きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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ネットに面白い記事がありました。

日本では団塊世代といって、その動向が国内経済を長い間動かすけん引役を勤め、2007年からの大量退職などジャーナリズムの話題になり易いターゲットです。

アメリカでは、これがベビーブーマー世代と呼ばれ、その年齢範囲は日本よりも大きいのですが、やはり経済を牽引してきた世代として、話題となります。


当然、退職後の生活、というのが大きな関心事であり、「Retirement」に関するエッセイや記事が毎日のように、見ることができます。

Is Retirement Different for Women?
という記事から、要点をかいつまみなす。

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1920年に婦人参政権を勝ち得てから、様々なジェンダー平等に関する進歩が見られたわけだが、さて現在の「定年退職」という観点で見た場合、その平等はいかほどのものか。

女性退職保障研究所のレポートによれば、女性は人生の黄金期である老後を、貧困のうちに暮らす、と述べている。

10人に1人が、年1万ドル以下で暮らすことになる。

これは、女性が生涯獲得収入は男性より少なく、寿命は男性より長い、という事実からきている。

保険士協会のレポーートニよれば、女性は男性よりも老後の生活に不安をもっている。

57%の女性が(男性は47%だが)、長期にヘルス・ケアを受けられる余裕がないのでは、という不安にかられている。

リタイアメント・プランニングが盛んに言われるが、現在は男女、同じものしかない。

しかし、女性にはより、フアイナンシング・プランニングが必要だと思う。

いくつかの理由からである。

・Women are Too Giving 
女性は自分より、家族のことを先に考える傾向が強い。

・Women are Disadvantaged at Work
 女性は職場において不利な扱いを受けている。

・Women are stuck with more Chores
 女性は家事の追われる。

・Women are Short on Savings
 女性は貯蓄が少ない。

・Women are Ambivalent about Finance
 女性は長期的ファイナンス思考が苦手である。

・Women are less Cinfident
 女性は自信がなく、悲観的である。
 (男性の34%が老後を楽しみに十分なお金がある、と言うのに対し女性は20%)

・Women are Relationship Oriented
 女性は、フィナンシャル・アドバイザーに頼るのが好き。

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上は、アメリカの話ですが、日本ではどうなのでしょうか?

生涯独身であったり、離婚や死別で、老後を単身で送る人が、増えていくと予想されます。

そういう老後の単身者の心配といえば、どちらかと男性中心に語られることが多いのではないでしょうか?

女性は自分の身の始末は簡単にできる、という想定がありそうな気がしますが・・・。

しかし、経済的なことで言えば、上のアメリカと同様に、女性の方が不利なような気がします。

男性でさえ、老後の資金は大丈夫なのかと心配されるのですから、女性はもっと厳しいのではないでしょうか。

それとも、日本は、いざとなったら生活保護がある、保障された国なのでしょうか。

こういうことを、真面目に考えたことがなく、ふと気になったのです。

女性は、定年後も夫の面倒をみるのは嫌だ、とか三行半を突きつけたがっている話をよくききますが、本当のところ、別れて、経済的自立ができるのでしょうか。

やはり、老後の黄金時代にも、ひとりではなく二人で支えあっていくに越したことはないなぁ、と思いました。


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内閣府が25日、2007年度の国民経済計算を公表しました。

1人当たりGDP、世界19位に後退=貯蓄率は過去最低-07年度国民経済計算

それによると、一人当りGDPは先進7カ国中、最下位になったそうです。

GDP総額も、4兆3854億ドルとなり、米国に次ぐ2位を維持したけれども、世界全体のGDPに占める割合は、昨年1971年以来の10%以上を割ったのだが、今年度は8.1%と前年比0.9ポイント低下した。


日本はもう世界の経済大国の実力はない、というメッセージを昨年あたりから政府が発し続けていますが、ややもすると忘れ勝ちになります。

最近の円高をみると、忘れ勝ちになるのも、止むを得ないかもしれませんが、100年に一度の不況、といわれるこの危機にあたり、小手先ではない、本格的な政治・経済の取り組みをしないと、日本の繁栄30年も、あっという間の夢物語で終わってしまうかもしれません。

天然資源の無い日本人は、人的資源で世界に立ち向かい、生き延びていかなければならない、そういうメッセージが、僕の小さいころは、耳にたこ、だったのですが、今の教育は、どうなのでしょうか。

もっとも、日本人に目覚めさせるには、本当の危機、貧困を目の当りにさせないとその気にならない、東洋人に共通のうぬぼれ屋、という性格がありますから、まぁ、なるようになり、行き着くところまで行けば、ゆり戻しが来て、なんとか生き延びていく民族ではあると思います。

そんなこんなの感想も、年末を迎えた日本人の街の顔やインタビューをTVのニュースでみて、そう感じたのでした。

大変だ、苦しい、来年こそはなんとか明るい年に、という街の声です。


こんなときに、タイなどでロングステイしている僕は、どうなんだろう。

今日、12月分の光熱費を支払いました。

インターネット1Mサービス、630バーツ(光熱費ではありませんが、必要固定費です)
電気代、195バーツー520円くらい(先月は358バーツ。12月8日から在タイ)
水道代、10バーツー27円。

日本では、電気代の基本料が1800円、ほとんどなにも使わない感じなのに(日本を離れるときは冷蔵庫をOFFにしてきます)トータル3500円以上になります。

水道代も、最低1600円、だったと思います。

タイの方が、はるかに必要経費は安くすみます。

アジアの国が、生活費が安い、というだけで、日本高齢者がやってくることを、揶揄する人がいます。

いわく、経済的貧困老人を外国に輸出するのか。

いわく、ロングステイで来て欲しい日本人はお金持ちで、どっさり円を外国に落としてくれる人だ。

こんな声が、気にならないわけではありませんが、それぞれ極端な意見にしか思えません。

日本では経済的にやっていけないからロングスティにくるのではなく、ある程度のお金で、「より」楽しめる生活をもとめてやってくるのです。

その、日本人にとっては、少しだけ「より」多い「楽しみ」が、少しでもロングステイの国に役立てば、いいではないか。
ここにお金を落とすことに変わりはない。

また、お金持ちばかりロングステイに来て欲しい、というのは欲張りすぎで、大金持ちは、タイには来なくて、ハワイや、ゴールド・コーストにいくのではないですか?


僕の場合は、ロングステイとうより、あわよくば、もっと長くタイで暮らそうとしています。

こんな時代になり、今後の見通しが誰にも立てられないとき、いくつかの選択肢を、自分なりにもっていることが結局は他人に迷惑をかけないことになると思います。

こうして、タイで生きていく可能性を試していることに、良かったな、と感じています。

タイのどこかの田舎で、朽ち果てるかもしれません。

例えば、ノーン・カイなどに、行けば。

タイと、ラオスと、日本と、どこでも生きていけるか。

nongkhaiwat1
メコン河沿いのお寺。

nongkhaiwat2
なんとなく、うん、と言って、みつめてくれているような。


それで、日本人のDNAを、あるいは日本人の存在という痕跡を、どこかタイの街角に残す、というのもいいのではないか、と思うのです。

そんな日本人が、沢山いても、いいのではないか。

日本人を、世界に輸出しても、いいのではないか、と思うのです。

日本にとっても、その国にとっても、長いながい歴史が続く中で、それはとても良いことなのではないか、と思うのです。




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昨日の続きで、二人の女性と会った結果について書こうかな、と思いましたが、止めます。

プライバシーの侵害になるでしょうし、写真を掲載していることすら肖像権に触れることでしょう。

その内容が悪意に取られるような可能性は避けておきます・・・。

写真の掲載の目的は、タイ・ラブリンクというサイトに対する、好意的な応援メッセージの一環だと、ご理解ください。
(興味のある方は、僕のサイトのバナーから入って、入会ください)

また、掲載写真と実際とのギャップがあるかどうかの認識のテストをお示しした、とも。




さて、昨日の続きは、25日のクリスマスの夜をユイと過ごした話しにします。

8時半に、仕事を終えてから来るよ、と言っていたのが、電話が鳴ったのは、8時15分前だった。

約束の前にやってくるのはタイ人は、ユイくらいしかいない、という気がする。

見ると、手に大きな箱。

クリスマス・プレゼントだ。

ここ20年間、クリスマス・プレゼントなんて、もらったことがなかった。

もう忘れてしまったような、お義理プレゼント以外、ほんとうに記憶がない。

(あ、少し、うそ)

という顔をして喜んだ。

中身は、健康寝枕。

ユイは、今月仕事を変わったばかりで、新しい仕事は基本的にコミッション制だろうから、入社早々はほとんど収入はないはず。

そのなかからのプレゼントなので、ありがたさがつのります。

ちょっと遅くまでやっていて、時間を気にしなくてもいいだろう食事どころ、として、ホイ・クアン駅をラチャダーピセーク通りから左に入ったプラチャ・ソン・クロー通りのシー・フードに行くことに決める。

hqseafood1
この通りは、遅くなるほどに、バーやマッサージ・パーラーにお勤めの女性たちがやってきて、忙しくなるそうでっす。

hqseafood2
食い散らかしですみません。プー・バッポン・カリーもボリュームたっぷり。この魚も美味しかった。このほかに、貝のお皿を頼みました。

ビール一本飲んで、占めて950バーツ。

クリスマスの夜だから、もうちょっと豪華でも良かったのですが、美味しく、お腹がいっぱいになっていました。

振り返ると、2年前は、お台場の日航ホテル内のレストランで、二人4万5千円のディナーを食べていたころと、ずいぶん違うところにいるなぁ、という感じがしみじみします。

話していると、今日はユイの会社でも、仕事を終えたあと、パーティーがあったのだそうです。

彼女は、それに参加しないで、僕のところにプレゼントを持って、やってきたのでした。

ということは、僕が、彼女のいまのところの、本命ってこと?


2時間ほどゆっくり過ごして、あとは、ぶらぶら、歩いて帰りました。


そして、今朝、バンテップに行き、XMASのプレゼント、パソコンを買ってあげることができました。



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僕も、タイ人との恋愛と結ばれることを求めている者なので、実際にタイに住んでいる人たちの経験やタイ人に対する考え方と、インターネットを通して学ぼうとしています。

いろんなサイトをボツボツと眺めては、そうかなぁ、そうなんだろうなぁ、そんばかな、ひどい言い方だなぁ、などと思っている毎日です。

まぁ、どんな意見があったとしては、自分は自分なので、そういう他人の見方に大きく影響されることはないのですが、面白いことは大変に面白い。

タイちゃねる、というサイトを時々覗くですが、タイ人との恋愛、タイ人との結婚、などいろんなスレッドが立っています。

タイトルずばり、のタイ人との恋愛、というスレッドを見ています。

ほんとうは、あまり恋愛の話は少なくて残念なのですが、このところ132というナンバーで呼ばれるひとが、さかんに自分の現在進行形の経験を書きまくって、アクセスとしては、盛り上がっていました。

この人は、とにかく安く、タイ女性とセックスしたい、というだけの人で、毎日のように、誰とどこで何を四手いくらかかった、ということを報告するのです。

アクセスしている読者の一部からは「キチガイ・基地外」と罵倒さればがらもなんのその、報告を続けていました。

会う相手は、風俗は売春なのでいやで、素人相手、といって「Hi5」というサイトで知り合った女性だけ、という触れ込みでした。

毎日のように相手をとっかえヒッカエして会っては、セックスしている、という報告なので、読者からは、その確率の高さに、羨望の声をかけられていたりして。。。

ある人の経験では、30代、きちんとした職業をもった、いい男、なのだが、5年間のHi5で知り合えた女性は11人、親しくなれたのは3人、とかで、132のすごいモテように、信じられない、というか、うらやましい、というかの意見をなげかけたりしていました。

その132の実体が、ごく最近暴露されて、どうやらその男の騒ぎも終焉しそうです。

(しかし、読者の執拗な本人探し、本人発見後の、よってたかってのバッシング、物語を読むより面白いですが、怖いですね~、ネットの世界、という実感がします)

いくつか嘘で自分を覆っていた面があるのですが、そお一つが、ネットのサイトが、Hi5ではなく、ThaiLoveLinksだったことがあります。

そこに会員登録されている132のプロファイルが公開されて、写真を含めて情報が暴露されたのです。

興味がありましたら、タイちゃねるを覗いてみてください。

僕が、今日、言いたいと思っていることは、まぁ、132のようなインスタントなセックスを求めてやってくるメンバーもいれば(それを相手にする、お金が最重要なタイ女性ーそういう意味では、風俗店と変わりなく、ネット・バービアのようなものです)、もうちょっと真面目に交際を求めて参加しているメンバーも居て、双方にアクセス多く、実際に出会うことができる、ということです。

上に書いた、5年間で、知り合えた11人、そいうような結果は、タイ・ラブリンクではないような気がします。

ここに、僕の体験を紹介します。

実は、僕は、いま、あまり真剣に恋人を求める、という気持ちでタイ・ラブリンクをアクセスしているわけではありません。

やはり、タイ女性と真剣な恋愛をするには、言葉を理解することが不可欠だという思いを確認しているところで、自分がタイ語を身につけるのには、長期戦でいかねば、と考えているからです。

それでも、タイ女性を理解したい、ネットの参加している女性たちと、まぁ、友達になることも出来る、という思いがあって、連絡します。

昨日、今日、とクリスマスなのに、することもないので、

(過去ブログを読んでくれている方は、僕がユイという女性と付き合っていることをご存知かと思いますが、彼女がこの2日は仕事で会う予定がないのです。
・・・と、こう書くと、ユイは誰か本命が居て、その彼とあっているのだよ、という考えもわかないわけではないのですが、もしそうであれば、僕の気持ちが楽になる、という気持ちがします・・・。
彼女は、今日(25日)の午後8時に、仕事を終えてからやってくる予定です)


