前回(6月21日)の続きです。
ネットの出会い系サイトに、会員登録し、
ルールを理解し、
いろいろな方のプロフィールを検討したあとで、
この人はと思い、申し込みをする。
それだけでも、かなり、エネルギーのいる作業だなぁ、と感じる。
なかなか、交際OKの返事も来ない。
なんとか工夫して、やっと返事がもらえた!
そして、勢いこんで、メール交換を始める。。。
ところが、どうも、しっくりこない、イメージと違う。。。
やっぱり、この人ではないんだ。
他の人と、やり直してみよう。
そしてまた、同じことの繰り返し。
。。。。
という風に、気が付いてみると、
1か月に何人もの人とメールを交換しているはめになっている。
何故なんだろう。
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在してはいませんか?
会員リストの中のプロフィールを、いろいろ読んでいく。
内容豊かで、良く書きこまれたプロフィールもあれば、
大きな印象を与えるだけの、情緒的な表現のプロフィールもあったりする。
読んでいくときに、それぞれの相手のイメージを頭に描いて、
自分の持っている、好ましい女性象・男性象とくらべ、
合格なら、申込みを決行する!
問題なのは、申し込んで、百パーセント、返事が来るわけではない。
そして、返事の来ない(断られた)理由が、とんと分からない。
そうこうしているうちに、申し込みを、受けてもらえるかどうか、に熱中せざるを得なくなってくる。
数をこなす、ようになってくる。
交際OKの返事が来て、メール交換が始まる。
プロフィールを読んで、イメージした時と、今受け取っているメールの間に、違和感を覚える。
誰しもがプロフィールなんて書き慣れてはいないから、これは、当然と言えば、当然の現象なのです。
そう受け取って、メール交換が始まってから、改めて相手を理解しよう、
と考えた方が、賢明なのです。
ところが、なかなかそうは思わない人の方が、多いのではないでしょうか。
自分のイメージと違っていれば、ああこの人ではない、と思ってしまう。
そして、早々と、次の人を探しにかかろうと、してしまうのです。
ドン・ファンは、付き合った女性が嫌いになるから、次の女性へ移っていくのではないのです。
今の彼女が嫌いなのではないけれど、
女性、というものへの憧れが強くて、理想の女性をさらに求めて、移っていくのです。
なにか、永遠に無い理想を追い求めて行く、それが、ドン・ファンです。
次々にメール相手を、簡単に変えてしまう人が、このドン・ファン心理と同じだとはいいませんが、多少反省してみる点はあります。
ネットという、相手を探す、交換する、ということが簡単にできる、という環境にあります。
相手を選ぶのは、相手そのものを良く知った上で行われるのではなく、自分のイメージが先行する、ということがあげられます。
相手をしっかり見つめよう、という気が、弱い面があります。
これは、ネットなので、簡単には出来ないことなので、気分の問題ではないかもしれません。
ただ、はっきりした、意志がなければ、簡単に相手のことを判断してしまいがちです。
メール交換という交際を始めた、ということに、一種の達成感もあって、
ここまで来たなら、もっといい相手も、また見つかるだろう、という思いになります。
そして、定かではない、自分の理想の女性イメージ・男性イメージを求めて、さ迷いだすのです。
要は、自分の持つイメージに合わせた異性を求める、という幻想をやめること、
が必要なのではないでしょうか。
人間、いくつになっても、相手の異性について、分かることは少ないものです。
だから、自分の異性へのイメージなんて、ひよわな夢のようなもので、それをたよりにするのは、どうでしょう。
まずは、現実に眼の前にいる相手を、理解しようと、語りつくしてみる。
始めは、半分くらいは、目をつぶるくらいで、メール交換を続けてみる。
そして、だんだん、目を開いて行って、判断する。
とにかく、2、3回のメール交換だけで、相手を判断してしまう、
交際をやめる決心をしてしまう、
ということは、いかにもチャンスを失っているような、気がしてなりません。
いや、それよりも、そのような人は、ドン・ファンのように、次々に相手を変えていってしまう、そんな結果になってしまう、それを危惧します。
もう一度、自分の態度を見直してみませんか?
ネットの出会い系サイトに、会員登録し、
ルールを理解し、
いろいろな方のプロフィールを検討したあとで、
この人はと思い、申し込みをする。
それだけでも、かなり、エネルギーのいる作業だなぁ、と感じる。
なかなか、交際OKの返事も来ない。
なんとか工夫して、やっと返事がもらえた!
