったこと、
生きなかった自分の過去があったら、今度は思いっきり、そのために
時間を使うことができるのです。
したくて出来なかったこと、
新たに始めたいこと、
自分自身こころから望むこと、
それが許されるのです。
そして、時間は10時間以上も、たっぷりあるのです。
いやいや、そういっても、もの覚えも悪く身体もうまく動かなくなって、、、
という人には、こう考えるのだそうです。
それは、登り坂をのぼっているから、苦しいんだ、と。
「後半の人生こそは、
あなた方が自由にデザインできる希望のある人生である
ことに気付いていただきたいのです。
自己を開発する後半のあなたの人生の主体は、あなた自身です。
あなたが勇気と希望をもって生きられる第二の人生の旅路は、
成熟への上り坂であることを期待して欲しいのです」
人生、命の時計が止まるまで、登り坂である。
その意気込みを忘れない。
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朝目覚めると、空がどんよりと曇っている。
まずい!
昨日までの二日間、夏日を思わせる天気だったのに。
あわてて、天気予報をみる。
なんだって〜今日も、明日も、しっかり80%雨の予報が出ている。
5月11日〜12日の二日間、東京代々木公園で、2008年タイ・フェスティバルがある。
僕にとって、初めてだが、一週間前に、インターネットで知って、行ってみようと思っていた。
もう一度、インターネットで確認すると、雨天決行、とある。
タイも今は、雨季なのだから、雨が降ってもいいさ、という気になった。
早めに、千葉の家を出て、山の手線に乗るころまで、誰も濡れた傘をもっていない。
結婚式に出席する、20歳代の女性二人が、着物姿で乗ってきた。
座っている僕の目の前に立ち、会話を続ける。
「バンコクから2時間くらい、、、南なの」
「それで、友達できた〜」
「それが、話をする人はいるんだけれど、友達をなるとね〜」
「ふ〜ん、そうか〜、日本でだって、そうかんたんに友達できないもんね」
なにやら、僕がタイ・フェスティバルに行くことに合わせたような、内容の話だ。
東京中の、人間が急にタイに興味をもったような。。。
原宿駅で降りると、もう雨だった。
代々木公園の方にむかって、歩いていくと、やはりタイ・フェスティバルに行くのであろう人たちが、ぞろぞろ歩いている。
会場まで、道に迷うことはなさそうだ。
天気には恵まれなかったのだが、大変盛況だった。
例年、30万人以上の来場者になる、そうだ。
まあ、レストランの多いこと・・・。
東京中心に日本で営業しているレストランが出店しているのだろう。
その数、50店舗ほど。
人気の店では、大変な、行列だ。
フェスティバル、ということで、お祭り気分で家族ぐるみ、やってくる人も多そうだ。
日本流にいうと、木下にゴザをしいて、飲んだり食べたりしている家族の面々。
小雨、なにするものぞ。
僕が何故、タイ・フェスティバルへ、って?