デートして、お昼でも一緒に食べたい、と思いました。

次の女性が会ったタイ女性です。

サイトに登録されている写真を、実際に僕が撮影した写真を比べてみるのも面白いと思います。

サイトには、ずいぶん若い頃の写真をのせて、実際会うと、それほどでもない女性が多い、という声が多かったりしますので。

といっても、確かに修正に大きな写真もあり、それは見抜く必要なありますが、なれれば、案外間違わないものです。


24日のデート相手。

tll6
プロファイルの写真。26歳、美容師さんです。

tll1
バンカピ・モールで会いました。

tll2
サイトの写真より、きれいでした。


25日のデート相手。

tll5
プロファイルの写真。24歳、アカウンタント(会計士)。正直、このサイトのの写真から、美人だと思いました。

tll3
エンポリアムで会いました。サイトの写真を見て美人だね、と言っていた僕に、会えば普通よ、と本人が言っていました。確かに、ちょっと修正の気分がないこともない、感じですが、十分きれいな女性でした。

tll4
映っていませんが、スタイルがバツグンの女性でした。

とにかく、今日言いたかったのは、まじめに交際しようと思えば、このタイ・ラブリンクには、その可能性はある、ということを示してみせたかったのです。

もちろん、タイ女性と日本人の場合(また特に中高年者の場合)、お金を持っているであろう、と言う前提があっての出会いではあります。

それは当然です。

年齢も経済的力も全てがその人間の個性なのですから。


会ったあとの結果は、、、、今日は長くなってしまいましたので、この辺で。

明日書くかもしれません。。。


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前に一度、チャイナ・タウンに行こうとして、旅行客を騙す詐欺グループにひっかかり、ロイヤル・テンプルとラッキー・ブッダの話を書きました。

結局その日は、肝心の中華街に行くことはできなかったのでした。

それで、久しぶりに、中華街にいって、バーミー・ナームを食べようと、企てました。

今度は、ユイと一緒に行くので、まちがいなく、中華街で食事できる、と思ったのです。

出かけたのは、日曜日、お昼ご飯を食べよう、というわけです。


しかし、ユイも、中華街には行ったことがない、と言います。

だから、昼間に、中華街で、手頃な中華料理を食べられるか、どうか、あまり確信があったわけではありません。

ユイは、僕の持っている、「地球の歩き方」を持っていった方がいいんじゃないか、と言っていましたが、な~に、中華街は、行けばそちこちに、路地があって、路地には手頃な屋台料理がみつかるさ、と思っていました。

というのは、いくつかのブログを読んだ限りは、ふとした路地に、すごく美味しい屋台の料理に出会った、とうような話が、豊富だったからです。


さて、地下鉄で一本、最終駅が、ファランポーン駅で、そこから歩いてヤワラート通りに出ます。

chinatown1
中華門。そこからヤワラート通りに入るわけではないので、なんだか貫禄に欠ける。

chinatown2
ワット・トライミットが新しく博物館のような建物を建てているのかな?
この写真の右側にワット・トライミットはあります。

chinatown3
ヤワラート通りを中ほど歩いて、金行街へ。


ただただ、バーミーを食べに来たのですが、どうも海鮮料理屋は、大きなところが何軒かオープンしていますが、屋台はあまり、見当たらない。

路地に入って、何軒かポツ、ポツとあるけれど、どうもバーミーではないらしいし、魅かれるものがない。

なんだか、やっぱり、中華街は夜でなけりゃ、ダメなのか、という気になってしまいました。

以前、カオサン通りに行ったのも、ユイと一緒だったのですが、期待したカオサンの顔はあまりにも貧弱でがっかりしたことを、思い出してしまいました。

なんとか、中国人の客が多く入っている店に入り、バーミーを食べましたが、量も少なく、なんら変わり映えのしない、バーミーでした。

結局、ユイの言うとおり、ガイド・ブックを持っていけばよかった、ということになります。

部屋に帰って、ガイドを読むと、バミー・ジャップガンという名所が、朝の9時から夜7時まで、あるそうです。
(今度こそ!)


久しぶりに、ユイのブログ登場ですが、今月バンコクに戻ってみると、前のスーパー勤務は辞めていました。

今は、インターネットを使ったダイレクト・セールスの仕事をしています。

インターネットって、自分の家で使う、自分のパソコンあるの?

と聞きました。

というのは、僕が日本に居るとき、メールのやり取りはしましたが、彼女はいつもネット・カフェだったからです。

お金がないから、持っていない、と言います。

明日、クリスマスのプレゼントに、手頃なPCを買ってあげようと、計画しています。

ユイから、何か欲しい、と言ってきたことはありません。

化粧もあまりしないし、洋服もいろいろ着飾ったりしたくないらしいのです。
(僕には、ちょっと不満です)

でも、白くて、小っちゃくて、可愛いです。
(僕が、そう思っているわけです)

ユイは、聞いてこないのですが、自分とは35歳の差があります。

それが、僕にも、負担なのです。


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作家に会いたい、と言う人の中には、自分の話を聞いて、作品を書いて欲しい、という人が昔から居たようです。

「私はその女に前後四、五回会った」

という書き出しで始まる<硝子戸の中>のエピソードは、そういう経緯で入ります。

最初の二回は、女は漱石の本を誉めたり、世間話をするだけで、要領を得ない。

三度目に、なにかに昂奮したらしげに涙をしきりにぬぐいながら、自分のこれまで経過してきた悲しい歴史を書いてくれないかと頼みます。

実名を出さなければ迷惑をかける人はいない、というので、漱石は特別の時間をとって、その女の話を聞くことにします。

その後、一度、女はその約束の日を延ばしてほしい、と言ってきます。

そして、最後に漱石にあった日の記述です。

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彼女は自分の前に置かれた桐の手あぶりの灰を、しんちゅうの火箸で突っつきながら、悲しい身の上話を始めるまえ、黙っている私にこう言った。

「このあいだはは昂奮して私のことを書いていただきたいように申し上げましたが、それはやめにいたします。ただ先生に聞いていただくだけにしておきますから、どうかそのおつもりで・・・」

私はそれに対してこう答えた。

「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出てきてもけっして書く気づかいはありませんからご安心なさい」

私が十分な保証を与えたので、女はそれではと言って、彼女の七、八年あえからの経歴を話しはじめた。
私は黙然として女の顔を見守っていた。
しかし女は多く目を伏せて火鉢の中ばかりながめていた。
そうしてきれいな指で、しんちゅうに火箸をにぎっては、灰の中へ突き刺した。

ときどき腑におちないところが出てくると、私は女にむかって短い質問をかけた。
女は単簡にまた私の納得できるように答えをした。
しかしたいていは自分一人で口をきいていたので、私はむしろ木像のようにじっとしてるだけであった。

やがて女の頬はほてって赤くなった。
おしろいをつけていないせいか、そのほてった頬の色が著しく私の目についた。
うつむきになっているので、たくさんある黒い髪の毛もしぜん私の注意をひく種になった。

女の告白はきいている私を息苦しくしたくらいに悲痛をきわめたものであった。
彼女は私に向かってこんな質問をかけた。ーーー

「もし先生が小説をお書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」

私は返答に窮した。

「女は死ぬほうがいいとお思いになりますか。
それとも生きているようにお書きになりますか」

私はどちらにでも書けると答えて、暗に女の気色をうかがった。
女はもっとはっきりした挨拶を私から要求するようにみえた。
私は仕方なしにこう答えた。---

「生きるということを人間の中心に考えれば、そのままにしていてさしつかえないでしょう。
しかし美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違ってくるかもしれません」
「先生はどちらをおえらびになりますか」

私はまた躊躇(ちゅうちょ)した。
黙って女のいうことを聞いているよりほかに仕方がなかった。

「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れてゆくのがこわくってたまらないのです。
この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂のぬけがらのように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」

私は女が今広い世間(せかい)の中にたった一人立って、一寸も身動きのできない位置にいることを知っていた。

私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。

私は服薬の時間を計るため、客の前もはばからず常に袂時計(たもと時計)を座布団のわきに置く癖をもっていた。

「もう十一時がからお帰りなさい」

と私はしまいに女に言った。
女はいやな顔もせずに立ち上がった。

私はまた「夜がふけたから送っていってあげましょう」と言って、
女とともにくつ脱ぎにおりた。

その時美しい月が静かな夜を残るくまなく照らしていた。
往来へ出ると、ひっそりとした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。
私はふところ手をしたまま帽子もかぶらずに、女のあとについていった。

曲がり角のところで女はちょっと会釈して、
「先生に送っていただいてはもったいのうございます」
と言った。
「もったいないわけがありません。同じ人間です」
と私は答えた。

次の曲がり角へ来たとき女は、
「先生に送っていただくのは光栄でございます」
とまた言った。

私は、「ほんとうに光栄と思いますか」
とまじめに尋ねた。
女は簡単に、「そう思います」
とはっきり答えた。

私は、
「そんなら死なずに生きてらっしゃい」
と言った。

私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。
私はそれから一丁ばかり行って、また家のほうへ引き返したのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

漱石のヒューマニステックな面持ちの躍如した文章だとおもいます。

僕はカウンセリングを学んでいますが、ここに漱石の、話し手、とともにある聞き手の姿を垣間見ます。

漱石は、大家ぶって、人生相談をうけ、アドバイスしようとなんかしていません。

簡単にアドバイスして解決できるような、なまやさしい問題ではなく、漱石の身に起きたとして、自分自身が絡み取られて身動きのできない類の問題で、彼は女とともに、おなじ土俵で、ともに悩んであげている、できることはそれだけなのです。

女はそうしてくれた漱石に、簡単になにやらの助言を得るより以上の、あたたなか思いやりと、救われる思いを感じたのではないでしょうか。
少なくても、話を全部聞いてくれ、自分を理解してくれる人がいる、ということを知って。

こう、理解したうえで、

何もしてあげられない自分のような者に対しても、光栄だと思う心が残っているのなら、

「そんなら死なずに生きてらっしゃい」

という言葉が、重みを増します。


<硝子戸の中>の一エピソードですが、こころに残りました。



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ウドン・ターニーに5泊して、バスでコーン・ケンに移動し、2泊。

そして、バスで今日バンコクに戻ってきました。

先週の土曜日に出発しましたので、丁度1週間の旅行でした。

(ウドンでの写真、一部追加で掲載しています。興味のある方は、過去の記事をお読みください)

ウドンからは、普通のエアコン・バスで、80バーツくらいだったか、忘れてしまいましたが、1時間45分でコーンケンの「普通」バスターミナルに到着。

一度来ているので、中級ホテルのケーン・イン・ホテルに向かって歩き出しましたが、すぐに、どうやら道がちがうことに気がつきました。

着いたのが7時で、暗くなっていたので、無駄なく、ちかくにいた女子学生風の二人ずれに聞きました。

そこまで歩いていくのだ、と言うと、それは無理よ、バスを教えてあげるから、乗り物でいきなさいよ、と言う、、、けれど、へたのバスに乗る方が、難しい。

大丈夫、歩きたいのだから、道を教えてくれくだけでいいから、と言うと、口で説明するよりも付いてきなさい、と、二人は歩き出し、クアン・ムアン通りまで連れて行ってくれました。

イサーンの人は親切。

感謝。

ケーン・インは季節割引か、夏より100バーツ安い、600バーツ。

しかし、訊くと、インターネットのWifi無線サービスが無いので、ここはパス。

次は、コーン・ケン・ホテル。

700バーツ、朝食付き、Wifi無線室内で使えて、無料。

前に一度室内を見たことがあり、古い、暗い、感じがして宿泊しなかったことがありました。

しかし、部屋が空いてるのは今日だけで、明日からコン・ケーンの教育関係のセミナーがあるとかで、いっぱいだと言います。

それなら、悪いホテルでもあるまい、と思って決定。

やはり、部屋は古い感じで、シャワーなどもあまり気持ちが良くない、ベッドは柔らか過ぎる、という程度のホテルでした。

インターネットが出来たので、1泊であれば、問題なしです。

翌朝、チェックアウトすると、650バーツでした。

なぜか分からなかったのですが、50バーツ安かった。

感謝。


それから、2泊目の宿として、先回も泊まった、ブッサラカム・ホテルへ。

ここが、一番高いので(800バーツ)、新しいホテルできれいなのですが、今回は最後の選択でした。

残念なことに、室内でWifi無線は使えるのですが、有料!

1時間50バーツか、1日150バーツをチケットを買わなければなりません。

150バーツの出費になってしまいました。

コーン・ケンは、観光都市ではないので、ホテルなどもオン・オフ シーズンはないのでしょうか。

ここは、夏も800バーツで、いつも混んでいます。


お前、なんのためにコーン・ケンに寄ったのだい、と思われそうですが、それは書かないでおきます。

文化、教育、地理、なにをとってもイサーンの中心である(と、その人は言う)、コーン・ケンを少しづつ知りたい、と思っているのです。

その人の勧めで、Nakorn Chai Airのバスにして、バンコクまで帰ってきました。

先回は、チャン旅行のVIPバスで、378バーツだったと記憶しています。

今回は、VIPバスでは無く、1等エアコン・バスだったように思いますが、414バーツしました。

座席の広さ、きれいさ、などはチャン・バスの方が良かったような気がします。

ただ、女性の車掌さんが、おやつ、お昼、バッグの出し入れ、などこまめに面倒をみてくれて、気分は良かった。

なによりも、6時間、という予定の時間通り、実際には15分早く、5時間45分で、北バス・ターミナルに着きました。

コラートに寄って小休止、ということもなく、コーン・ケンただまっしぐらにバンコク到着です。

チャン・バスの時は、6時間と聞いていたのが、実際には7時間以上、8時間ちかくかかって、なんだ、こんなもんか、と思った記憶があります。

こちらは、コラートで小休止がありました。車内にトイレがあるので、休憩はいらないですよね。
運転手が交代するのでしょうか。

また、時間によるのかもしれませんね。

今回は、8時出発で、14時着予定。

先回は、10時半出発で、4時半到着予定、すこし渋滞が起こる時間帯でしょうか。

バスを降りると、すぐタクシーとモータ・サイの呼び子が群がってきます。

地下鉄の駅まで、というと、わかった、といって連れていこうとする男がいます。

いくら?