そして、勢いこんで、メール交換を始める。。。
ところが、どうも、しっくりこない、イメージと違う。。。
やっぱり、この人ではないんだ。
他の人と、やり直してみよう。
そしてまた、同じことの繰り返し。
。。。。
という風に、気が付いてみると、
1か月に何人もの人とメールを交換しているはめになっている。
何故なんだろう。
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在してはいませんか?
会員リストの中のプロフィールを、いろいろ読んでいく。
内容豊かで、良く書きこまれたプロフィールもあれば、
大きな印象を与えるだけの、情緒的な表現のプロフィールもあったりする。
読んでいくときに、それぞれの相手のイメージを頭に描いて、
自分の持っている、好ましい女性象・男性象とくらべ、
合格なら、申込みを決行する!
問題なのは、申し込んで、百パーセント、返事が来るわけではない。
そして、返事の来ない(断られた)理由が、とんと分からない。
そうこうしているうちに、申し込みを、受けてもらえるかどうか、に熱中せざるを得なくなってくる。
数をこなす、ようになってくる。
交際OKの返事が来て、メール交換が始まる。
プロフィールを読んで、イメージした時と、今受け取っているメールの間に、違和感を覚える。
誰しもがプロフィールなんて書き慣れてはいないから、これは、当然と言えば、当然の現象なのです。
そう受け取って、メール交換が始まってから、改めて相手を理解しよう、
と考えた方が、賢明なのです。
ところが、なかなかそうは思わない人の方が、多いのではないでしょうか。
自分のイメージと違っていれば、ああこの人ではない、と思ってしまう。
そして、早々と、次の人を探しにかかろうと、してしまうのです。
ドン・ファンは、付き合った女性が嫌いになるから、次の女性へ移っていくのではないのです。
今の彼女が嫌いなのではないけれど、
女性、というものへの憧れが強くて、理想の女性をさらに求めて、移っていくのです。
なにか、永遠に無い理想を追い求めて行く、それが、ドン・ファンです。
次々にメール相手を、簡単に変えてしまう人が、このドン・ファン心理と同じだとはいいませんが、多少反省してみる点はあります。
ネットという、相手を探す、交換する、ということが簡単にできる、という環境にあります。
相手を選ぶのは、相手そのものを良く知った上で行われるのではなく、自分のイメージが先行する、ということがあげられます。
相手をしっかり見つめよう、という気が、弱い面があります。
これは、ネットなので、簡単には出来ないことなので、気分の問題ではないかもしれません。
ただ、はっきりした、意志がなければ、簡単に相手のことを判断してしまいがちです。
メール交換という交際を始めた、ということに、一種の達成感もあって、
ここまで来たなら、もっといい相手も、また見つかるだろう、という思いになります。
そして、定かではない、自分の理想の女性イメージ・男性イメージを求めて、さ迷いだすのです。
要は、自分の持つイメージに合わせた異性を求める、という幻想をやめること、
が必要なのではないでしょうか。
人間、いくつになっても、相手の異性について、分かることは少ないものです。
だから、自分の異性へのイメージなんて、ひよわな夢のようなもので、それをたよりにするのは、どうでしょう。
まずは、現実に眼の前にいる相手を、理解しようと、語りつくしてみる。
始めは、半分くらいは、目をつぶるくらいで、メール交換を続けてみる。
そして、だんだん、目を開いて行って、判断する。
とにかく、2、3回のメール交換だけで、相手を判断してしまう、
交際をやめる決心をしてしまう、
ということは、いかにもチャンスを失っているような、気がしてなりません。
いや、それよりも、そのような人は、ドン・ファンのように、次々に相手を変えていってしまう、そんな結果になってしまう、それを危惧します。
もう一度、自分の態度を見直してみませんか?
前回(6月20日)の続きです。
メールというのも、手軽ではありますが、相手に真剣に思いを伝えようとすると、難しいものです。
ごく軽い、日常会話であるならば、話し言葉のノリで、書けますから、簡単といえるかもしれません。
しかし、やっと申込みにOKをもらった相手とのメール交換、となると、話し言葉のノリで、というわかにはいきません。
その理由の二番目です。
2.あせりすぎていませんか?
