きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 今日も元気だ、幸せだ!
テオとの結婚式をひかえて、ピアフは最後に、もう一度、自分を責めます。

「私たちが愛し合っていることは事実。
でも、私の命はたった一本の糸でつながっているだけのようなもの。
長い将来があり、しかも健康で丈夫なこの青年を自分にしばりつけておこうなんて、道をふみはずしたことになるのではないだろうか」

テオに、こう、言います。
「あなたを幸せにしてあげられる自信がないの。
わたしたちにとって、いいことは何もないのよ」

テオは私をさえぎると、私の両肩をつかんで、揺すぶりました。
「僕は君と結婚したいんだよ。
君に僕の名前を名のってほしいんだ。

僕を幸せにできないのが心配だというけど、ぼくはきみを失うことの方がもっと怖いんだ。
居マは病気のことなんて何も考えないでほしい。
まずきみ自身がちゃんと病気を治そうと決心することなんだ。

きみの病気はぼくが治してあげるよ。
妻が病気で苦しんでいるとき、そばにいて看病するのは夫の役目なんだ。

君の健康状態が良くないことぐらい、ぼくにだってわかっているよ。
僕が愛を打ち明けた時だって、きみは病気だったんだから。

みんなはきみを見捨ててしまった。
それまではいつもきみのそばにくっついていたくせに。
本当の友達のほかはね。
だからぼくは腹が立ってしょうがなかったんだ。

ぼくがきみを愛していることに気がついたのも、
きみを幸せにしてあげたいと思ったのも、
その時だったんだ。

きみはぼくの青春をむだにしたくないと言うけど、くよくよ考えることないじゃないか。
ぼくだって、今まで毎晩毎晩、夜通しで遊びまわってばかりいて、むだなことをしてきたんだ。

もう27歳になったんだし、そろそろちゃんとした生活をして、
ある人のために尽くしたいと思ったんだ。
わかってほしい、それが、きみのことなんだ」

Edith Piaf et Theo Sarapo - Interview - 1962(テオと一緒、ピアフの幸せな顔)
http://jp.youtube.com/watch?v=B8JiDBfS09c

Edith Piaf & Théo Sarapo - A quoi ça sert l'amour(二人のデュエット)
http://jp.youtube.com/watch?v=oxuPXAH6NsE

Edith Piaf (a Nimegue) - A Quoi Ça Sert L'Amour (10 / 13)(二人のデュエット)
http://jp.youtube.com/watch?v=MuJi9AQpB7Q&NR=1


年齢にかかわりのない愛、特に女性が主役の場合の例は、たくさん沢山あるのだろうけれど、
このピアフのラブ・ストーリーは素晴らしい、と思う。

ふと、藤間紫のことが頭をよぎりました。
1944年、21歳のときに、24歳年上の藤間勘十郎と結婚、1男1女の母。
1960年代、40歳になるころから、13歳年下の市川猿之助と生活し始める。
1985年、62歳で、勘十郎(86歳)と離婚。(勘十郎は1990年没)
2001年、78歳で、市川猿之助と正式に結婚。
これも、すごい愛の物語ですよね。

女性達よ、いつまでも、すばらしい、存在であれ。

  (わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝 晶文社 引用・加筆 )

1949年、マルセル・セルダンを航空機事故で亡くし、その死からは、立ち直ったものの、1960年交通事故の際に打ったモルヒネから、麻薬中毒を陥り、その禁断の苦しみを緩和しようとして飲むアルコールが、2重の中毒を引き起こし、ピアフは、舞台に立つことすらできない、状態になっていきます。

エディット、もう歌うのはやめなさい。自殺行為と同じだよ。

何度も医者にそう言われながら、無視します。

「生きていくために、うたうことが必要だった。
日々の糧を得るためであるよりも、歌えなくなってしまったら、生きていることが出来ない、のです。

歌は私にとって、自分自身であり、自分の肉体であり、血であり精神であり、心であり、魂なのです」

「中止されたフェスティバル・・・ピアフ舞台で倒れる・・・ピアフ過労で倒れる・・・ピアフ病気再発・・・危篤状態続く・・・ピアフ絶望か・・・ピアフ再度の輸血・・・それでもピアフ必死に歌い続ける・・・」

こんな状態のなかで、ピアフは沢山の幻滅や離別をくりかえし、歌い続け、人生の最終章を迎えます。

テオ・サラボーとの出会い。

テオ27歳、ピアフ47歳。

彼女は、スキャンダルの餌食になること、どんな非難や嘲笑や侮辱にも慣れていました。
肉体はぼろぼろで、顔と言えば実際の年齢よりもずっと老けこんでいます。
愚かで気狂いじみている、といわれることも平気です。

しかし、人生を歩み始めたばかりのこの青年に、私の残りの人生を分かち合うことを押しつける権利があるのだろうか、とピアフは悩みます。

「私が、男から男へ遍歴していたのは、ただひとつの理由からです。私はつねに同じものを求めつづけていたからです。それは、思いやりがあり、親切で、やさしく、そして誠実な男性です」