ソーン・ロイ。

オオ、タイ語がやっと、わかった。

こいつ、200バーツと言っている。

先回は、70バーツで行った場所だ。

それで、その男を振り切って、モータ・サイの運転手の溜まり場まで、歩く。

地下鉄の駅まで。

オーケー、40バーツ。

な~んだ、40バーツなんだ。

先回の70バーツも、呼び込みで、まとわり付いてきた男のひとりだったので、ボラレテいたんだぁ。

地下鉄は、カードにプリ・ペイド・チャージして乗っています。

出るとき、チャージされていたお金では足りなくて、-7バーツと表示されたようです。

おう、なんだこれは、料金マイナスでも、通してくれるんだ!

おしゃれじゃ、ですか。

外にでて、すぐ200バーツのチャージをすると、実際には193バーツのチャージとなっていました。

タイでも、なかなか、粋なことをする。

日本では、そこで、ストップ!

ですもんね。

というわけで、どうやらこうやら、無事にラチャダーまで帰ってきました。



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土曜の夜から水曜日まで、5泊、ウドン・ターニーに宿泊しました。

中級クラスのホテル事情をいくつか紹介します。

今回泊まったホテルはバス・ステーションに隣接しているSilver Reef Hotelでした。

1泊600バーツ。クレジット・カードを使うと3%の手数料がかかります。

朝食はついてなく、朝ごはんをどうしよう?というと、近くにセブン・イレブンがあるよ、と言ってくれる。

英語は通じます。

チャンマイでは、ちょっとこぎれいなゲスト・ハウスでも、1000バーツしますので、その比較で、ウドンの安さが分かるような、気がします。

次回のために、今回泊まりはしませんでしたが、調査したホテルは下記のとおり。


Top Mansion : www.udonmap.com/topmansion

ロビンソン・ショッピングモール始め、様々な娯楽場所に近い、便利さが売り物、のような気がします。

西洋人、御用達、って感じ。

1泊、350バーツ。 1ヶ月9000バーツ。

Wifi無線のインターネットも各部屋で使える。

隣あわせに、バー街、Day & Night があって、ファランが常宿にしている理由が、よく分かる。

写真は、バンコクに戻ってから、追加します。

これが、後日追加した写真です。

udontopmansion1
アパートメント・ハウスのような感じですね。

udontopmansion2
逆から見たトップ・マンション。左にバー街が見えます。

udondayandnight
そのDay & Nightです。夜はきらびやかで、パタヤのようになります。



最後に、Karin Hotel。

ここが、一番繁華街から遠い位置になりますが、その分、静かで落ちついているようです。

ロビンソンまで、歩いて7,8分くらいでしょうか?

シルバー リーフに、600Bで泊まっている、というと、何故ガリンにしないの、と何度も言われました。

1泊、400バーツ。

同じ通りで、近くに、日本食店があるらしいです。

ちなみに、日本食店は、Kitaro改め、Sumoと、このKarin近くの店と、あともう1軒、ちょっと離れたところにあるそうです。

聞いてみると、ウドンにやってくる西洋人、というとドイツ人、フランス人、イギリス人が多く、アメリカ人はそれほど多くはない、ということのようです。

これは、タイ語学校の関係者から聞いた話です。


ウドン・ターニーは、結構、滞在するのに、良い場所のように思われました。


中途半端な記事になってしまいましたが、旅の途中、このままアップします。


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昨日会った、会計の仕事をしている彼女が、終業後、今日も18:30分にホテルまで来てくれる。

今日も、妹がいっしょで、ちょっとがっかり・・・した、かな?

昨日、僕が、タイに来て一番始めに好きになったタイ・フードがパッ・タイだと言ったので、今日はパッ・タイ屋に行く、という。

どこやらのソイの入り口にある、小さな屋台風の店で、パッ・タイ専門のお店。

店内に10個ほどのテーブルがあり、他は持ち帰りの客が、並んで待っている、そんな店だった。

アルコールもジュース、コーラも置いていない。

注文した後、彼女がビールを飲みたいになら、コンビニに買いに行こう、といって入手、持ち込みOKだ。

味は、持ち帰りの客が並んで待っているように、上々だった。

支払いは、気が付かない間に、彼女が済ませていた。

udonprajackpark
噴水が見えますか。


食事が終わってから、プラジャック公園に、散歩に行く。

8時を過ぎていて、広い池のまわりの明かりは少し暗めだった。

人はまばらだったが、広い場所なので、全体の人数として多いし、警官が出ていて、安全な感じの場所だ。

夜の噴水を背景に写真をとったり、池のまわりをゆっくり歩いた。

(写真を掲載できず、残念です。デジカメからPCにデータ転送するケーブルを忘れて来てしまったのです!)

日本だったらカップルの天国のようなベンチが並んでいるが、それほど睦みあっている姿はなかった。

彼女の妹が、後ろからくっついてくるので、彼女と手もつなげない。

これで、彼女も、楽しいのだろうか。。。あはは(自分勝手な思い込み)


公園に沿って走る道路には、駐車している車で隙間がない。

道路沿いによるだけできる屋台群に客の姿はまばら・・・。

この時間、8時は、早い時間なのか、遅すぎるのか・・・分からない。

旅行者が少なくなってしまったのか。


1時間ほど、散歩して、妹が風邪をひきかけていることもあり、昨日より早い時間の9時には、帰っていった。


9時に、ホテルに帰って、ちょっとくつろぐ。

ウドーンは、夜になると、寒い。

バンコクなら、夜でもTシャツで済むが、ここでは長袖がいる。。。という程度だけれど。



ところが、僕の時間はこれで終わったわけではなくて・・・。

もう一人のペン・フレンドBと午前中に連絡が取れて、お昼のデートの約束があった。

11時に会おう、という約束をしていたのだが、その11時に彼女はこなかった。

電話をすると、あと1時間待って、という。

僕は、約束を守れない人は、遠慮する、といって電話を切った。

しようがないので、せっかく歩いてきたロビンソンのモールをあちこち覗いて、本屋に入り、カレンダーの面白いのがないかなぁ、とか探していると、その1時間が過ぎてしまった。

12時に、Bから電話が入る。

モーターサイクルで市内まで15分くらいのところに住んでいて、今、着いた、今、どこにいるの?
ロビンソン。

私の職場は、チャルンシーの中のお店だから、今から30分会えるけど。

ということで、モールの中のカフェに座り、コーヒーを飲んで話をした。

仕事が10時で終わるから、その後でまた、会いましょう、と言い、2度目の約束をする。


その10時がやってきて、今度はBから電話があった。

モーターサイクルでホテルに迎えに来てくれる。

軽い食事でも、というと、Bはそれほど食欲はない、といったが、それじゃ今日が、15日間やっていいたフェステバルの最終日だから、そこへ行って、なにか食べよう、となる。

Bの運転するモーターサイクルの後ろに乗る。

夜は警官がいないから、ヘルメットしなくてもいいけど、あなたかぶる?と訊いてきた。

安全のことを、気にしてくれたのだろう。

しっかりつかまるから、心配しないで。

と言って、後ろに乗って、しっかりBに抱きついて、走っていくことができた。

やわらかくて、気持ちが良かった。


ところが、着いた場所、なんと、昨日行った、同じフェステバルだった!

昨日よりさらに多い人数が出ていた。

1時間ほど、射的をしたり、大きな円筒の内部をバイクが水平に駆け回るショーを覗き、バイクどころか中に窮屈そうに入っていたピックアップ・トラックまで、水平に走って、驚いた。

ホテルに近くに戻ったのは、11時半ごろ。

お酒を少し飲みたいと言うと、近くのバーまで行って、Bはハイネケン、僕はビア・ラオを飲んだ。

2,3軒Barが並んでいるところで、西洋人の客ばかり、何人かづつ。

Bと一緒だったので、バー・ガールはビールを運んでくるだけ。

30分ほど飲んで、ホテルに戻り、ちょっと部屋を見ていかないか、というと見るだけよ、といって着いてきた。

お花や彫り物を売るお店をやっている妹と住んでいる、、、というような話をして、1時過ぎに、帰った。

Bが帰ってから、また少し本を読んでいると、おかしなことが起こった。

ドアをとんとんトンと叩くものがいる。

誰?

と訊いても返事がない。

放っておくと、3分くらいして、またとんとんトン。

一瞬Bが戻ってきたのかな、と思ったが、妹のところに帰らなければならない、と強く言っていたから、彼女のはずがない。

誰?何が欲しいの?

と訊いたが、返事なし。


実は、この日、午前中、ホテルのロビーに、ホンダの販売店に勤めている25,6の女が、名刺を持って僕に近づいてきた。

友達はいるか、私では、どうだ、というのである。

なんだ、こりゃ?

ホテル・フロントの女が、それを見ていて、あなたラッキーね、彼女車を持ってきて、あなたにウドンを案内してくれるよ、などと言う。

察するところ、このフロントの女が、一人旅の日本人に、斡旋しているらしい。

その時は、Bとの11時の約束があったので、今は話ができない、名刺をもらっておくから、後でまた話しをしよう、といって話しを断った、という経験をしていた。

その女が、フロントの女の手引きで、入ってきたのか、とちょっと不気味になって、そのまま、こちらからは無言で、放っておいた。

それから、2度ほど、とんとんトンがあったが、やがてしなくなった。

このホテルは、24時間入り口にホテル従業員が起きて、管理しているので、フロント手引き女ではないかもしれない。

だとすると、ホテルに同宿している誰か、なのだが、そんなことがあるのかぁ・・・・と思いながら、寝付いてしまった。

なんだか、いろんなことがあった、二日目でした。


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ウドーン・ターニーのセンターポイント・ナイト・マーケットでタイ食屋台を経験しました。

昨日の午後3時ごろから、
携帯電話のメールで連絡を取り始めたペン・フレンドと、会えるのかどうか分からないやり取りをして、
4時間も経って、ついに諦めて、一人食事に外へ出た。

やりとりは、1時間置きに1回返事があるのみで、今日会える、どこのホテルか、ウドンから15キロかかるから待っていて、ごめんなさい家族が外で、、、という分かったような分からないような、短文が返ってくるだけのメールでは、なんともおぼつかなく、なった。

それで、7時を過ぎたころ、まだ自宅を出て居ない様子だし、もう今日はダメだと思うから、無理して来ないで、またの機会にしよう、というメーッセージを打って、外へ出た。

ホテルのある小路から大通りに出たところで、電話が鳴る。

彼女からだが、なんだか、言っていることが、よく分からない。

今日は無理して来ないで、言ったことに対して、大丈夫行けるから、と言ってるのだろう、と思い、本当に無理して来ないで、食事にも遅くなったし・・・と言っていると、メールをするから、と電話が切れた。

すぐ、メールが来て、「今、ホテルの前に居る」という。

戻ってみると、ホテルの前で、16歳の妹を連れて、車で来ていた。

なんだか、ほっとするやら、疲れるやら、どっと力が抜けたが、さっそく食事に行こう、という。

タイ料理で大丈夫、というので、大概は大丈夫と応えると、連れて行かれたのが、鉄道駅のそばのセンターポイント・ナイト・バザールの屋台群だった。

考えてみると、こんなに大きな屋台広場で、食べたことは無かった。

実際には、昨年バンコクに初めて来たとき、ルンピニー公園の屋台広場で、ステージの音楽を遠くに聞きながら食べたことがあるけれど、その時は、なんにも意識してなくて、完全におまかせ状態でその場にいたので、その特徴がとく分からなかったのだ。

彼女が、すべて注文してくれた。

これは助かります、初対面で、タイ料理の何を食べるか、聞かれることで、いつも困っています。

自分で選んで、結局、なにを食べたかわからないで、おいしくもなく、終わってしまう。

タイ料理のメニューを研究する気持ちのかけらもない、自分が悪いのですが・・・。

とにかく、イサーン料理らしいものがテーブルにどっと並んで、豪華。

彼女が、500バーツ札を出して払おうとするので、いや僕が払うから、と財布から同じく500バーツ出そうとすると、彼女が僕の手を押さえて、僕の財布を覗き込んで、つまみだしたのが、200バーツ。

それで、おつりが、20バーツ返ってきました。

え~そんな値段なの、ってビックリ。

3人で、楽しく食べました。

妹は、高校生で、英語を学校で勉強している、と言っても、ほとんど話せず、ただ気持ちのやさしい子らしく、にこにこおしゃべりをしてくれます。

食事は終わると、9時だったのですが、あと2時間、車で、ウドンを案内する、ということになって、

BigCや、Lotusや、(もう少しで、カルフールも建つそうです)、プラジャック公園などを回り、ツンシー・ムアンのフェステバル広場へ。

なんだかでかいフェステバルの最中のようです。

中に入ると、あちこちに音楽ステージはあるわ、移動遊園地はあるわ(アメリカの秋にあちこちで行われる祭みたい)、見世物、郷土土産店、射的、屋台、などなど、非常に大きなお祭りのようです。

その一つのステージの前に沢山の観客が居て、その中の一群に、彼女が近づいて行きます。

熱心に見ていた年輩おばさんの肩を叩いて振り向かせると、お母さん、と言って、紹介する。

な~んだ、いろいろウドンを案内する、という中に、母親の紹介も入っていたのか、って。

舞台を見ている最中なので、お互い話をすることはなく、ワイして、握手して、そのステージの場を離れ、僕たちはモダンな音楽をやっている別のステージへ。

彼女が、会う連絡ししているときに、「家族が外で。。。」とか言っていたのは、家族でウドンにやってくる、その連絡に手間取っている、ということらしかった、とこの時気が付きました。

10時半に、ホテルに戻って、一日の終了。


今、泊まっている、シルバー・リーフ・ホテルも、600Bで、バス・ターミナルにも近く、結構満足ですが、上に書いたセンターポイントのナイト・バザールに近い、シティ・ロッジというホテルも、よさそうです。
シティ・ロッジは、500Bから。
両方とも、ロビンソンのあるショッピング・モールまで、歩いて5,6分です。