年齢を経るごとに、知識や経験が詰め込まれてきますから、自分というアイデンティティも、しっかりしたものとなってきます。
自分の好みや、行動の仕方も、だんだんはっきりしたものになってきます。
ましてや、離婚などという経験をすると、自分では辛い体験をくぐってきただけ、人間が良く分かってきた、人の悲しみや思いやりの大切さが分かる人間になった、と思います。
また、独身を長く続けてきた人にとっては、初めは漠然と大きかった希望も、現実的なものの見方に長ずるにつれて、だんだんに小さな希望へ、はっきりした望みへと、と自分の考えがまとまっていく、のではないでしょうか。
若い頃は、寡黙なタイプ、であった人も、こうして自分の考えが、はっきりしてくると、結構、雄弁家になっていきます。
自分の考えに対して、せっかちになってきます。
こんな人が、満を持して、メール交換による交際を始めるわけです。
その人の最初のメールはどんなものでしょう?
自分の過去、自分の現在、自分の願い、自分の好み、自分の夢、自分の理想の生活、そんなこんなで、怒涛のような熱心さで、相手に思いを、ぶつけてしまうのでは、ないでしょうか?
始めから、自分のすべてをぶつけ、さらして、相手の理解を求め、相手にも同様に、自己を語ってもらいたい、という態度が、前面に出る、というケースが多いのではないか。
年配者のメールの書き方を想像すると、特にそういう想像をしてしまいます。
これが、(1)で書いた、的確な表現がとれず、つたない、失礼な文言を含んだ文章が加わると、ただの、ひとりよがりのメールになってしまいます。
そこに、相手の姿、相手の思いを、想定しながら文章を書く、という思いやりは、みられません。
自分の言いたいことを、言いたいように、書いているだけ、
になってしまいます。
人間、そんなに、ド〜ッと言われても、理解できるものではありません。
自分の思いは、こんなにボルテージが高いのだから、相手も同じ状態のはずだ、
という調子では、理解の道は、通じません。
あせらないこと、一、二度のメールで自分を理解してもらいたい、と思わないこと。
そんなことは、無理なんです、から。
一度に、あれも言う、これも言う、で書く量が多くなる、というアプローチよりも、
何度も、頻繁にメールを送る、ことを心がけるアプローチに変えたら、どうでしょうか。
そして、大事なのは、経済的状況などの事実だけを語るのではなく、
日々の心情、感情も伝える、こと。
短いメールだけれど、頻繁にやりとりが行われる。
内容も大事だけれど、今日も、明日も、次のメールが来る、ことが楽しみになる、
そんなアプローチを心がけたら、良いのではないでしょうか。
そんな、相手との「関係」つくり、が大事なのですね。
そうすれば、書き方のつたなさや、失言なども、修復可能です。
相手を想う気持ちが、自然に醸成されてきます。
そして、ああ、こんなにメールを交換しているんだけれど、どんな声の人なのかしら、
と次の関係へのステップが生まれてきます。。。
メール交換を長続きさせるコツは、あせらないこと、せっかちにならないこと。
そう心がけてみては、どうでしょうか?
今回は、この辺で。
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?
(次回)
メールというのも、手軽ではありますが、相手に真剣に思いを伝えようとすると、難しいものです。
ごく軽い、日常会話であるならば、話し言葉のノリで、書けますから、簡単といえるかもしれません。
しかし、やっと申込みにOKをもらった相手とのメール交換、となると、話し言葉のノリで、というわかにはいきません。
その理由の二番目です。
2.あせりすぎていませんか?
年齢を経るごとに、知識や経験が詰め込まれてきますから、自分というアイデンティティも、しっかりしたものとなってきます。
自分の好みや、行動の仕方も、だんだんはっきりしたものになってきます。
ましてや、離婚などという経験をすると、自分では辛い体験をくぐってきただけ、人間が良く分かってきた、人の悲しみや思いやりの大切さが分かる人間になった、と思います。
また、独身を長く続けてきた人にとっては、初めは漠然と大きかった希望も、現実的なものの見方に長ずるにつれて、だんだんに小さな希望へ、はっきりした望みへと、と自分の考えがまとまっていく、のではないでしょうか。
若い頃は、寡黙なタイプ、であった人も、こうして自分の考えが、はっきりしてくると、結構、雄弁家になっていきます。
自分の考えに対して、せっかちになってきます。
こんな人が、満を持して、メール交換による交際を始めるわけです。
その人の最初のメールはどんなものでしょう?
自分の過去、自分の現在、自分の願い、自分の好み、自分の夢、自分の理想の生活、そんなこんなで、怒涛のような熱心さで、相手に思いを、ぶつけてしまうのでは、ないでしょうか?