テオからの求婚に、生命のともしびすら消えかかっている彼女には、もっとも重大なことしか胸に響いてきません。
重大なことというのっは、愛し愛されること、幸せになり、満ち足りた気持ちになれることです。

「(承諾の)理由は簡単なことです。しかもとっても素晴らしい理由なのです。
テオが、私を愛していたからです。
私もテオを愛していたからです」

テオがピアフを、彼の両親への承諾をえるために、その家庭を訪問する場面は、泣けます。

ピアフは、彼の家族の一員として認められ、みんなから喜んで受け入れられることをねがっていました。
彼の父は結婚に対して厳格な考えをもつギリシャ人です。

家につくと、父、母、ふたりの妹が迎えます。
みんなぎこちなく、堅く、すぐには打ちとけません。
妹のキャテイが、ピアフにツイストが踊れるか、訊きます、踊れないとというと、教えてあげるわ、といってレコードかけて、踊りだします。。。

そして、テオは、両親をともなって庭に出ていって、話しを始める・・・。

そして3人は、またサロンに戻ってきます。

ランブカス氏は、黙ったまま、しばらくの間じっとピアフを見つめてから、話しだしました。

『「今、テオからあなたとの結婚に賛成して欲しいと言われたところなんです。
彼は感心な息子でしてね・・・、
もう分別のある年齢ですし、何をしようと彼には彼の自由があります。
あなたとの結婚問題も私が干渉すべき問題ではないと思っています。

それはそれとして、あなたにわかっていただきたいことがあります。

私はあなたを家族の一員としてお迎えすることを大変うれしく思っています」

私は必死になって泣き出しそうなになるのをこらえていました。

でも私より8か月年下のテオのママンから、

「エディット、これからは私のことをママンと呼んでね」
そう言われた時、もう我慢しきれませんでした。

私はどっと泣き出してしまったのです。

私の気持ちが落ち着いてから、みんなで楽しく食事をとりました。
彼らにとって、家族との生活は毎日のことなのです。
そのことが私にとってどんなに大きな感激だったか、彼らにわかってもらえたらと思います。

生まれて初めて、私は、父や母や妹たち、そして未来の夫に囲まれたのです。

Edith Piaf - mariage avec Theo Sarapo (1962) 結婚式
http://jp.youtube.com/watch?v=JSgeq4WDqVk&feature=related

Edith Piaf In Concert 1963 (VCDRip)
http://jp.youtube.com/watch?v=NvPGdfKJHX8&feature=related

(「わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝 晶文社」から抜粋・加筆)

結婚式では、いまでも歌われることがあるという、「愛の讃歌」という歌。

実は、元歌とは全然意味の違う、内容だってことは、多くの人が知っていることだろうか。
「エデット・ピアフ〜愛の讃歌〜」という映画もあったそうですから(僕は観ていない)、その歌の内容については知られているはずですね。

そもそも、日本で一番有名な「愛の讃歌」は、越路吹雪の歌で、歌詞は岩谷時子が書いています。
岩崎時子は、越路吹雪の歌を作るために、フランス語の歌詞をみないで(つまり、訳詞、ではな)作詞したのだそうです。

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
ただ二人だけで 生きていたいの
ただ命のかぎり あたしは愛したい
命のかぎり あなたを愛したい・・・

これは、越路吹雪にはぴったりの、太陽の下のひまわりのような、愛の歌、である。
ただ、愛したい、という能動的な言葉が多いように見えるが、それは表面的なだけであって、基本的には、この歌は、なまぬるい、愛の環境にひたりたい、という受け身の歌である。
あなたと暮らせるものなら、なんにもいらない、という無欲を謳う程度のもの。

愛のために、この身が汚れようが、朽ち果てようが、あなたが望むなら、何にでもなるわ、何でもやって見せるわ、という鬼気迫る、迫力はない。
そして、命果ててもなお、神様に結びあわせてもらうのだ、という深淵さもない。

越路の歌は、この世で、別れたくない、という単純な歌。

元歌は、人生の運命に翻弄され、愛する相手がこの世を去ったあとに、そんなこと、何でもないわ、愛があるから、という、愛の不滅を謳う歌。

たとえいつの日か 人生があなたを引き離そうと
あなたが死んで 遠いところへ行ってしまおうと
わたしを愛してくれるなら たいしたことではないわ
なぜって わたしもまた いつかは死ぬのだから
わたしたちは 永遠を手に入れるでしょう
果てしない青さのなかで
もう何の悩みもない大空のなかで
愛する二人を 神様が結びあわせるのよ

ピアフは当時30歳で、フランスで初めての世界チャンピョンになるボクサーのマルセル・セルダンと恋に落ちます。

「彼と知り合うまで、私は何者でもありませんでした。
もちろん私は有名な、それも非常に有名な歌手ではありました。
でも、精神的には、絶望したひとりの女にすぎなかったのです。
私は人生は無意味だと思っていました。
男たちは、みんな野獣とおなじだと考えていました。
・・・・
この世にやさしさや安らぎや愛情が存在することを教えてくれたのはマルセルでした。
そのとき世界は私にむかって初めて闇のベールをぬいだのです」