Siver Reef Hotel : www.silverreefudon.com

The City Lodge : www.udonmap.com/thecitylodge

udoncitylodge
泊まらなかったシティ・ロッジの方の写真を撮ってきました。


ホテルに帰って、寝る前に、また漱石を読みます。

ドストイエフスキーについて、こう書いていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼には、 人の知るごとく、子供の時分から癲癇の発作があった。
われら日本人は癲癇と聞くと、ただ白いあわを連想するにすぎないが、西洋では古くこれを「神聖なる疾(やまい)」ととなえていた。
この神聖なる疾におかされる時、あるいはその少しまえに、ドストイエフスキーは普通の人が大音楽を聞いてはじめていたりうるような一種微妙の快感に支配されたそうである。
それは自己と外界との円満に調和した境地で、ちょうど天体の端から、無限の空間に足をすべらして落ちるような心持ちだとか、聞いた。
               
             「思い出すことなど」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

漱石自身、神経症とか(ある精神分析者は分裂症だとも言った)言われた人だけに、病に対する、温かい目があるのかもしれない。

僕は、これを読んで、なんだか救われるような気がしました。

すべてが万事、悪いこと、ということはないんだ、僕が知らなかった、これからも知らないであろう、経験を沢山しているんだ、ということを知りました。


近くにこの疾病を抱えた人を知っているので、特にそう感じているのです。



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旅行に出るとき、それがどんなに短い、例えば1泊の旅行であっても、なぜか本を携えていかねば、落ち着かない。

必ず、手持ち無沙汰のなる瞬間があって、その隙間を無駄なく過ごそうとする、貧乏症のせいかもしれない。

今度も、漱石の「硝子戸の中」文庫本を持って出た。

案の定、1泊目に、寝付かれず、ページを繰ってみる。

< あるほどの菊なげ入れよ棺の中 >

という有名な句がある。亡くなった知人の夫人へのたむけの句である。


この句に至る心境が、「思い出す事など」、に語られている。


漱石が伊豆で療養しているとき、大出血して殆ど死に掛けた。

ある新聞では、漱石死亡、の記事まで出たほどの重症であったが、奇跡的に一命を取りとめ、東京に戻って、その回復の日々を「思い出す事など」として綴っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分は今危険な病気からやっと回復しかけて、それを非常なしあわせのように喜んでいる。
そうして自分のなおりつつあるあいだに、容赦なく死んでゆく知名の人々や惜しい人々をいま少し生かしておきたいとのみこいねがっている。
自分の介抱を受けた妻や医者や看護婦や若い人たちをありがたく思っている。
世話をしてくれた朋友やら、見舞いにきてくれた誰彼やらにはあつい感謝の念をいだいている。
そうしてここに人間らしいものが潜んでいると信じている。
その証拠にはここにはじめて生き甲斐のあると思われるほど深い強い快い感じがみなぎっているからである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもに増して、自分を取り巻く人によって、支えられている自分を深く自覚し、人間関係ももたらす快さに、人生の生き甲斐すら感じている、と述べています。

この時に病床で読んだ宇宙論から、

一方で、人間の一生が、ほんの一瞬であり、自然のたわむれごとであることにも、

深くこころ沁みるように感じています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
物理の原則のよって無慈悲に運行し情義なく発展する太陽系の歴史を基礎として、そのあいだにかすかな生を営む人間を考えてみると、われらのごときものの一喜一憂は無意味といわんほどに勢力のないという事実に気がつかずにはいられない。

この山とこの水とこの空気と太陽のおかげで生息するわれら人間の運命は、われらが生くべき条件の備わるあいだの一瞬時ー永劫の展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時ーをむさぼるにすぎないのだから、はかないといわんよりも、ほんの偶然の命と評したほうが当っているかもしれない。

種類保存のためには何々の滅亡を意とせぬのが進化論の原則である。
1匹の大たらが毎年生む子の数は百万匹とか聞く。
牡蠣になるとそれが二百万の倍数に上るとという。
そのうちで生長するのはわずか数匹にすぎないのだから、自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上はおそるべく残酷な父母である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした非情な自然の掟をみつめると、逆に、またいっそうに、この与えられた命の尊さ、その価値に思いいたるのでしょう。

迫りくる思いのたけをこめて。

さきに他界した大磯の知人夫人に対して、

詠んだ句。

< あるほどの菊なげ入れよ棺の中 >


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今回のタイ国内旅行で、初めてポータブルPCを持って出かけました。

前から、泊まるホテルの施設などで、Wifi無線サポートあり、という表示があるのには気が付いていて、多分使えるのではないか、とは思っていました。

しかし、パソコンが、バッテリー、電源コードなどを入れると、2KGくらいにはなるようで、重い、ということもあり、持って出かけたことはありませんでした。

それで、旅先ではネットカフェを探しに苦労し、見つかってもスピードは遅い、基本的にはメールを使うだけ、という状況でした。

しかし、今度の旅行は、はっきりぶらり旅で、途中何泊するか分からないので、パソコンを持って、無線サポートを使ってみようと、思った次第。

今回は、ウドン・ターニーまで飛行機で飛んで、コーン・ケーン、ナコーン・ラチャシーマー(コラート)とバスで南下しようと考えての旅です。

そのウドンの第一泊目なんですが、

泊まるシルバー・リーフ・ベッド・アンド・ブレックファスト、1階のレストラン(食堂、という感じ)のスペースでWifi無線が使える、

とチェックインの時に聞きました。

食事を終えて、いざ、使ってみると、簡単(当たり前?)に使えました!

いわゆる、Wifi無線カードを持っていれば、そのまま、何もしないで使えました。

Wifi無料サービスを行っているコーヒーショップでは、そのお店のWifi NetIDなどを選択するステップがあるのですが、ここでは、それもなく自動的につながりました。

スピードも申し分ありません。

自分のアパートの1Mサービスより、速いくらいです。

これで、旅先からもメールだけでなく、ブログの更新なども、出来そうです。

このホテルは、ウドン・ターニーの長距離バス・ステーションの横にあり、「地球の歩き方」にも載っている、中級ホテルです。

クィーンサイズ・ベッドの部屋が、600バーツ。

さっぱり、きれいで、便利に使えそうです。


というインターネットを使えた、という満足感で、今日もところは、といたします。


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対ドルがついに90円を割り込み、80円台に突入した、というニュースが昼頃わかり、へ~すごいことが起こるもんだ、と感銘。

対バーツも円高で、100円が39バーツを越えた、という。

バーツ交換は、1月まで控えておこうと思っていたんだけれど、さすがに、ドル88円とかは、そんなに続く気がしなくて、少しだけでも変えておこうと、セントラル・ワールド向かいのスーパーリッチに行ってきました。

すぐ手前にバンコク銀行があるので、銀行のレートとスーパーリッチのレートを比較できます。

僕が、そこに着いたのは、39バーツを越えた、というニュースから2時間も経っていたので、レートは下がっていました。

バンコク銀行が100円、38.30バーツ、 スパーリッチは38.70バーツ。

いつもなら、スーパーリッチは銀行レートに比べ100円当り、0.5バーツ良い、という定説があるらしいのですが、さすがに今日のようなダイナミックな動きの時は、その差も縮小するのか、0.4バーツ差でした。

これで、来タイしての両替は、3回とも10万円ずつなのですが、3815、3830、そして今日、3870と昇り調子です。

年明けには、4000Bを越えて欲しい、とは思うけれど、どうでしょうか。

アメリカは大統領の交代、日本は3代に渡って1年未満の超短命政権になりそうな気配、そしてタイはまだ一波乱ありそうな雲行き、そんな政治的不安定な状態での、大不況への突入です。

タイちゃねる、というサイトからの情報です。
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アユタヤはひどいといわれるけどどこもかしこもダメダメ。
Hも今月~来年第一四半期で30~40%ダウン、Tも同様。Iは40~50%、M(M&F)は工場ロックアウト中。
NとMは50%ダウンといってるけどそれ以下。あ、Gは本当に工場再稼働できるのか疑問符付き。
ざっくりとした予想では今月と来月は8,9月頃の半分。

Tが期間工1,200人解雇(再契約なし)もちろんその他メーカーもそれに続く。電子部品、衣類系も最悪。
期間工解雇、正社員自宅待機(給与75%)、正社員解雇と続いていくのかな?ちいさな工場等では撤退も
視野に入れた検討が始まってる。

日本ではTが新規投資(金額の小さな金型等まで)を発表した瞬間に金型メーカーが3社つぶれたとか。
タイでも家電、自動車に供給してた設備、金型メーカーって今年は調子がよくて設備投資とかしてたのに
それが一転して注文半分~無し。こりゃ大不況到来ですな。来年からはほんとに失業者があふれて治安が
悪化しそうですな。
               H:ホンダ T:トヨタ N:日産、などなど
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイランドnewsclipでは
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【タイ】タイ・ホテル協会によると、反政府デモよるバンコクの2空港閉鎖で、加盟ホテルの12月の客室稼働率が10―20%に落ち込んだ。例年フル稼働に近い状況となる年末年始も予約が30%止まりという。
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そしてバンコク週報では
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南部リゾート、「ダメージは津波以上」

 タイ南部パンガー県で観光客が激減していることへの対策会議が開かれ、観光業者から政府機関や銀行などからの特別支援を求める声が相次いだ。

 リゾートホテルチェーン「カタ・グループ」経営者で、プーケット県議会議員を務めるタンヤラス・アチャリヤチャイ氏は現状について、「2004年のインド洋大津波の時よりも深刻」と指摘する。カタ・グループのホテルだけでも予約は70%減少しているという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

円高ですから、日本からの海外旅行者は、勢いづくでしょう。

しかし、日本の旅行業者は、危険とレッテルを貼られたタイへのツアーは、組まないでしょうね。

アメリカへより行き易くなったでしょうし、ウォン暴落の韓国では、今年年初より、2倍の円の価値がある、と言われたり、日本人旅行者にとっては、よりどりみどりですね。

しかし、政局不安定で、空港占拠など平気でややってしまう国、タイへの旅行者は、激減です。


せめて、今、タイに居て、単純に円高を享受できそうな僕は、せいぜい国内旅行をしてあげよう、という気になります。

ということで、明日から、小旅行をしますので、ブログもちょっとお休みです。


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昨日のブログの記事で、タイの政治の話題をしばらくおあずけにしようと思ったのですが、読者の三嶋さんからのコメントに、また刺激されてしまいました。

今日も、ちょっとだけ、タイ政治への感想です。

地図を読めないタイ人
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東南アジアの地図はすべて外国人が作製し、タイの一地域だけの地図さえもタイ人がつくったのは19世紀始めだった。
そのためもあってか、タイの人々の地図やグラフを、描き読み取る能力は著しく低い。

                        「タイ」 安田靖 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地図の読めない、苦手なタイ人というのは、タイで暮らしてみると、どの日本人でも必ず出くわすことでは、ないでしょうか。

タイ生活のまったく短い僕でも、タイ人が地図をみて想像力を働かせるのが、いかに不得手かという発見をするのに、時間はかかりませんでした。


計画を立てられないタイ人
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイ人が、グループでどこか小旅行をする、なんて時を想像すると、また、西洋人との違いを感じる、と言います。

皆で合意した「計画」なるものは、全然重みをもちません。

あなたは十分に柔軟にならなければならない。

彼らは、最終目的地に着くまでに、なんども、なんども、タクシーに新しい目的地を告げ、ぐるぐるまわって、やがてたどり着く、というわけです。

あなたが、みんなと一緒に何かをやることに決定したとしても、それが実際に実行されるまでは、何が起こるのかまったく予想できない、のです。

         11月30日 当ブログ A・Hicks 「マイ・タイガール&アイ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、僕のブログの上記事の記事ように、多くの人が指摘していることで。


やりすぎるまでやらないと分からないタイ人
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<タイ人気質から見る政府側の意向>

「批判を受けてまで職に恋々としない」「出処進退を明らかにする」「責任をとって辞任する」といったことは日本人にとって美点ですが、タイ人にとっては美点ではありません。

温暖な気候で土壌も豊か・海産物も豊富で災害が少ないタイでは、先のことを深く考えなくても生きていける環境であるため、タイ人の先を見通す能力は日本人に比べて劣っています。

プロの将棋では王将が詰まれるまで普通は指しません。途中で形勢不利になれば投了するか、どう指しても詰んでしまう「必死」の型にはまってしまえば投了します。

しかし先を見通す能力と潔さを美点としない民族にとって王将が詰むまで将棋を指し続けるでしょう。

スワナプーン占拠は将棋に例えると大手飛車取りぐらいのダメージですが、「まだ王将が詰んでないも~ん」と指し続けるでしょう。


<タイ人気質から見る反政府勢力の意向>

「過ぎたるは及ばざるが如し」「中庸」「腹八分目」といったことは「やりすぎ」を嫌う日本人にとって普段から心がけているものですが、タイ人は「やりすぎ」を嫌いません。

目的を達するためには、タイが諸外国からの評価が下がろうとも経済的に困ろうとも意に介さず行動を起こし続けるでしょう。

スワナプーン空港占拠によって今の政府は今後外国の圧力を受けることになります。もともと「潔い進退」など考えもしないタイ人同士なので、最初から外国の圧力による政権交代を期待していることから今後も事態がエスカレートすることが予想されます。

 この記事は、僕がよく読ませてもらっている「タイ・ビジネスコラム」の鎌田さんの文章です。
                   11月27日付け:空港を占拠する目的

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上のことから、PADが、始めに、何を目的として、スワンナプーム空港に乗り出したかを思い出してください。

単に、ペルーの国際会議に出席していたソムチャイ首相の帰国を、空港という水際で阻止しよう、という、そんな目先だけの目的で、1万人を移動させたんですよね。

そこには、その先に起こるであろうことの、予測はなんらありません。

いきあたり、ばったり。

ソムチャイが、スワンナプーム以外の空港に帰着する、

なんてことも予測できないくらいですから、

この空港強奪が、どれほどタイという国の威信を、国際的に貶めることになるか、

などという予見のかけらももてないPADのリーダー。


下記に添付します、三嶋さんからの提供情報、タイの「政治・社会論」専門の赤木名誉教授によれば、この「鎖国」という愚挙は、タイ歴史始まって以来のことだといいます。

タイはこれまで、常に対外的には「開国」友好路線で、それが「微笑みの国」のもとである、といいます。

そんなことなど、一切知らず、また結果どんな影響をタイ国に及ぼすかも知らずに、こんな行動をとってしまったPADは、どうしようもなく、上記に述べたタイ人気質丸出し、なわけですね。

今もって、彼等は、自分の犯した事の重大さに気が付いていないようです。

世界の笑いものになって、あるいは、国の威信を壊滅させて、すなわち王様が笑いものになり、王様の国際的威信が失墜する、という愚挙を、何故に国王が喜ぶはずがあるでしょうか?