始めから、自分のすべてをぶつけ、さらして、相手の理解を求め、相手にも同様に、自己を語ってもらいたい、という態度が、前面に出る、というケースが多いのではないか。
年配者のメールの書き方を想像すると、特にそういう想像をしてしまいます。
これが、(1)で書いた、的確な表現がとれず、つたない、失礼な文言を含んだ文章が加わると、ただの、ひとりよがりのメールになってしまいます。
そこに、相手の姿、相手の思いを、想定しながら文章を書く、という思いやりは、みられません。
自分の言いたいことを、言いたいように、書いているだけ、
になってしまいます。
人間、そんなに、ド〜ッと言われても、理解できるものではありません。
自分の思いは、こんなにボルテージが高いのだから、相手も同じ状態のはずだ、
という調子では、理解の道は、通じません。
あせらないこと、一、二度のメールで自分を理解してもらいたい、と思わないこと。
そんなことは、無理なんです、から。
一度に、あれも言う、これも言う、で書く量が多くなる、というアプローチよりも、
何度も、頻繁にメールを送る、ことを心がけるアプローチに変えたら、どうでしょうか。
そして、大事なのは、経済的状況などの事実だけを語るのではなく、
日々の心情、感情も伝える、こと。
短いメールだけれど、頻繁にやりとりが行われる。
内容も大事だけれど、今日も、明日も、次のメールが来る、ことが楽しみになる、
そんなアプローチを心がけたら、良いのではないでしょうか。
そんな、相手との「関係」つくり、が大事なのですね。
そうすれば、書き方のつたなさや、失言なども、修復可能です。
相手を想う気持ちが、自然に醸成されてきます。
そして、ああ、こんなにメールを交換しているんだけれど、どんな声の人なのかしら、
と次の関係へのステップが生まれてきます。。。
メール交換を長続きさせるコツは、あせらないこと、せっかちにならないこと。
そう心がけてみては、どうでしょうか?
今回は、この辺で。
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?
(次回)
インターネットの出会いサイトで、相手を探すときは、
どんな小さなサイトであったとしても、数十人の候補者の中から、
自分に合うだろう、という人を絞り込んで申込みをする、でしょう。
申し込んでも、申し込んでも、なかなか思わしい返事が来ない、という場合もある。
例えば、男性の場合、20歳も年齢の違う相手に、申し込む、とか。
ネットの良さは、自分の信念を曲げず、思いが完全に成就するまで、
申し込みを続ける、ということも可能です。
自分のしていることは、誰にもわからないから。
これが、普通の、結婚相談所などで行ったら、2,3回もしたら、
「あなた、そんな、夢みたいなた思いは忘れて、現実をみなさいよ」
とでも、言われてしまいます。
これはこれで、面白いテーマだと思いますが、今日は、別の話題。
つまり、より現実的な思いを中心に、申し込みをし、交際OKの返事をもらった場合のことです。
何人もの、候補者のプロフィールを、比較しながら読んでいるときは、なかなか楽しいものです。
その相手との、交際の情況などを想像しながらの、作業ですから。
上手く行くのかな、どうだろうか、などと想像する、
もうこれだけで、くたびれてしまって、
なかなか、申し込みもでにいたらない、という状態におちいってしまう人も、
会員の中にはいるのではないでしょうか。
そして、数名に申込みをし、うれしいことに返事が来て、メール交換を始めます。
ここから、まぁ普通のステップとしては、
1.何通かのメール交換の後、
2.電話で話をして、声の感じが良くて信頼がおけそうであれば、
3.実際に会う、デートをし、
4.デートを重ねて、最終的なカップルへの合意に至る。
という節目で、進行するのではないか、と思います。
1から2、あるいは1から3へのステップに進む割合は、どのくらいなのでしょうか。
データを取って分析したわけではないので、正確なことは、言えません。
が、結構、確率は低いような、気がします。
当赤い糸のメンバーは、35歳以上ですが、若い人たちの出会い系サイトで、デートまで至る確率と、当サイトの確率を比べると、当サイトの方が、低い、ような気がします。
それは、何故なんだろうか、と考えてみたいのです。
1.メールの書き方に慣れていなくて、うまく自分が表現できていない、のではありませんか?