「あるときマルセルは、きみはなぜ悲しい歌をうたうのか、と訊ねた。
陽気にあるためよ、とピアフは答え、
あなたはなぜボクシングで人をなぐるの、と聞き返した。
やさしくなるために、とマルセルは答えた。
こんなに単純でやさしく、強くて繊細な男はいなかった」

この歌は、ピアフに会うためにパリからニューヨークに向かう飛行機事故で亡くなった、マルセルに捧げた歌でした。

ピアフ自身によるフランス語の歌詞、に対して、岩谷時子ほど完全に無視した作詞でない、いくつかの「訳詞」があります。
美川憲一の歌とか、英語版で言えば、ブレンダ・リーなども歌っています。

元歌の意味は、次のようなものです。

『 青空が落ちてこようと 

大地が崩れ去ろうと

そんなことはどうでもいいの、あなたが愛してさえくれれば

世の中なんてどうでもいいの

十分に、愛で満ちた朝があれば

十分に、私の体があなたの手の中で震えていれば

世の中の問題なんてどうでもいいの

愛しい人 あなたが私を愛してくれるから
.
私は世界の果てまで行ってもいい

髪を金色に染めてもいい

あなたが私に求めるなら

月を取りに行ってもいい、大金を盗みに行ってもいい

あなたが私に求めるなら

祖国を否定してもいい、友達を否定してもいい

あなたが私に求めるなら

誰かに自分のことを笑われてもいい、私は何でもする

あなたが私に求めるなら

いつの日か、人生が私からあなたを引き離したとしても、

あなたが死んで、私から遠く離れてしまったとしても、

そんなことは重要ではない、もしあなたが私を愛しているのなら

私も死ぬだろうから、

私たちは私たちのための永遠を手に入れるだろう、

広大な青空の中で、

空には何の問題もない

私の愛、あなたは愛をどう考えているの?

神は愛し合うそれら(2人)を合わせる 』


「あたしは、ずいぶん恋愛したけれど、一人の男しか愛さなかった。
その男の名は、マルセル・セダン。
そして、一人の男しかもたなかった。
その名は、テオ・サラポ」
(テオ・サラポのことは、次回に紹介します。女性を元気付けるお話です)



YouTubeで聴いてみてください。

Edith Piaf Hymne a LAmour(フランス語)
http://jp.youtube.com/watch?v=NjR5xFZxZK8&feature=related

Edith Piaf - HYMN TO LOVE in English(英語)
http://jp.youtube.com/watch?v=5GEXLf-m0xk&feature=related

山口百恵が、サヨナラ・コンサートで、「さよなら」のかわりに、最後に歌った歌でもあるんですね。
(さすがに、岩谷時子バージョンでは、ありません!より、元歌に近い内容です)

http://jp.youtube.com/watch?v=lAXeKX-1spE&NR=1


恋文  青年は急いで読み、
     壮年はゆっくり読み
     老人は読みなおす。
                  (プレヴォ・フランスの作家)

恋の悩みほど、甘いものはなく、
恋の嘆きほど、楽しいものはなく、
恋の苦しみほど、うれしいものはなく、
恋に死ぬほど、幸福なことはない
                  (アルトン・ドイツの詩人)

自然は恋のためにのみ、
われわれをこの世に生んだ。
                  (チェーホフ・ロシアの作家)

ということは、いつまでも、恋をしなさい、ということと読む。

青春とは人生の人生のある期間のことではなく
こころの持ち方を言う。
年を重ねただけでは人は老いない
理想を失うときに人は老いるのだ。
サムエル・ウルマンの有名な「青春」という詩の一節ですが。

恋するこころを失うとき、人は老いるのだ、
といってもいいでしょう。

恋するとは、何に対してでも良いのですが、
芸術や、
学問や、
理想の社会造り、
そんな高尚な才の持ち合わせがないならば、
もちろん、異性への憧れ、
でも。


作家の水上勉さんのお嬢さんは、足が不自由でした。

8歳になったとき、奥さんの骨盤を削って移植する、手術をしました。

手術後、水上夫妻は、麻酔の覚めない、酸素マスクのわが子を、じっと見守っていました。

すると、かすかに、お嬢さんが人の名前を呼んでいます。

「タカちゃん」

それは、母親の名前ではありませんでした。

小さい時から、ずっと付き添って育ててくれたお手伝いさんの、名前です。

水上さんは、ハッとします。

なんて、「愛}というものは厳しいものなんだろう。

親が、我が身を削って骨をやっても、なお及ばないほどの「愛の行為」があったのに違いない。

本当に自分のために、献身的につくし、慈しんでくれた、お手伝いのタカちゃんの「愛」の方が、父にも、母にも増して、こどもには大きな、大切な「愛」であることを知らされた。

それ以来、自分は「愛」という言葉を軽々しく使わないことにした、

と水上さんは、書いています。

ビクトル・ユーゴーは、

「人生最上の幸福は、愛されている、という確信にある」

と言います。

ロマン・ロランは、

「愛は、それが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない」

とも言っています。


人間にとって、愛された、という記憶、が人間を作り、
愛されている、という思いが、幸せの源泉なのですね。


             (今泉正顕 キャンドル・サービスから  抜粋・加筆)