国王が誕生日の恒例のスピーチが出来なかったこと、その一端に、なんということをしてくれたのか、という苦渋の気持ちを表現しきれない、悩みがあってのことだと、思いいたさないのか。

PAD一派は、そのスピーチでお褒めのことばをもらえる、と思っていた、というのですから、いかに、深く物事を見極める能力に欠けているか。。。

とことんまで、結果をみないと分からない国民ならば、実際の失業者、不況、犯罪などをが目について現れるであろう、来年まで待たないと分からないのでしょうね。

まぁ、そうなれば、成功は自分のおかげ、この悲惨は、他の誰かの責任、というでしょうが。。。


ということで、今、タイでは、未曾有のことが、起きている、ということは下記の赤木名誉教授の指摘しているところです。

15年以内にタイは共和制になる、という予測をする人もいます。

王政復古などという、専制政治を求める、国民が愚民だからデモクラシーは実現できない、

などという輩は、自らがいかに国王の気持ちを逆なでしているか分かっていない、、、

我が国民を愚民呼ばわりされて喜ぶ王様がいるであろうか、

自らの国につば吐きかけるような思想、

愚民の国王、などではなく、近代国家として他国の尊敬を集める国の国王でありたい、

そう思っているに違いないではないか。

それを阻むものが忠臣面して、ものの道理をわきまえず、王のためと信じて繰り返す愚挙に、ほとほと困り抜き、国の将来を危ぶみ、悩んで居られるのが、プミポン国王、一人ではないか?

「裸の王様」、というのは王様が愚かなお話ですが、

いまのタイは、逆に「裸の臣民」、と呼べる状態で、

臣民は己の愚かさに気づかずアホな行動を繰り返し、

王様だけが国際的視野、将来を展望をもとにした思想をもって、悩んでいるように思えてならないのです。



最後に、三嶋さんのコメント情報を、ここにコピーします。
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タイ研究者のコラムから
【コラム】「足留め=鎖国」は伝統的対外姿勢に反する事態、おそらく史上初】12月11日13時13分配信 NNA

《筆者》大阪外国語大名誉教授(タイ政治・社会論)・赤木攻 氏

実は、先月末から今月はじめにかけてのスワンナプーム空港とドーンムアン空港の閉鎖に伴い、私も多くの人々と同様に足を留められた。チエンマイで仕事を終えたその日(11月26日)に、バンコクへの便はおろか、すべての国際便が飛ばないことを知らされ、やはり頭を抱え込んだ。タイ研究者にとってこれは貴重な経験であり、ここはじっくり構えて、10日間ぐらいの滞在延長は覚悟しようという気持ちも強かったが、その一方では日本で待ち構える会議などの日程調整と関係者に与える迷惑のことが気になった。陸路、ラオスや雲南に出ることは可能か、いやシンガポールへ列車で行こうかなどと、いくつかの案が浮かんだが、いずれも諸事情を考慮すると賢明な方法ではないことが判明し、とりあえずバンコクへ出て、事態の解決を待つことにした。なるほど、チエンマイからバンコクへの10時間ばかりの「バス旅行」は、それほど楽しいものではなかった。その後、なんとかウータパオからの特別便で帰国することはできた。

この「足留め=鎖国」はタイの伝統的対外姿勢に反する事態であり、おそらくは史上初であった。古くは19世紀の半ばからの西欧植民地勢力の圧力を何とか逃れ、政治的独立を維持できたのは、当時の開明君主による開国政策の故であり、その後タイは一貫して外との交流を重要視してきた。第2次大戦期の外交などを例に「タイ外交」といわれるほどの一定の国際評価を受けるまでになった背景には、外との関係に鋭敏な能力を備えていると指摘できる。また、多様な民族からなる一般社会もきわめてオープンであり、よそ者を受け入れるに躊躇しない社会である。「微笑みの国」といわれるのは、このオープン性のことであり、観光産業を支えている最大の要因でもある。だから、タイ国民一般はもちろんのこと外国人にも多大な迷惑をかけた今度のような不法占拠は、タイ的文脈では、本来あってはならないことなのである。

また、このような事態を引き起こした理由のひとつとして、タックシンの個性をあげるタイ人が多い。たしかに、1932年の立憲革命以来タイ現代政治史を彩った数多くの政治リーダーを思い浮かべても、彼のような個性は初めてであるといわざるを得ない。首相在任中に外国のサッカーチームを商売の対象とする感覚は、理解に苦しむ。離婚という非常手段を使ってまでもの、権力と富のとどまる所を知らない追求の姿勢にも驚かされる。もっとも、彼には、一部で囁かれているように、大権力者として君臨するといった大きな野望があるのかもしれない。としても、その手段と執念の深さに驚き、さらには国益への考慮のなさに首をかしげる。主として知識人の間で、「タックシンは、タイ人ではない」という声が大きいのもうなずける。

こうした事態の中であるだけに、ほとんどの国民は国王の誕生日前日(12月4日)の恒例の「お言葉」を待ち望んでいたに違いない。しかし、健康がすぐれないということで国王のお姿はなく、皇太子とシリントーン王女殿下が代理を務められた。これも初めてのことである。そこに、今度の事態に対して王室が苦悩している姿を感じざるを得ない。

チエンマイの街では、赤服を見かけることが多かった。タイの友人からは、「あなたは、赤色ですか、黄色ですか」とよく尋ねられた。どうやら、職場などでも、この質問が流行っているらしい。国民の色分けである。このことは、従来の政治的対立が軍部を含む官界・政界内で生じたのに対し、今回は国民の間の対立に拡大していることを物語る。これも、初めての現象である。ちなみに、私は、「その昔チュラーの文学部で勉強したので、灰色(文学部のカラー)です」と答えることにしてはいるが。
 
少なくとも以上のような「初もの尽くし」がみえてくる「足留め」事件は、現在のタイがまったく新しい状況を迎えつつあることを示唆しているのかもしれない。タイは、混乱をもたらした1970年代の左右対立を克服し、1980年代には「国王を元首とする民主主義」制による安定した政治を確立したが、それから約30年に至らんとする今日、その構造が揺らぎ始めたのかもしれない。いずれにしても、「足留め」が垣間見せたタイの今日的状況は相当深刻であるといわざるを得ない。

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このエッセイを読むと、赤木名誉教授は、突然タクシンの名前を出して、この「鎖国」という暴挙を起こしたのは彼に原因あり、としていますから、反タクシン派なのですね。

広義には、PADの騒動はタクシンあって起こったわけですが、「鎖国」行為そのものは、PADが行った暴挙であり、その直接の愚かな責任者になんら触れて居ないのは、論旨がゆるくて、僕としては、あまり感心しないエッセイです。

ここで、また言いますが、僕はタクシン派を応援しているわけではありません。
今、あまりにも、二者択一の考えが強すぎるタイの政治状況です。

公平な見方をしようとだけ心がけての、感想文です。


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昨日まで3回に渡って翻訳していた週間エコノミスト紙が、不敬罪に触れるとして、タイ書店チェーンのアジアブックスにて販売中止になりました。

読者の三嶋さんから、その情報が寄せられています。
(コメント欄をごらんください)

予想通り、やっぱり、という感じですね。

また、僕が、自分の英語の勉強と称してコツコツ翻訳などをしていたのですが、なんとエコノミストには、日本語オンライン・サービスがあるんだと、これも三嶋さんから、教えてもらいました。
(これも、コメント欄をご覧ください。EIS版の翻訳もコピーされていますので、僕の翻訳が読みずらかった人は、もう一度こちらの翻訳を読んでみてください)

タイの書店で販売中止になりましたが、Economistの原文は、www.economist.comで読むことが出来ます。

また、このサイトには、その記事に対するコメントが、膨大な数、寄せられていますので面白いです。



一方、政局は、過去にタクシンの右腕と言われた旧タクシン派のリーダーが、民主党に寝返って、どうやら、次期首相は、民主党主のアビシット氏に決まりそうです。

それでも、国会召集が、12日以降、とすぐには行われないのが、釈然としませんが、もうこれくらいで、収めて欲しいもの、と願っています。

とにかく、この国難に対処する、政府を樹立することが、急務だと思います。


アメリカに端発する世界不況が起ころうとしています。

特に、長らく経済の中枢の位置に君臨してきた自動車産業の未来が狂ってきた。

アメリカのビッグ3の経営破たんはもちろん、日本でも車が売れなくなって来ています。

タイはアジアのデトロイト、と言われるくらいに、自動車産業が大きな比重を占めます。


・10月の設備稼働率66% (乗用車など低下)

・政府へ支援援助要請へ (自動車部品業界)

・GM 東部エンジン工場の建設中断

・来年GDP成長率2%も (1999年以降最低)

・対ドル・バーツ相場 (21ヶ月ぶり安値)

・航空業に巨額損失 (バンコク2空港閉鎖の直接影響)

・農産物被害1日3億バーツ (空港閉鎖)

・観光シーズンの収入半減も (業界予測)

・来年の外国人旅行者半減 (副首相が予測、8月以降の推移を見て)


この年末から来年にかけて、あちらにも、こちらにも、大量の失業者があふれ出ます。

国際信用も破綻しています。

その外国自体が、大不況に窮しています。

こういう時期に、政権をになうことは、政治家冥利につきるかもしれませんが、成功するかどうか、

困難度は超超の大きさで、結果貧乏くじ、とも成りかねません。

タクシン派も、もうがたがたしないで、ここは、アビシットにまかせて、彼の手腕を見ればいいではないか、と思います。



ということで、政治の行方、新しい与党の取り組み、興味深々です。

この経済的混乱で、タイで仕事をしている人達は、駐在の人であれ、現地採用の人であれ、いろいろ影響があって、大変そうです。

僕のような、仕事を持たないロングステイ組は、ここ当分は、却って有利な風が吹きそうです。

バーツが安くなる話だけですが。

僕は、この前日本に帰ったのが11月8日で、その時は、10000円ー3145バーツでした。

それが、昨日、スーパーリッチで交換したら、10000円ー3810バーツです。

20%の円高になっています。

これが、3800B台で落ち着くのか、来年1月には、さらなる円高が来て、4000B台になるのか、といろいろ予測が飛び交いますが、バーツ高になる、と見ているひとはいないようです。

上の、タイの状況では、バーツ高はしばらくありえない、というのが納得するところです。

タイの新政権が、失敗しても、このまま円高が続くでしょうから、ロングステイ組は、平気です。

新政権が経済回復の成功すれば、タイは安定社会になるわけですから、ロングステイ組にとって、もとの鞘に納まった、ということでうれしいでしょう。

しかし、新政権が失敗した場合、もう一度政治の混乱が起き、その先は、かなり深刻な状況になる可能性があると、思います。

なお、上のエコノミストのリード・ストーリーを翻訳しているとき、一番気になったのは、国王が変わった時、タイがどうなるか、ということでした。

それは、いつか。

遠い先の話でしょうか?

その時、ロングステイ先としてのタイはどうでしょう。。。

だから、目が離せませんん。





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週間エコノミストの12月6日号の、トップ記事「王様と彼等」の翻訳の、3回目です。

なんで週刊誌の1ページ分の翻訳にそんなにかかるの、と思われるかもしれませんが、

夜になって書き始めるのと、(今日は、午前中、街に出かける前に、書きます)

いろいろ気になって、あちこちインターネットをみたりと、脱線することが多く、進みません。

自分では、良い意見で、タイを理解するうえで勉強になった、と思うのですが、他にひとにとっては、どうなのかなぁ、と思っていました。

それでも、自分の英語の勉強になるので、こうして3回もかけて翻訳しているのですが、

今日、うれしいことに、「拍手」が第2回目の記事にありました!

どなたか、参考になった、と思ってくださった読者が居て、安心しました!