誤解があっても、うまく訂正出来ないで、相手を怒らせたまま、終わってしまう。
これって、結構、多いのではないか、と思っています。
文章で自分を表す、ということに慣れていない、にも関わらず、自分の文章を自省することもできない。
それでいて、相手は、それ相応の年配者として、送られた文章を読む。
稚拙で、失礼な文章は、若い人同士なら、笑ってすませることでも、真剣に受け止められてします。
ああ、こんな人は、ダメだぁ・・・。
こうして、2、3回にメール交換で、互いのことを、実は、よく分からないまま、終わってしまう、ということが、多いのではないか、と思っています。
やはり、メールの書き方は、相手の立場を考えつつ、自分の思うことを語る、ということで、そんなに簡単なことではないのだよ、
ということを、もう一度、思いなおして、わが身を振り返る必要が、あるのではないか、と思います。
年配の人ほど、ついつい普段の語り口でメールを書いてしまうと、大変ぶしつけな内容になっていることが多いようです。
そしてまた、受け取る方としても、あまり表面の言葉に神経質にならずに、
一度、二度は失礼な、と思われる発言にも、
片目を閉じて、
それって、もしかして、こういう意味なのですか、
とうような、やりとりをする余裕が、大切なように思います。
これなくしては、いつも、いつも、同じことの繰り返し、で終わってしまいますので。
2.あせりすぎていませんか?
(次回)
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?
(次回)
今回は、この辺で。
どんな小さなサイトであったとしても、数十人の候補者の中から、
自分に合うだろう、という人を絞り込んで申込みをする、でしょう。
申し込んでも、申し込んでも、なかなか思わしい返事が来ない、という場合もある。
例えば、男性の場合、20歳も年齢の違う相手に、申し込む、とか。
ネットの良さは、自分の信念を曲げず、思いが完全に成就するまで、
申し込みを続ける、ということも可能です。
自分のしていることは、誰にもわからないから。
これが、普通の、結婚相談所などで行ったら、2,3回もしたら、
「あなた、そんな、夢みたいなた思いは忘れて、現実をみなさいよ」
とでも、言われてしまいます。
これはこれで、面白いテーマだと思いますが、今日は、別の話題。
つまり、より現実的な思いを中心に、申し込みをし、交際OKの返事をもらった場合のことです。
何人もの、候補者のプロフィールを、比較しながら読んでいるときは、なかなか楽しいものです。
その相手との、交際の情況などを想像しながらの、作業ですから。
上手く行くのかな、どうだろうか、などと想像する、
もうこれだけで、くたびれてしまって、
なかなか、申し込みもでにいたらない、という状態におちいってしまう人も、
会員の中にはいるのではないでしょうか。
そして、数名に申込みをし、うれしいことに返事が来て、メール交換を始めます。
ここから、まぁ普通のステップとしては、
1.何通かのメール交換の後、
2.電話で話をして、声の感じが良くて信頼がおけそうであれば、
3.実際に会う、デートをし、
4.デートを重ねて、最終的なカップルへの合意に至る。
という節目で、進行するのではないか、と思います。
1から2、あるいは1から3へのステップに進む割合は、どのくらいなのでしょうか。
データを取って分析したわけではないので、正確なことは、言えません。
が、結構、確率は低いような、気がします。
当赤い糸のメンバーは、35歳以上ですが、若い人たちの出会い系サイトで、デートまで至る確率と、当サイトの確率を比べると、当サイトの方が、低い、ような気がします。
それは、何故なんだろうか、と考えてみたいのです。
1.メールの書き方に慣れていなくて、うまく自分が表現できていない、のではありませんか?
誤解があっても、うまく訂正出来ないで、相手を怒らせたまま、終わってしまう。
これって、結構、多いのではないか、と思っています。
文章で自分を表す、ということに慣れていない、にも関わらず、自分の文章を自省することもできない。
それでいて、相手は、それ相応の年配者として、送られた文章を読む。
稚拙で、失礼な文章は、若い人同士なら、笑ってすませることでも、真剣に受け止められてします。
ああ、こんな人は、ダメだぁ・・・。
こうして、2、3回にメール交換で、互いのことを、実は、よく分からないまま、終わってしまう、ということが、多いのではないか、と思っています。
やはり、メールの書き方は、相手の立場を考えつつ、自分の思うことを語る、ということで、そんなに簡単なことではないのだよ、
ということを、もう一度、思いなおして、わが身を振り返る必要が、あるのではないか、と思います。
年配の人ほど、ついつい普段の語り口でメールを書いてしまうと、大変ぶしつけな内容になっていることが多いようです。
そしてまた、受け取る方としても、あまり表面の言葉に神経質にならずに、
一度、二度は失礼な、と思われる発言にも、
片目を閉じて、
それって、もしかして、こういう意味なのですか、
とうような、やりとりをする余裕が、大切なように思います。
これなくしては、いつも、いつも、同じことの繰り返し、で終わってしまいますので。
2.あせりすぎていませんか?