30歳以上シニアな人達にとっても、恋愛・結婚の対象として、タイ人はどうだ、
と、
真剣に考え始めているのです。
右上のタイ・ラブ・リンクは、タイの真面目なデート・サイト(出会いサイト)です。
これから、ブログで紹介していきます。
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こころは知・情・意からなり、行動をもたらします。
それでは、こころの中心、こころのエネルギーは何でしょう。
それは、情、ではないでしょうか。
感情が、行動をうながす、基準となります。
知が働かなくても人は行動します。
意のないところでも行動は起きます。
しかし、行動あるところ、必ず情は動いています。
この情は、また、やっかいなことに、一番干からび易いものではないでしょうか。
人は、初心を忘れやすいものです。
あの、うきうきした、新鮮な感情も、冷めてしまうのです。
こども心も、年齢とともに、失われていってしまいます。
美しいもの、善きものに触れて、すなおに感動することが、少なくなっていきます。
それは、こころのエネルギーが、減っていくことと同じではないでしょうか。
人は、情に、絶えず、水をやり、太陽の陽をあて、土を豊かに保たねばなりません。
ということで、「古今和歌集」です。
(たまたま、今勉強しているー日本の古典ーというテキストに、
「古今和歌集は、四季の歌が季節の推移を追って配列されているように、
巻11から巻15までの5巻をあてられれた 恋歌 も、恋の始まりから
終わりまでの種々の相をたどるように歌が並べられている、、、」
という文章にであって、いま一度、手に取ってみたのです。)
それぞれも巻から、1首。
恋歌1 469 :
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
よみ人しらず
(時鳥が鳴く五月に咲きほこるあやめ草、そのあやめではないが、
この世の筋道(あやめ)もわからなくなるような恋に、焦がれている私)
恋歌2 552 :
おもいつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
小野小町
(いちずに思いながら寝たので、あの方が夢にあらわれてくださった
のであろうか。もし夢とわかっていたなら、目を覚まさないでいたのに)
恋歌3 616 :
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ
業平朝臣
(あなたのことを思い、昨夜は起きているでもなし、寝るでもなし、
というありさまで夜を明かしましたが、今日も一日、春の長雨に
降りこめられて、もの思いに沈んだまま、暮らし、夜になりました)
恋歌4 729 :
色もなき 心を人に そめしより うつろはむとは 思ほえなくに
貫之
(本来何の色もないわたしの心を、あなた、という色で染めた時以来、
その色がさめようなどとは、思えないのだけれど・・・あなたの心変わり
さえなければ)
恋歌5 747 :
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
在原業平朝臣
(この月は、去年の月とちがうのだろうか。今年の春は、去年の春と
同じではないのだろうか。月も春もいっこうに変わりはないけれど、この邸は、
すっかり荒れ果ててしまっている。ただわたしだけが、もとのままで、
ここにやって来た)
和歌や、俳句、読むだけでなく、自分で作りたい。
それが、こころに(情)、水やりをし、たがやしつづけることに、つながる、思う。
それでは、こころの中心、こころのエネルギーは何でしょう。
それは、情、ではないでしょうか。
感情が、行動をうながす、基準となります。
知が働かなくても人は行動します。
意のないところでも行動は起きます。
しかし、行動あるところ、必ず情は動いています。
この情は、また、やっかいなことに、一番干からび易いものではないでしょうか。
人は、初心を忘れやすいものです。
あの、うきうきした、新鮮な感情も、冷めてしまうのです。
こども心も、年齢とともに、失われていってしまいます。
美しいもの、善きものに触れて、すなおに感動することが、少なくなっていきます。
それは、こころのエネルギーが、減っていくことと同じではないでしょうか。
人は、情に、絶えず、水をやり、太陽の陽をあて、土を豊かに保たねばなりません。
ということで、「古今和歌集」です。
(たまたま、今勉強しているー日本の古典ーというテキストに、
「古今和歌集は、四季の歌が季節の推移を追って配列されているように、
巻11から巻15までの5巻をあてられれた 恋歌 も、恋の始まりから
終わりまでの種々の相をたどるように歌が並べられている、、、」
という文章にであって、いま一度、手に取ってみたのです。)
それぞれも巻から、1首。
恋歌1 469 :
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
よみ人しらず
(時鳥が鳴く五月に咲きほこるあやめ草、そのあやめではないが、