というのも、最近、このブログの読者がどんどん減っていて、

ブログランキングも、2週間前の5位から、急落、

現在10位で、早晩20位くらいまで落っこちそうな気配は、

なんだか、○○内閣支持率を思わせます。

へへ、そんな喩えは失礼し過ぎですね。


ただ、パール・バックの話なんかは、自分では一所懸命の心うちなんですが、タイ関連では無いですので、誰も最後までは読んでくれまい、と思ったりしていました。

しかし、このパール・バックのお話しにも、「拍手」を送ってくださった方がいます。

ああ、こころが通じる人がいた、うれしい、と思いました。


ブログ・ランキングのクリックと、拍手が、書き手が受け取るメッセージになります。

よろしくお願いしますね。



では、本題にもどります。


全文、通しで読めるように3回まとめてアップしました。


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The Economist December 6 issue

economistthai


王様と彼等

タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任

タイの観光ビジネス、その輸出産業界、そしてタイ国の威信そのものが、最近の事件により、メチャメチャに破壊された。
君主主義者の群れが政府公舎を何ヶ月も占拠し、あげくにタイ国際空港を強奪したのである。
警察は彼等を立ち退かせることを拒否し、軍は立ち退きに協力することを拒否した。
今週、この強奪は、裁判所が、与党3党を解党するということで、終了した。
しかし、与党連立グループは、新党を準備し、継続して政権を維持しよう言って、新たな紛争の予感がする。
これは、あたかも、現代的な国と見せかけた(1980年代から1990年代早期までの成功のおかげ)うすっぺらなベニヤ板が、もろくもひっぺがされた、という感じである。
ついこの間まで、アジアの多様な民族国家の模範、とさえみなされていたタイランドは、一挙に無政府状態にすべり落ちてしまった。
紛争は3年前に始まる。腐敗に反対する平和なデモ・グループと権力乱用のタクシン政府がぶつかった。
政府反対者は、王室象徴の黄色いシャツを着、タクシンを共和主義者に近いヤツ、と非難した。
そして、君主主義者の軍司令官が、2006年、クーデターを起こし、タクシンを失脚させた。
しかし、デモクラシー再生を謳った昨年の総選挙で、タイ国民は、タクシン支持派グループを選択したのである。
不適格な使いかたで命名されたPAD(People's Alliance for Democracy)グループが、政府反対の運動を復活させ、さらに暴力的な戦術が拡大するにいたって、タクシン系政府支持者が赤いシャツを着て、反抗するという行動を導きだしたのである。

話してはならないこと。

この紛糾の間中ずーっと、語るにはばかられる大事なこと、それはタイの報道だけでなく、ほとんどの外国人レポーターも語れないこと、それはプミポン国王と、その家族、そして王宮の近しい取り巻きの果たしている役割である。

世界で最も苛烈な強制力を持った「不敬罪」という法が、たとえばタイの社会生活における王室の役割といった、もっとも穏やかな内容の議論さえ、行うこと妨げるのである。

この様な法は、世界のほかの国ではどこでも、廃止されているのもかかわらず、タイでは1970年代により過酷になったのだった。

不条理極まりないのは、どこの誰でも、不敬罪で訴えることができるようになったことである。

警察は、ほんの取るに足らないような不満でも、真剣に取り組まなければならない。

この法は、すべて、政治家やその他、思惑を持つものが、それを笠に着て、敵を攻撃しダメージを与える、手軽なツールになってしまっている。

王様に不快な思いをさせたと疑われた場合に、その真の意図やいきさつ等を、説明・弁明することさえ、しばしば、許されない報道状況なので、結局タイ国人は、何が本当に「不敬」なのか、知る由がないのである。

不敬罪、という法律はそれ自体、暴力である。

それは、デモクラシーを主張するどの国においても、強化されてはならないものである。

さらに悪いのは、この法が、この国の慢性的な苦痛の理由のなにがしかを、タイ国民の目から隠してしまっていることである。

王様自身が見做している”mess"タイランドータイの混乱、窮地ーは、62年間の統治期間の間に王様自身によって行われた干渉にも、その芽があるのである。

来るべき王位継承の問題も、その窮地の一因をしめしているであろう。

この12月5日、王様の81歳の誕生日を祝う場にあたり、、この問題がより鮮明に浮き出されてきた。

王様の干渉がいかほどこの国の政治を傷つけてきたかどうか、誰も知らない、なぜならタイ国民は、聞くことを許されなかったからである。

何人かの人は、我々の批評に気分を害するかもしれない。

しかし、我々は彼等にとって無益な、不当な主張をしているわけではない。

タイはもっと開かれた議論ーopen debate-を必要としている。

王冠を継承する王が、より崇敬される度合いが少なかろうと予測される場合に備えたい、と思えばなおさらである。

国が、おとぎ話版の、タイの歴史を書くのは決して良いことではない。

おとぎ話とは、王様は決して間違いをしない、王様は政治の上位に存在し、つねにデモクラシーを守るときだけ介入してきた、というお話しである。

これらは真実ではない。

タイの公式バージョンの歴史は、様々なエピソードにより成る。

例えば、1992年の事件の時、プミポン王は、血塗られた独裁者を失脚させ、国をデモクラシーの道に戻された。

しかし、他の多くのあまり誉められ難い干渉は、報道されることなく、ほとんど議論もされなかった。

1976年には、共産主義の脅威に過敏になり、右翼自警団の増大を大目に見逃した、その自警団がその後、非武装の学生デモ隊の殺戮に、加担したのである。

冷戦時代、アメリカは、プミポン王を信頼できる同盟とし、経済的バックアップを与え、王のイメージアップ戦略支援したのである。

この長期の同盟関係と、過酷な不敬罪という法が、西洋の外交官、学者、そしてジャーナリストをして、舌を噛ませ、批評の口を封じたのである。

2006年、プミポン王統治になって15回目のクーデターのあと、当局は外国人報道者に、軍司令官の権力の強奪に対して、王様は、手続きとして不本意ながら認めたのだ、との説明にやっきになっていた。

タイ国民は、全く反対のメッセージを受け取っていた。

国王は、直ちにクーデター実行者に謁見を許した、彼等の行動を誉め、認可した、という報道が、写真付きで、新聞社によってばら撒かれたのである。

真実は、王様はクーデターに対しては、常に不愉快の念を表明する有能な人なのである。

軍隊を引き連れて彼を脅そうが、ひざすり寄って願いでようが、王様は常に不快をもって認めているだけなのである。

彼は、別の方法でも力を及ぼしている。

2006年以来、その時王様が、裁判所に、政治の危機のときはアクションを取るようにと命じたために、裁判所はその言葉を、タクシンとその一派を締め出すことが王様の望みであると解釈したようで、
ごく最近の与党解党裁定につながっていくのである。


もうおとぎ話の未来はない


タイの君主主義者の想像力の範囲では、彼等の国は、まるでブータンのようで、王様が、ちっぽけな人数の国民によってカリスマ的にあがめたてまつられ、デモクラシーよりは王様ルールを選択する、ということになる。

真実の姿は、国民の怒りが、クィーンが暴挙するPADを支援したことや、プミポン王後継者のくすぶりつつける適格度合いに、向けられているのである。

それは、最近起こったネパール王国の運命と同様のリスクを、タイ国にも課すことになるであろう。

ネパールでは、激しい市民戦争を苦しみ抜いて、干渉しつづけた王が、いまや共和国のただの人、になっている。

王宮に可愛がられたPADは、今や、王宮をがけっぷちに追い込もうとしている。

ここ数日間の、強固に残るイメージは、王様の肖像を頭上に抱えながら、激しく政府支持者にむかって発砲するPADの、あのイメージである。

君主政体は、今、過去より更に明瞭に、この国の問題の部分である。

それは、おそろしいほどに階級的で、不公平な社会の頂点に立っている。

そのあり方について議論するべき、と考え、賛同するには、なにも共和主義者である必要はない。

エコニミストの記者は、王様の誕生日のお祝い前夜のプレスに参加し、王様が体調悪く、恒例の国民へのメーッセージは無い、と伝えられた。

だから、いまだに王様は、黄色いシャツの群が王様の名前で代理行動をとったのだとする主張を、公式に否認する機会をもっていない。

王様の長い沈黙は、タイ国の法の役割について、大きなダメージを与えている。

王様は今でも、いや王様以外が誰もがなしえない、命令によって、旧態依然とした不敬罪という法と、
その法律上の表現を廃止する、力となり得るのである。

それが、タイ国の将来を、正しく議論し、行動することを可能にするのである。

王様は、2005年に、その志しの一端の一刺しを、述べられた。

すなわち、国王といえども批評の対象になる、と言われたのである。

しかし、法律上の変更はなにも起きていない。

タイ国の友人達は、これを、言うべきでる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長文、読了、お疲れさまでした。


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週間エコノミストの12月6日号の、トップ記事「王様と彼等」の翻訳の、昨日からの続きです。

昨日の分も、いっしょに、通しで読めるようにしました。


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The Economist December 6 issue

economistthai


王様と彼等

タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任

タイの観光ビジネス、その輸出産業界、そしてタイ国の評判そのものが、最近の事件により、メチャメチャに破壊された。
君主主義者の群れが政府公舎を何ヶ月も占拠し、あげくにタイ国際空港を強奪したのである。
警察は彼等を立ち退かせることを拒否し、軍は立ち退きに協力することを拒否した。
今週、この強奪は、裁判所が、与党3党を解党するということで、終了した。
しかし、与党連立グループは、新党を準備し、継続して政権を維持しよう言って、新たな紛争の予感がする。
これは、あたかも、現代的な国と見せかけた(1980年代から1990年代早期までの成功のおかげ)うすっぺらなベニヤ板が、もろくもひっぺがされた、という感じである。
ついこの間まで、アジアの多様な民族国家の模範、とさえみなされていたタイランドは、一挙に無政府状態にすべり落ちてしまった。
紛争は3年前に始まる。腐敗に反対する平和なデモ・グループと権力乱用のタクシン政府がぶつかった。
政府反対者は、王室象徴の黄色いシャツを着、タクシンを共和主義者に近いヤツ、と非難した。
そして、君主主義者の軍司令官が、2006年、クーデターを起こし、タクシンを失脚させた。
しかし、デモクラシー再生を謳った昨年の総選挙で、タイ国民は、タクシン支持派グループを選択したのである。
不適格な使いかたで命名されたPAD(People's Alliance for Democracy)グループが、政府反対の運動を復活させ、さらに暴力的な戦術が拡大するにいたって、タクシン系政府支持者が赤いシャツを着て、反抗するという行動を導きだしたのである。

話してはならないこと。

この紛糾の間中ずーっと、語るにはばかられる大事なこと、それはタイの報道だけでなく、ほとんどの外国人レポーターも語れないのこと、それはプミポン国王と、その家族、そして王宮の近しい取り巻きの果たしている役割である。

世界で最も苛烈な強制力を持った「不敬罪」という法が、たとえばタイの社会生活における王室の役割といった、もっとも穏やかな内容の議論さえ、実施すること妨げるのである。

この様な法は、世界のほかの国ではどこでも、廃止されているのもかかわらず、タイでは1970年代により過酷になったのだった。

不条理極まりないのは、どこの誰でも、不敬罪で訴えることができるようになったことである。

警察は、ほんの取るに足らないような不満でも、真剣に取り組まなければならない。

これ法が、すべて、政治家やその他、思惑を持つものが、それを笠に着て、敵を攻撃しダメージを与える、手軽なツールと化した。

王様に不快な思いをさせたと疑われた場合に、その真の意図やいきさつ等を、説明・弁明することさえ、しばしば、許されない報道状況なので、結局タイ国人は、何が本当に「不敬」なのか、知る由がないのである。

不敬罪、という法律はそれ自体、暴力である。

それは、デモクラシーを主張するどの国においても、強化されてはならないものである。

さらに悪いのは、この法が、この国の慢性的な苦痛の理由のなにがしかを、タイ国民の目から隠してしまっていることである。

王様自身が見做している”mess"タイランドータイの混乱、窮地ーは、62年間の統治期間の間に王様自身によって行われた干渉にも、その芽があるのである。

来るべき王位継承の問題も、その窮地の一因をしめしているであろう。

この12月5日、王様の81歳の誕生日を祝う場にあたり、、この問題がより鮮明に浮き出されてきた。

王様の干渉がいかほどこの国の政治を傷つけてきたかどうか、誰も知らない、なぜならタイ国民は、聞くことを許されなかったからである。

何人かの人は、我々の批評に気分を害するかもしれない。

しかし、我々は彼等にとって無益な、不当な主張をしているわけではない。

タイはもっと開かれた議論ーopen debate-を必要としている。

王冠を継承する王が、より崇敬される度合いが少なかろうと予測される場合に備えたい、と思えばなおさらである。

国が、おとぎ話版の、タイの歴史を書くのは決して良いことではない。

おとぎ話とは、王様は決して間違いをしない、王様は政治の上位に存在し、つねにデモクラシーを守るときだけ介入してきた、というお話しである。

これらは真実ではない。

タイの公式バージョンの歴史は、様々なエピソードにより成る。

例えば、1992年の事件の時、プミポン王は、血塗られた独裁者を失脚させ、国をデモクラシーの道に戻された。

しかし、他の多くのあまり誉められ難い干渉は、報道されることなく、ほとんど議論もされなかった。

1976年には、共産主義の脅威に過敏になり、右翼自警団の増大を大目に見逃した、その自警団がその後、非武装の学生デモ隊の殺戮に、加担したのである。

冷戦時代、アメリカは、プミポン王を信頼できる同盟とし、経済的バックアップを与え、王のイメージアップ戦略支援したのである。

この長期の同盟関係と、過酷な不敬罪という法が、西洋の外交官、学者、そしてジャーナリストをして、舌を噛ませ、批評の口を封じたのである。

2006年、プミポン王統治になって15回目のクーデターのあと、当局は外国人報道者に、軍司令官の権力の強奪に対して、王様は、手続きとして不本意ながら認めたのだ、との説明にやっきになっていた。

タイ国民は、全く反対のメッセージを受け取っていた。

国王は、直ちにクーデター実行者に謁見を許した、彼等の行動を誉め、認可した、という報道が、写真付きで、新聞社によってばら撒かれたのである。

真実は、王様はクーデターに対しては、常に不愉快の念を表明する有能な人なのである。

軍隊を引き連れて彼を脅そうが、ひざすり寄って願いでようが、王様は常に不快をもって認めているだけなのである。

彼は、別の方法でも力を及ぼしている。

2006年以来、その時王様が、裁判所に、政治の危機のときはアクションを取るようにと命じたために、裁判所はその言葉を、タクシンとその一派を締め出すことが王様の望みであると解釈したようで、
ごく最近の与党解党裁定につながっていくのである。


もうおとぎ話の未来はない


時間です。。。とほほ。。。翻訳し切れなかった。

残りの4分の1、もっとも大事な「結」の部分は、また明日。

こんなことを書いて、僕の英語の勉強になるだけですけど。。。



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1日のバンコク入りの予定が、PADの25日の空港占拠により、あれよあれよと、予定通りの来タイが不可能になる経過の中で、いやおうなく、タイの政治について、学ばせられることになってしまいました。

今までは、タイの本などを読んでも、政治や歴史(政治向きの話が多い)はすっ飛ばして、文化や、人や、レジャーや、食べ物などの話ばかりに興味の目を向けていたように思います。

そして、バンコクにロングステイらしきものを始めると、バンコクの市民自体が、ほとんど政治に無関心、どこでどんなデモがあろうが、だれが血を流そうが、いつもと変わらぬ毎日を送っているように見え、自分にもまったく影響のないこと、のように思えたのでした。