(次回)
3.相手をすぐに変えるのは、ドン・ファン思考が潜在していていませんか?
(次回)
今回は、この辺で。
日本では、男性の寿命は、女性より5歳ほど、短い。
その理由として、いろんな説があるでしょう。
一言で言うと、男性が生きにくい生き物だ、ということだと思います。
心理的に振り返ると、男性は男児のころに、初めて他人を意識する対象は、
母親であって、このもっとも親しい人が、自分と同じ性ではないこと、自分は
男であることを意識させられます。
やがて、男性は、男性であるが故に、子供を産むという、最も創造的な能力が
ないことを知ります、女子には出来て、自分には出来ない、だから、男子にも
可能な重要なことが出来るようにならなければ、という意識が植え込まれます。
それが、男は外に出て、競争に勝ち、生活に糧を得る、家族を養う、
という意識になります。
ヒトが存在したその昔、もっともヒトが膨張した時代、男性は狩猟生活で、
あるいは牧畜生活で、獲物を獲るため、生活の糧を得るため、家族を守るため
の様々な能力を見につけました。
男児は、一般的に、女子よりは荒っぽい遊びをしますし、競争や、勇気とか
力強さ、を意識して成長するものです。
筋力は、男性の方が発達しているもので、それが発揮される環境で、自分の
力が発揮できれば、男性は幸せです。
遠い過去においては、それが狩猟とか、戦闘によって満たされたでしょうが、
今は、そのような必要のなくなった時代です。
スポーツの世界が今では残された唯一の聖域かもいしれません。
それでも、男性たる存在を証明するために、男は競争意識・戦闘意識を
失くすことは、できないのです。
子供を産むことの出来る女性には、温かさ、優しさ、親切、思いやりが期待され、
それなりに、役割完結します。
男性は競争や闘争を念頭においた男らしさを大切にし、周囲の期待にこたえ
ようと、強く、自信に満ち、自立的行動をもって、役割完結しようとします。
しかし、すべてがうまく行くことはないものです。
男性はそもそもから競争にさらされるわけ、ですから、孤独です。
競争で傷つけられたり、惨めな思いをしても、情緒的に振舞うことは禁じられ、
おのれのこころの中に閉じ込めます。
気が付けば、男子には、学校時代から、真の親友(へんな言い方ですが・・・)が
無く、他人になんでも話す、ということが難しいひとが、多いのです。
女性の方が、親友がいる、という人が多かったり、とにかく何でも話す、
という性格は、作られやすいのではないでしょうか。
男は、生きにくい、んです。
そんな男性の、本当の救いになるのは、伴侶、なんですね。
だから、そんな男性が、シニアになり、社会生活からも身を引くようになると、
いよいよ伴侶との生活に、すべてをかける、多くを期待するようになります。
自分には、本当の友、と呼べるものが居ないことがわかります。
伴侶が自分の親友である、自分の親友になって欲しいのだ、ということに
気が付くのです。
これが、女性にとっては、気が重くて、大変です。
濡れ落ち葉、といって、笑ったり、なじります。
どうして、そうなのか、そうなってしまったのか、考えてあげ、やさしくなって
欲しいなぁ、願うばかりです。
また、そんな男性のあり方を反映して、「100万本の赤い糸」などの
出会いサイトなどで、交際を始めるにあたっても、
男性の方が、どちらかというと、性急で、結論を急いだり、
一方的の自分の意見を述べたり、反論をあまり許さない、
というか、余裕のない、ものの言い方になり勝ちなのではないか、
という感想をもっています。
男性には、くれぐれも、自分の行動を、振り返ってみる時間とこころのゆとりを
持つことを願いたいです。
女性には、くれぐれも、男性の行動の背後をみてあげるやさしさと、、
自分が肝心な点はリードしてあげる、ころろのゆとりを持って欲しい、
と祈りたいです。
その理由として、いろんな説があるでしょう。
一言で言うと、男性が生きにくい生き物だ、ということだと思います。
心理的に振り返ると、男性は男児のころに、初めて他人を意識する対象は、
母親であって、このもっとも親しい人が、自分と同じ性ではないこと、自分は
男であることを意識させられます。
やがて、男性は、男性であるが故に、子供を産むという、最も創造的な能力が