この世の筋道(あやめ)もわからなくなるような恋に、焦がれている私)
恋歌2 552 :
おもいつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
小野小町
(いちずに思いながら寝たので、あの方が夢にあらわれてくださった
のであろうか。もし夢とわかっていたなら、目を覚まさないでいたのに)
恋歌3 616 :
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ
業平朝臣
(あなたのことを思い、昨夜は起きているでもなし、寝るでもなし、
というありさまで夜を明かしましたが、今日も一日、春の長雨に
降りこめられて、もの思いに沈んだまま、暮らし、夜になりました)
恋歌4 729 :
色もなき 心を人に そめしより うつろはむとは 思ほえなくに
貫之
(本来何の色もないわたしの心を、あなた、という色で染めた時以来、
その色がさめようなどとは、思えないのだけれど・・・あなたの心変わり
さえなければ)
恋歌5 747 :
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
在原業平朝臣
(この月は、去年の月とちがうのだろうか。今年の春は、去年の春と
同じではないのだろうか。月も春もいっこうに変わりはないけれど、この邸は、
すっかり荒れ果ててしまっている。ただわたしだけが、もとのままで、
ここにやって来た)
和歌や、俳句、読むだけでなく、自分で作りたい。
それが、こころに(情)、水やりをし、たがやしつづけることに、つながる、思う。
いまなお精力的な演出活動を続ける蜷川幸雄さん(72歳)も、
4,5年前から老いを実感し始めた、という。
しかし、
「演出家として、老いは経験するべきこと。無理に若返ろうとは思わない」。
それで落ち込んだりしないように、いろいろ工夫している。
物忘れに対しては、
「明日はこのCDを持って行く」などと枕もとにメモしたり、
出先から家の留守電に吹きこんでおいたりする、
という。
舞台照明が暗い、と感じることも増えた。
自分が感じる世界と、若い世代が感じる世代とのギャップに気づくと、
その間を調整する、
もう一人の自分が現れてきた。
こみ上げた怒りを抑える間、二人の自分が言い争う。
「年寄りのエキセントリックな癇癪だ」
「いや正当性がある」
怒らずに済んだら、
「人間が出来てきた」
「いや感性が鈍くなっただけ」
つまり、老いることによって、人生の時間を2倍に、濃密に生きていくようになった、
のではないだろうか。
老いることは、悪いことばかりでは、ない。
と、すこし納得させてくれる。
そして、いつまでも、第一線で、進歩しつづけることが、可能なのだ。
仕事が終わると、まっすぐ家に帰る。
本や新聞を読み、DVDを見て、シェークスピアを読み込む。
はは〜、いまでも、、、、たぶんいつまでも、シェークスピアを読み込み続けるのだろう。
演出家だから、シェークスピア。
稀代の演出家でも、70歳を越え、なお探究、しつづけるのだ。
そして、今が一番いい時期だ、と感じる。
という。
だから、昔より抱える仕事も、今が一番多い、
のだ。
若い才能に出会うと、
「絶対オレの方がいいぞって、認めさせたいんだ」
闘志も衰えること、無し。
(朝日新聞の「元気のひみつ」の記事から(2008年4月27日)
4,5年前から老いを実感し始めた、という。
しかし、
「演出家として、老いは経験するべきこと。無理に若返ろうとは思わない」。
それで落ち込んだりしないように、いろいろ工夫している。
物忘れに対しては、
「明日はこのCDを持って行く」などと枕もとにメモしたり、
出先から家の留守電に吹きこんでおいたりする、
という。
舞台照明が暗い、と感じることも増えた。
自分が感じる世界と、若い世代が感じる世代とのギャップに気づくと、
その間を調整する、
もう一人の自分が現れてきた。
こみ上げた怒りを抑える間、二人の自分が言い争う。
「年寄りのエキセントリックな癇癪だ」
「いや正当性がある」
怒らずに済んだら、
「人間が出来てきた」
「いや感性が鈍くなっただけ」
つまり、老いることによって、人生の時間を2倍に、濃密に生きていくようになった、
のではないだろうか。
老いることは、悪いことばかりでは、ない。
と、すこし納得させてくれる。
そして、いつまでも、第一線で、進歩しつづけることが、可能なのだ。
仕事が終わると、まっすぐ家に帰る。
本や新聞を読み、DVDを見て、シェークスピアを読み込む。
はは〜、いまでも、、、、たぶんいつまでも、シェークスピアを読み込み続けるのだろう。
演出家だから、シェークスピア。
稀代の演出家でも、70歳を越え、なお探究、しつづけるのだ。
そして、今が一番いい時期だ、と感じる。
という。
だから、昔より抱える仕事も、今が一番多い、
のだ。
若い才能に出会うと、
「絶対オレの方がいいぞって、認めさせたいんだ」
闘志も衰えること、無し。
(朝日新聞の「元気のひみつ」の記事から(2008年4月27日)