しかし、直接、誰かの政治活動によって、直接影響や被害を受ける立場になってみると、やはり無視はできなくなります。

まして、それが、タイの国自体の、対外関係に甚大な影響を及ぼす事件だったりすれば、間接的にも、いつかは自分にも跳ね返ってくることになります。

というわけで、この数日間、あれこれとインターネットを通して、PADだ、タクシンだ、という記事やブログのエッセイなどを読んできました。

一言でいうと、どうもしっくり理解できない。

双方の立場を代弁する主張はわかったけれども、双方とも、デモクラシーという観点に立てば、違うじゃないか、という感じがぬぐえないのです。

とくに気味が悪いのは、PAD派で、マスコミも正面切ってPAD支援とは表明しないまでも、PAD支援の論調は明々白々。

そのPADが、公選は3割でいい、愚民がマジョリテイの国であれば、それが妥当な民主政治だ、という主張を、マスコミが支持している、ということが怪しすぎる。

公選3割の政治は、民主政治ではなく、専制政治だということぐらい、共通の常識基盤として、話したり、書いたりするのでなくては、公的な役割を果たしているジャーナリズムとは、言えない。

だから、タイのマスコミは、ほとんど、眉唾ジャーナリズム。

タクシンの欠点、非難は、いたって明瞭・明白に伝える。

しかし、PADに対しては、非難ところか、本来ジャーナリズムに必要な「批評」すらしない。

このご時世に、である。

100年に一度の経済危機だと、世界中で大騒動になっているこの時期に、である。

ASEANが、ヨーロッパのEUと同様の、独立した実体組織になろうとする、ASEAN全体の命運を担うであろう大会議の主催国として、任命されている、この時期に、である。

そんなことは、一切、無視して暴走するPADに対して、「批評」の一言も吐かないマスコミなんて、ジャーナリズムのお面をかぶって、ある特定グループのためのちょうちん記事を書くだけの存在だけでしかない。

僕は、タクシン派を応援しているわけではない。

しかし、なにかが、おかし過ぎる、と感じているのです。


そして、今日、The Economistの、The King and Them という巻頭記事に、出会いました。

王様と彼ら、 というのは、ご存知、王様と私、をもじった表現ですね。

リードが、「タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任」という内容です。

ここで、The Economistは、明確に、タイのデモクラシーの崩壊、と言っている。

これが、公平な見方ではないのか。

タクシンも悪い、PADも悪いのです。

こういう意見を、公平な分析を、聞きたかったのです。

この内容が、100%正しくないものだったとしても、このような公平にと意識した意見というものに、出会っていなかった。

そこで、この内容を翻訳してみようと、思いました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
The Economist December 6 issue

economistthai


王様と彼等

タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任

タイの観光ビジネス、その輸出産業界、そしてタイ国の評判そのものが、最近の事件により、メチャメチャに破壊された。
君主主義者の群れが政府公舎を何ヶ月も占拠し、あげくにタイ国際空港を強奪したのである。
警察は彼等を立ち退かせることを拒否し、軍は立ち退きに協力することを拒否した。
今週、この強奪は、裁判所が、与党3党を解党するということで、終了した。
しかし、与党連立グループは、新党を準備し、継続して政権を維持しよう言って、新たな紛争の予感がする。
これは、あたかも、現代的な国と見せかけた(1980年代から1990年代早期までの成功のおかげ)うすっぺらなベニヤ板が、もろくもひっぺがされた、という感じである。
ついこの間まで、アジアの多様な民族国家の模範、とさえみなされていたタイランドは、一挙に無政府状態にすべり落ちてしまった。
紛争は3年前に始まる。腐敗に反対する平和なデモ・グループと権力乱用のタクシン政府がぶつかった。
政府反対者は、王室象徴の黄色いシャツを着、タクシンを共和主義者に近いヤツ、と非難した。
そして、君主主義者の軍司令官が、2006年、クーデターを起こし、タクシンを失脚させた。
しかし、デモクラシー再生を謳った昨年の総選挙で、タイ国民は、タクシン支持派グループを選択したのである。
不適格な使いかたで命名されたPAD(People's Alliance for Democracy)グループが、政府反対の運動を復活させ、さらに暴力的な戦術が拡大するにいたって、タクシン系政府支持者が赤いシャツを着て、反抗するという行動を導きだしたのである。

話してはならないこと。

翻訳、はじめのさわりだけ、という印象ですが、今日は、ここで終わります。

あした、また、続きます。


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5日にスワンナプーム空港が全面復帰する、というニュースが入って、7日の予約を入れていた便を一日繰り上げる変更をしました。

5日の夜バンコクを発つSQ632が、6日の朝7時について、折り返しSQ531便となって、9時30分に出発することになります。

つまり、再開後して、シンガポール航空の成田往復の第一便になる飛行機です。

再開早々なので、予約のまま7日にしておこうかな、と始め、ちょっと考えました。

遅れたり、問題があったりしないか、と思ったことと、

日本でタイ行きを待っていた人がどっと押し寄せて、混むではないか、と思ったのです。

僕の場合、アパートの電気代等の先月分が未払いで、電気が止められても困るので、なるべく早めに帰る必要があって、おそるおそる、7日に変更した次第です。

朝、7時15分前、空港のシンガポール航空カウンターに到着すると、いつもならすでに長い列で7時のカウンター・オープンを待っている人が、いません。

僕の前には、たった一人、ぽつんと待っているだけでした。

出足が遅いなぁ、と思っていました。

チェックインを済ませ、買い物などをして、シンガポール航空SQ631の出発ゲート41に行って、びっくり。

いつもなら、何人もの人が待っているベンチがほとんど、空っぽ。

ボーデング開始、30分前です。

naritag41


あの空虚な混乱の後遺症を、まざまざ見せ付けられた感じがしました。

まぁ、今日は、復興初日ですから、こんなものかなぁ、とも思いますが、

いやいや、これはかなりひどい現実になるかもしれない、

という予感もします。

どうしてもタイに戻らなければならないタイ人達は、臨時空港を使って、5日までにはほとんど帰っていたそうです。

タイにレジャーで行きたい、と思っている日本人は、再開早々われ先に、ではなく、飛行機代がやがて安くなるだろう時を見越して、すこし出発をずらしているのでしょうか。


それでも、ボーデング時間には、なにがしかの人がやってきましたが、飛行機に乗ってみると、稼働率は、20%くらい。

がらがらで、ゆったりできたのはいいけれど・・・。






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一昨日、カウンセラー仲間と会って、久しぶりに日本語の長い会話を楽しみました。

とても、気持ちが穏やかになり、帰りに、寝ながら読む本でも買おう、という気持ちでブック・オフを除いてみました。

こういうときは、結構いい本に巡り合います。

ふと目に付いたのが、パール・バックの150ページに満たない薄い本。

中国が舞台の「大地」を書いたこのノーベル賞作家に、興味をもったことはいままでありませんでした。

しかし、この本は、彼女の障害をもった娘さんの話です。

” 私は、この物語を書こうと決心するまでにはずいぶん長い間かかりました。
 これはうそ偽りのない本当にあったことなのです。
 そして、そのためにこれは話しにくいことなのであります。・・・・・
 しかし、私はとうとうこの話を書くべき時がきたと決心しました・・・・
 私の子供ー彼女は知能的には幼児の水準から一歩も発育しない子供の一人です。  ”


この先を読む前に、次のムービーをご覧ください。(明治生命の宣伝つもりではありません。)


●あなたに会えて良かった。動画のクリック

http://stream.bmgjapan.com/oda_kazumasa/meijiseimei_cm/11_broad.asx


パール・バックが、自分と自分の子供に起こったことを書こう、
という気になったのには、いくつかの理由がありますが、
知能の発育の遅れた人たちの命の、
われわれ人間社会における重要性やその意味について、
彼女自身が納得するに至ったというのが、
一番の理由でしょうか。
(同じ問題に悩む実に多くの家族のためになればいい、という思いは当然ですが・・・。)

数多い神の子のうち、この子供たちより無邪気なものはありません、と彼女はいいます。

” 正常なお子さんたちの方が、望みの無いお子さんよりは確かに社会のためになるでしょう。
 しかし、果たしてそうでしょうか?
 私は自分の娘からいろいろのことを学びました。
 まず、娘は私に辛抱することを教えてくれました。
 娘は私に、人間とは何であるかということを教えてくれたのでありました。
 私は人の心はすべて尊敬に値することを、
 すべての人は人間として平等であり、
 そして万人はみな 人間として同じ権利を持っていることをはっきり教えてくれたのです。
 
 娘はまた、知能が人間のすべてではないことも教えてくれました。 
 娘ははっきり私に話すことはできませんでしたが、その意志を私に通ずる道はほかにありました。
 娘の性格にはなにか異常なほど一貫したものがあったのです。
 彼女にはすべての嘘がはっきりわかるようでした。
 そしてどんな嘘も彼女は決して許しませんでした。
 娘は何か偉大な純粋さをもっていたのです。

 もし彼女と同じ寄宿舎に住む、他の子供が大声で泣いたりすると、
 娘はどうしてその子が泣いてい るのかをみようとそばに飛んでいきます。
 そして他の子供がその子をたたいたり、あるは世話をするひとが余りにきつく怒ったりしたことがわかると、彼女は大声をあげて舎監さんを探しに行くのです。
 彼女は、他の子供をいじめる子に立ち向かってゆくので、学校でも評判になっているのでした。 
 彼女は不正なことを黙って見ていられない性質なのです。 ”

三歳になっても話せない娘のことをおかしいな、と思い始めてから、パール・バックが歩んだ苦難の道が書かれています。

150ページに満たない小冊子のなかに、感動的なエピソードがちりばめられていますが、ここですべてを紹介できません。

健康で、力と活気と知性に満ち溢れて成長したパール・バックは、こどもを何人も欲しいと思っていましたが、結局はこの娘がただ一人の実の子供となります。

パール・バックは父が宣教師として赴任していた中国で生まれ、英語よりも中国語を先に覚える、という環境で育ちます。
大学以降の高等教育はアメリカで受けますが、中国に戻り、南京大学の教授と結婚します。
1921年に娘キャロルを生みます。

障害を持って生まれた自分の子供に理解を示さない夫と離婚し、自立の道を歩みます。
彼女が得たほとんどの収入はこの娘にそそがれていました。

 
取り除くことの出来ない悲しみとともに、生きていくにはどうすればよいか、どのようなプロセスを通して人はそうなっていくかを、彼女は自身の体験として書いています。
(このプロセスは、キューブラー・ロスが「死ぬ瞬間」で描いてみせた、死とそれを受け入れていく過程、と殆ど同じように思えます。)

まず、「どうして私はこんな目にあわなくてはならないのだろう」という、否定、怒りの感情から、絶望にいたります。
やがて、同様な体験している人々がいかに大勢にることかに気がつき、他の人が悲しみとともに生きることを悟ることができたのなら、自分にもできるに違いない、と思うようになります。
悲しみとの融和は、あるがままのものをそのまま受け入れることでした。
そして子供の将来についての方向を決心することができるようになり(当時彼女は中国に住んでいて、中国革命という事件も、その決心の発端となります)、彼女は、絶望から這い出ていきます。

” そして私の魂を、反抗によって疲れさせることはやめました。
 私はそれまでのように、「何故」という疑問を次から次にもたなくなりました。
 しかしそうなった本当の秘密は、私が自分自身のことや悲しみのことを考えるのをやめ、そして子供のことばかり考えるようになったからでした。

 私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしているかぎり、人生は私にとって耐えられないものでありました。
 そして、私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだ、ということを理解できるようになったのです。  ”

そしてそれから、彼女は、娘の生きている意味や、価値について、つまり人間精神について、娘から学ぶ一年間へと入っていくのです。

” 私が申し上げているように、
ご両親は自分の子どもの生命が決して無駄ではなく、
たとえ限られた範囲であっても、人類全体に対して何らかの価値をもっていることを知って慰められるに違いありません。

 私たちは喜びからと同じようにまた悲しみからも、
 健康からと同じようにまた病気からも、
 長所からと同じようにまた短所からもーおそらくはその方がより多くのことが学び得られるのです。

 人の魂は十分に満たされた状態から最高度の域にたっすることは滅多になく、逆に奪われれば奪われるほど伸びていくものです。  ”


「ひとりの人間のいのちが、人類全体にたいして何らかの価値をもっている」、という言葉は、僕には、次のジョン・ダンの詩を想い出させます。

「いかなる人も、一つの自己完結的な島などではない。
人は誰も、大陸の一片であり、本土の一部なのだ。
たとえ一片の土くれでも海水に洗い流されたならば、ヨーロッパはそれだけいっそうちいさなものとなってしまうのだ。
それは、君の友人、または君自身の所領が洗い流されることと同じなのだ。
いかなる人の死も、私をそれだけいっそう小さなものにしてしまう。
なぜなら、私は全人類のうちにその一部として含まれているのだから。
だから、弔いの鐘が誰のために鳴っているかを知ろうと、人をつかわしてはならない。
それは君自身のために鳴っているのだから。」

この詩は、ヘミングウェイの小説「誰がために鐘は鳴る」の巻頭に掲げられています。
また、アンソニー・ストーの「人格の成熟」の第二章で引用されています。(この本は、精神分析的な意味において「自己実現」とはなにか、を語っています。ジョン・ダンの詩に、久しぶりに再会したものでした。)

パール・バックは、1930年、キャロルを終の棲家であるニュー・ジャージーの養護施設・研究所にあずけることになります。
1931年に「大地」を出版、ピューリツア賞を受けます。
「大地」には、主人公の子供として、一人の白痴の娘が登場するそうです。
(僕は、「大地」を読んでいません。)

パール・バックは実の子供としては、キャロル一人でしたが、やがて多くの子供たちの里親になっています。
アメリカの軍人が駐留先のアジアで置き捨てた混血児たちを養子・養女として引き取り、立派な国際人として育てるために、1948年には「 ウェルカム・ハウス 」を開設しています。そこには常時30人~50人ほどの混血児たちが共同生活をしていたそうです。
1973年没。
(感謝・合掌)

参考:
AUTHOR: John Donne (1572–1631)
QUOTATION: No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main. If a clod be washed away by the sea, Europe is the less, as well as if a promontory were, as well as if a manor of thy friend’s or of thine own were: any man’s death diminishes me, because I am involved in mankind, and therefore never send to know for whom the bells tolls; it tolls for thee.