ないことを知ります、女子には出来て、自分には出来ない、だから、男子にも
可能な重要なことが出来るようにならなければ、という意識が植え込まれます。
それが、男は外に出て、競争に勝ち、生活に糧を得る、家族を養う、
という意識になります。
ヒトが存在したその昔、もっともヒトが膨張した時代、男性は狩猟生活で、
あるいは牧畜生活で、獲物を獲るため、生活の糧を得るため、家族を守るため
の様々な能力を見につけました。
男児は、一般的に、女子よりは荒っぽい遊びをしますし、競争や、勇気とか
力強さ、を意識して成長するものです。
筋力は、男性の方が発達しているもので、それが発揮される環境で、自分の
力が発揮できれば、男性は幸せです。
遠い過去においては、それが狩猟とか、戦闘によって満たされたでしょうが、
今は、そのような必要のなくなった時代です。
スポーツの世界が今では残された唯一の聖域かもいしれません。
それでも、男性たる存在を証明するために、男は競争意識・戦闘意識を
失くすことは、できないのです。
子供を産むことの出来る女性には、温かさ、優しさ、親切、思いやりが期待され、
それなりに、役割完結します。
男性は競争や闘争を念頭においた男らしさを大切にし、周囲の期待にこたえ
ようと、強く、自信に満ち、自立的行動をもって、役割完結しようとします。
しかし、すべてがうまく行くことはないものです。
男性はそもそもから競争にさらされるわけ、ですから、孤独です。
競争で傷つけられたり、惨めな思いをしても、情緒的に振舞うことは禁じられ、
おのれのこころの中に閉じ込めます。
気が付けば、男子には、学校時代から、真の親友(へんな言い方ですが・・・)が
無く、他人になんでも話す、ということが難しいひとが、多いのです。
女性の方が、親友がいる、という人が多かったり、とにかく何でも話す、
という性格は、作られやすいのではないでしょうか。
男は、生きにくい、んです。
そんな男性の、本当の救いになるのは、伴侶、なんですね。
だから、そんな男性が、シニアになり、社会生活からも身を引くようになると、
いよいよ伴侶との生活に、すべてをかける、多くを期待するようになります。
自分には、本当の友、と呼べるものが居ないことがわかります。
伴侶が自分の親友である、自分の親友になって欲しいのだ、ということに
気が付くのです。
これが、女性にとっては、気が重くて、大変です。
濡れ落ち葉、といって、笑ったり、なじります。
どうして、そうなのか、そうなってしまったのか、考えてあげ、やさしくなって
欲しいなぁ、願うばかりです。
また、そんな男性のあり方を反映して、「100万本の赤い糸」などの
出会いサイトなどで、交際を始めるにあたっても、
男性の方が、どちらかというと、性急で、結論を急いだり、
一方的の自分の意見を述べたり、反論をあまり許さない、
というか、余裕のない、ものの言い方になり勝ちなのではないか、
という感想をもっています。
男性には、くれぐれも、自分の行動を、振り返ってみる時間とこころのゆとりを
持つことを願いたいです。
女性には、くれぐれも、男性の行動の背後をみてあげるやさしさと、、
自分が肝心な点はリードしてあげる、ころろのゆとりを持って欲しい、
と祈りたいです。
男は家庭に仕事は持ち込まない。
家で、会社の仕事の話はしない。
というのが、男のあるべき姿、という見方をする考えもある。
一方主婦は、夫が帰宅するや、その日の出来事をなんでも話したがる。
些細な、隣近所の噂話まで、じつのよく話たがる。
話をすることで、ストレスが解消される、ということを言う。
男は、会社で、またアフターワークの付き合いで、ベタベタした感情のもたれあいを
しているので、家に帰れば、もう無口でいたい、
のではないだろうか。
しかし、主婦は、気苦労の多い近所付き合いで疲れたこころを、夫に話しを
することで、癒そうとしているのだ、
と思う。
こうして、ある夫婦の愛を語る本によれば、
妻は夫の、一人になりたい、という欲求を理解し、その時間を与えた方が良い、
夫は、妻の話に、耳を傾ける時間を持つ、妻は解決をもとめて、あれこれの
問題を言うのではないから、回答を与えようとするのではなく、まずはただ聴く、
という時間をもつこと、
というようなことが言われる。
なるほど、と思う。
一方、シニア世代の夫婦関係のストーリーをみると、
特に定年後の男は、妻にべったりくっついて、濡れ落ち葉、とさえ言われる。
定年後には、妻とじっくり時間を持ちたい、一緒に旅行もしたい、
と思う男が圧倒的に多い、ようだ。
妻の方は、夫元気で留守がいい、のが、四六時中家に居るようになり、
三度の食事から、散歩から、会話まで、うんざりするようにになる。
これは、前者のストーリーが逆転したことを意味する。
夫は、妻に、癒しを求め、
妻は、一人の時間が欲しい、
と言っているのである。
男性は、女性も、一人になる時間を持ちたいのだ、ということを、もっと十分に
理解する必要がある、
と強く感じる。
やさしく、温かで、思いやりのある女性でも、
いつもべったりした人間関係を望んでいるわけではないのだ。
そう思うのは、大きな間違いである。
夫から離れて、ひとりになる時間、友達に会うことだったり、映画やコンサートに
いくことだったり、小さな旅行だったり、
自立した人間をはぐくみ育て、維持するためには、男性にもそれが必要なように、
女性にも、当然、必要なのだ。
ということを、男性は、もっと理解すべきではなかろうか。
老後は、あるいは、シニアになったら、夫婦二人だけの生活、ということに
対するイメージは、
男性の方が、はるかに陳腐で、矮小で、夢のない姿、
に映っているように思えます。
男性は、なにか、閉じこもろうと、しているようにすら、見えます。
豊かに、60歳以上を過ごすために、まだまだ夢をもつことを忘れてはいけない、
自立の気持ちを忘れてはいけない、
と思うのです。
家で、会社の仕事の話はしない。
というのが、男のあるべき姿、という見方をする考えもある。
一方主婦は、夫が帰宅するや、その日の出来事をなんでも話したがる。
些細な、隣近所の噂話まで、じつのよく話たがる。
話をすることで、ストレスが解消される、ということを言う。
男は、会社で、またアフターワークの付き合いで、ベタベタした感情のもたれあいを
しているので、家に帰れば、もう無口でいたい、
のではないだろうか。
しかし、主婦は、気苦労の多い近所付き合いで疲れたこころを、夫に話しを
することで、癒そうとしているのだ、
と思う。
こうして、ある夫婦の愛を語る本によれば、
妻は夫の、一人になりたい、という欲求を理解し、その時間を与えた方が良い、
夫は、妻の話に、耳を傾ける時間を持つ、妻は解決をもとめて、あれこれの
問題を言うのではないから、回答を与えようとするのではなく、まずはただ聴く、
という時間をもつこと、
というようなことが言われる。
なるほど、と思う。
一方、シニア世代の夫婦関係のストーリーをみると、
特に定年後の男は、妻にべったりくっついて、濡れ落ち葉、とさえ言われる。
定年後には、妻とじっくり時間を持ちたい、一緒に旅行もしたい、
と思う男が圧倒的に多い、ようだ。
妻の方は、夫元気で留守がいい、のが、四六時中家に居るようになり、
三度の食事から、散歩から、会話まで、うんざりするようにになる。
これは、前者のストーリーが逆転したことを意味する。
夫は、妻に、癒しを求め、
妻は、一人の時間が欲しい、
と言っているのである。
男性は、女性も、一人になる時間を持ちたいのだ、ということを、もっと十分に
理解する必要がある、
と強く感じる。
やさしく、温かで、思いやりのある女性でも、
いつもべったりした人間関係を望んでいるわけではないのだ。
そう思うのは、大きな間違いである。
夫から離れて、ひとりになる時間、友達に会うことだったり、映画やコンサートに
いくことだったり、小さな旅行だったり、
自立した人間をはぐくみ育て、維持するためには、男性にもそれが必要なように、
女性にも、当然、必要なのだ。
ということを、男性は、もっと理解すべきではなかろうか。
老後は、あるいは、シニアになったら、夫婦二人だけの生活、ということに
対するイメージは、
男性の方が、はるかに陳腐で、矮小で、夢のない姿、
に映っているように思えます。
男性は、なにか、閉じこもろうと、しているようにすら、見えます。
豊かに、60歳以上を過ごすために、まだまだ夢をもつことを忘れてはいけない、
自立の気持ちを忘れてはいけない、
と思うのです。