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キリストが弟子たちに話した言葉の中で、一番難解だと言われているのが、

「持てる者はさらに与えられる。持たぬものは持つわずかすらも奪われる。」

というタレントの例えです。

(一番、というのは、言葉のあやで、他にも難解な言葉は多数あるでしょうが、僕が今手にしている本には、これが一番、と書いてあります。
ちなみにその本とは、斉藤ひとりさんの変な本です。)

この言葉につまずいて、一日中、考えていました。
あるイメージを掴んだんですが、その間、ネットをあちこち見て回っていて、そのイメージに関連するような(と、僕は内心思っているけれど)、また一見無関係にもみえる(けれど、とてもこころ打つ)、お話しを三つ、見つけました。

日記として記録するためにここに貼り付けますので、一緒にお読みいただければ、と思います。

一つ目と二つ目は、おばあさんの話。
三つ目はお母さんの話。

ありがとうを言えなかった、あるいはまだ言っていない、すべての人たちへ願いを込めて。
もちろん、自分自身も含めて。


○ 「ばあちゃんと過ごした日」という動画です。
   クリックするとダウンロードが始まります。それが終わったらスクリーンの右下の三角マークをクリックして読み進んでください。

 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=19867


○ 2CHに取材したお話しです。おばあちゃんと女の子のお話し。

 http://1yoshi.zero-city.com/html/200310.htm#baachan


○ 2CHに取材したお話しです。お母さんと男の子のお話し。

  http://1yoshi.zero-city.com/html/200310.htm#baachan


涙した人も、しなかった人も、
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憲法裁判所が、現政府側3党の解党を命じると同時に、幹部の被参政権を5年間にわたって剥奪したことから、首相の失脚、政府の解体が決定しました。

これで、PAD側の勝利宣言が出され、空港及び主要政府施設へのテロ行為を中止する、という運びになりました。

空港は、正式には15日まで閉鎖という発表があるらしいのですが、一方、可能な限り速やかに、使用可能にする、24時間以内に、離着陸可能であろう、とう話もあります。

貨物航空は、3日から再開されるようです。

空港で、まず行う修復作業は、ゴミの清掃だ、ということで、タイトルの文言を詠みました。

やれやれ、やっと、めどが着いた、かにみえます。

安心は、できません。

僕の場合でいうと、昨日シンガポール航空から電話があり、7日出発の便に予約変更したところでした。

なんとか、7日までには、回復してくれ~ぃ、という期待です。


安心できない、というのは、司法によって解党が決まり、現政権者たちが失職しても、現政権・与党6党の連立が解体したわけではないのです。

与党議員37名が議員失職しましたが、残ったのが268名。野党は134名。与党はまだ2倍以上、なのです。

昨年の選挙は、これほどの、大差のついた、選挙だったのですね。

解党された党の党員は、新たに作られた「タイ貢献党」か、既存の与党に登録すれば、継続して新たな政府を作れるということです。

ソムチャイ首相失職のあと、即、副首相が代理首相となり(この人は、解党された党の幹部ではなかったので、議員辞職はしなくてよい)、その新体制をつくるための、国会を運営するでしょう。

だから、現与党は、与党を継続し続ける。

司法に、総選挙を命じる権限はなく、与野党を交替させることもできないのです。


今回の決着が、司法によって、一見決着がついたような、あおる報道がタイではめだつようなのですが、(僕は、Bangkok Postと The NATIONのWebしか見ていないので、言いすぎかもしれません)、決着はついていないんですね。

ますます、混迷の度合いを深めてしまうのでしょうか?


やはり、4日に行われる国王のメッセージがどんなものになるか、それが決め手となるのでしょうか。


一応の形を整えて、その日を迎えるために、PADもメンツを作ってもらって、退却できた、ということでしょう。


そもそも、この司法の裁定というのも、野村監督流に言えば、「出来レース」で、始めから裁定は決まっていた。

世界の常識ならば、被告側最終弁論の日に、弁論を聞き、最低1日は審議の日をもち、翌日裁定をくだす、というのでしょうが、弁論ヒアリングの後、即裁定、というスピード決定です。

親与党は、司法によるクーデターだと言っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
解党判決は事前に予想されていた。憲法裁判所は、タクシン元首相派と反タクシン派の対立が激しくなった06年以降、タクシン政権時代の与党の解党やサマック前首相の失職など、「タクシン派つぶし」への加担とも受け取れる判決を連発していたからだ。

 現在の政治対立は、タクシン政権時代に利権を侵食されたタイの伝統的支配層が復権をもくろみ、市民連合を「前線部隊」として「政界からのタクシン派の放逐」を図ったことが最大の要因だ。司法界のトップエリートである憲法裁判事は、旧支配層に近い人物が主流を占めている。
 
      毎日新聞 2008年12月2日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これらの実態は、国際的な司法の世界において、タイの司法の信頼度を、下等なレベルにまでおとしめることになるでしょう。


しかし、それでも、タイの司法も解党裁定をくだす、ことしかできないのです。


厳として、総選挙で選ばれた圧倒的多数の声が、与党議員の数として、存在する。

一方、司法も、軍も、警察も、マスコミも、陰で資金提供する財閥も、反タクシン、一辺倒である。

この後者のグループが、上の毎日新聞に言う、タイの伝統的支配層、の傀儡である。


いくら選挙でお金をばらまいても、あれほどの選挙の差はでないでしょう、とうのが僕の感覚です。

農村部の人間、お金もらうだけもらって、いやなら投票は別にする、こともできるでしょう。

なぜ、タイ北部や、東北部の住民が、タクシン派に投票したか。

タクシンが北部チェンマイ出身で、芯から北部、東北部、また都市部の低所得層を支援してくれる、格差社会を一歩でも改善してくれる意志をもっていてくれる、と信じているからではないか。

伝統的支配層は、口では格差社会の是正などという謳い文句はいうけれど、実際を示したこともないし、実は、格差社会を温存したい、それが自分たちの既得権益を保持することなのだ、というグループなのですよ。

タイは、今、大きく、ねじれている、と思います。(日本のねじれ国会のレベルではない)

これを、国王様はタクシンが嫌いだ、ということをそのまま信じて(あるいは、信じるふりして、便乗して)、伝統的支配層は、強気で、王政復古、などとまで言っている。

王政復古、なんて、国王がほんとに望んでいるのかぁ。

立憲君主制を、専制君主制にもどしたいと、言っているかぁ。


本当に、国王はタクシンを嫌いなのか?

性格的には、嫌いだろうと、想像できます。

しかし、本当に、タクシンが行ったことを、すべて嫌悪しているか?否定しているか?

97年の通貨危機以来、壊滅してしまったタイ経済。

その直後の政権は、IMFの資金援助を身代に、IMFの指示どおり、緊縮経済路線で行き、失敗。

その後を受けて登場したタクシンは、積極的な経済優先主義のもとに、タイの経済を立て直し、IMFからの借金も返し、貧困層に目を向けた政策を実行し、うんぬんかんぬん、という実績を、すべて否定していると、いうのだろうか?

きっと、そうでは、ないだろう。

タイ・ジャーナリズムの欠陥が、あるのだろう、と思われる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
タイは噂の町といわれる。そのためか、新聞には、引用が多い。「・・・・・といわれている」という記事を読むたびに「なぜ、われわれに電話して、事実確認(裏)をとらないのか」と思うことが多すぎる。比喩的発言も、引用されつづけるにつれ、いつの間にか事実として受け取られてしまう。
また、類推のよる発言も多い。ある行動を見て、裏になにかがあるに違いない、とするのである。
たとえば、タイに円借款がだされる。低金利であるとすれば、日本の企業に落ちるようになっているに違いない。日本が損をするはずはない、と」

      「タイ」  安田靖
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

すべて、国王様の望むように、などと称して、実は自分の既得権益を減少させる芽をつぶそう、としているように、見えるのだが、どうであろう。


そんなことは、みんな、わかっているよ、

という声が聞こえるような、気もします。

日本人にとっては、おかしなタイの方が、いいのさ。

だって、タクシン時代にはうらみ骨髄だよ、風俗の深夜営業を禁止、しやがって・・・!


おい、おい、日本人さんたちよ。


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在タイ日本大使館のメールなどを見ても、まだタイから日本に戻れない人で、大変な状態が続いているようです。

1万人居ると言われていた、足止めを食った日本人も、50%は帰国できたようですが、すでに1週間を過ぎてからですから、なんの慰めにもならないでしょう。

信用を勝ち得るには、数年、数十年の地道な努力と実績を積み上げることが要求されますが、信用を失うには、1日の出来事で十分です。

これは、個人でも、国家でも同じでしょう。

タイ国も、営々として築き上げてきたかに思える、東南アジアにおける平和で、民主的国家としての優等生のイメージを、一挙に政治的三流国に、自ら堕してしまった出来事でした。

戻れない人に比べれば、これからタイに行こうとする人間の被害は、あまり重要ではないかもしれません。

特に、僕の場合のように、遊びに行く人間などは。

しかし、遊びに行く人間だけではなく、どうしても行かなければならない要件を抱えている人も、多いだろうと、想像します。

僕の場合は、12月1日のシンガポール航空だったのですが、スワンナプーム空港の閉鎖が1日まで、と発表された29日に、シンガポール航空から電話がありました。

行けるようになったら、すぐ行きたい、旨を伝えると、それでは3日の便に変更しておきましょう、ということになる。

実は、観光ビザのダブル・エントリーを持っているので、その入国期限が12月8日となっています。

それで、なんとか8日まではタイに入りたいのです、と伝えると、

シンガポールに行き、そこからタイの臨時空港に行く、という方法はあります。

1日にシンガポールに出て、2日にシンガポールからタイへ、という臨時便ですが、どうしますか、と言います。

利用はしませんでしたが、このシンガポール航空の対応には、ちょっと感心しました。

さすが、世界ナンバー1の人気を保つ航空会社だ、信用したくなる会社、だと思いました。



日本で行われた日本語スピーチ・コンテストで、タイの学生が優勝したことがあったそうです。

「タイ」 安田靖著  から引用します。


日本人は「マイペンライ」という言葉を誤解している、というのが優勝スピーチの内容だった。

この言葉は「どういたしまして」とか「ご心配なく」といった、やさしく美しい言葉なのに、

日本人はとかく「気にしない」とか「なるようになるさ」という意味にとっている。

それは困る、という主張だった。

確かに本当の意味は「どういたしまして」であろう。

お礼を言われたときの返事であり、他人への思いやりの気持ちを表す表現である。


しかし、基本になる意味と、今日実際に使われているときの意味は、必ずしも一致しない。

「マイペンライ」という言葉を初めて聞いたのは、秘書が小さいミスをおかしたときだった。

ミスを指摘したときに返ってきたのが「マイペンライ」、

こんなミスなんて気にする必要はいわよ、といいたそうであった。

いささかショック。

その後も、

車をぶつけられたあと、ぶつけた本人が「マイペンライ」。

買おうとした品物の傷に気づき、注意すると売り子の返事が「マイペンライ」。

ミスは誰にでもある。

秘書がミスして、彼女が「コー・トー・カッ」(ごめんなさい)といったら「マイペンライ」(気にしなくていいよ)と言ってやろう、そう思っていたのに、

「マイペンライ」は彼女の言葉であった。

こうした使われ方には、あきらかに「どういたしまして」という、相手を思う、優しさはない。

「このくらいのミス、どうでもいいではないか」

という自分への弁護の言葉でしかない。

引用 終わり。


今回にPADの空港閉鎖に関して、リーダーが言ったという、

我々が空港を閉鎖したのではない、(我々はただ占拠しているだけで)、閉鎖したのは空港公団である、

という言葉の、無責任さ。

その国の最大の国際空港を、乗っ取り、閉鎖に追い込む、ということは、単なる国内問題ではなく、国際社会へ絶縁宣言、鎖国宣言でさえある、と思うのです。

この国際交流の時代に、その入口を封鎖する、ということは、自国に甚大な被害をあたえるだけではなく、関係したきた他国にも甚大な被害をあたえることになる。

もし、PADのリーダーが、国際社会にむかって、

この度は、まことに迷惑をかけてしまうが、コレは我が国タイの、非常に重要な問題を解決するための、

最後の最後に取らざるを得なかった手段なので、ぜひに支援していただきたい、

というようなメッセージを発していたら、そうか、わかった(マイペンライ)と、少なくても僕は、言ってやったかもしれない。

しかし、PADにそんな、相手の立場を思う気持ちのかけらも、ある様子は、ない。

もっとも気にいらないのは、ビデオをみたりしていると、占拠している人間たちが、へらへら笑っているあの顔、顔。


PADは、the People's Alliance for Democracy、ということらしいけれども、Democracyを掲げる資格はないでしょう。

ここにまやかしがある、としか、思えない。

総選挙をすれば、また負けるのが分かっているから(この確信も情けなくなるでしょ)、総選挙に寄らない、現政権の打倒のために軍にクーデターをお願いする、とか言うのが、まずデモクラシーの反対の極になる考え方でしょう。

いかに、タイでは、クーデターは平和裡に政権交代を行う手段として、用いられてきた、といっても、それは、デモクラシーではない。

そして、軍政権の間に、憲法を変えて、下院議会の議員は、7割を任命制、たった3割を選挙制、にする、と言っている。

このことによって、何が、得られるか。

全く、ゆるやかな君主制の下でデモクラシーをめざしていた世界から、がちがちの立憲君主制に、戻るということではないのですか~。

どうも、PADという名前に汚染されている人が多いように思うのですが、大丈夫ですか~。 

5日にあるという、国王様のメッセージに、国際社会への謝罪のお言葉はあるでしょうか?

(こんなことを言うと、不敬罪?そりゃ、いくらなんでも、言論統制でしょう。

でも、PADの言うとおりになったら、こんな世界がやってきますよ、そう思う。)


だんだん、出発の目処がたたないフラストレーションの爆発になってきますので、この辺で。


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