きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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今日は4月の30日、2011年の3分の1が終わりました。

また、この4月は、日本に一時帰国している月を除けば、

ゴルフをした機会が、月3回で、極端に少ない月となってしまいました。

一週間は、ソンクラン旅行だった、とはいえ、

健康維持の運動のため、と称しているゴルフの回数が、こうも少ないのは、

うれしくない事象です。

4月5日は、前にもブログしましたが、PBEAクラブ・トーナメントの日で、

それ以来、最終週までゴルフに行っていませんでしたので、

駆け込みのように、

27日はタノン、29日はパインでプレーしました。


日本のヤフー・オークションで入手した、アイアン・セットとドライバー、

まだ使い慣れていません。

アイアン・セットはミズノMP67で、ロフトが立っているわけではないのですが、

MP37より、すこしばかり距離が出るようで、

いまのところ、特に5番より上のクラブが使い易く感じています。

一方、ピッチング・ウェッジがどうも、しっくりこなくて、

MP37の方が、バラツカないのです。

きっとライ角の問題なのだろう、と思って、ポスチュアを変えて、

試しています。

ドライバーは、キャロウェイのディアブロ・オクタン、8.5度、X、を

ヤフー・オークションで、新品で2万円で入手し、

今までのレガシーになんの不満もないのですが、

新しい、というだけで、使ってみています。

シャフトが硬くなって、しっかりした手ごたえがあり、

距離の少しだけ伸びているようです。


27日のタノンは、一人で回ることができました。

途中で、前のグループに追いつくと、2組、パスさせてくれました。

(相手がティー・ショットと打っているときに追いつき、

一緒にティー・ショットを打って、僕だけ先にセカンド以降を打って

進む、というわけです)

それで、10時にスタートして、午後の1時に18ホールを回りきりました。

日本からの、ゴールデン・ウィークのお客もなく、

コースは空いていました。

今、プロモーションは、

月、水が、ゴルフ・フィー560バーツ。

火、木がゴルフ・フィー600バーツ。

金は760バーツ。

水、木、金は回り放題、960バーツ。

キャディ・フィーは260バーツです。


27日の結果は、42+44のトータル86でした。

フロント9を終わって、ダブルボギーが無いのがわかり、

今日一日、ダボなしで回りたい、と願ったのですが、

15番でついにダボが来てしまいました。

最終18番は、ここをパーであがれば、85を下回る目標をクリアするぞ、

と活きこんだのが災いしたのか、

ドライバーのティ・ショットをダフって、林の中、木の根元。。。

フェアウェイに出すときフックをかけてやろうと思ったボールが木に当たり、

前進どころか後退してしまう・・・

2個めのダボで、トータル86になってしまいました。

それでも、3週間ぶりのコースなので、こんなものか、と。

コースを歩いているだけで、

ゴルフが出来ることを、幸せに感じていました。


29日は、タイ人ゴルフ仲間と、パインで待ち合わせ。

この日は、ドライバーに良いところが随所に見られ、

アプローチには問題があったものの、

パターもそれほど悪くは無く、42+41のトータル83。


6番、539ヤード、パー5のホールは、コースの中央に

幅100ヤードほどの池が大きく横たわっているのですが、

ティ・グランドにたつと、キャディさんが僕に、

「池までは300ヤードです」

と言う。

それを聞いたウチャイさんが、

「グッド・アドバイス、サンキュウ」

と笑いながら、叫びます。

池まで飛ばすことを心配する必要のまったくない、

アベレージ・ゴルファーのグループなのですから・・・。


・・・僕は、ナイス・ショットで、290ヤードほど、飛びました。


あと、記憶に残ったショットは、

7番、411ヤード、パー4。

第一打のドライバーを右に、池に入れてしまいました。

グリーンまで200ヤードにドロップしたボールを、

3番アイアンで、クリーン・ヒットすると、

ピンから3メートルにナイス・オン!


3番で200ヤード飛ばしたい、という僕の理想にぴったりの、

気持ちの良いショットが打てました。




今日は、最後に、

ネットサーフィンをしていて、偶然見つけた、

スティーブ・ジョブスの、2005年スタンフォード大学卒業記念スピーチを

掲載します。

15分足らずのスピーチですが、感動的なものです。

3つのストーリーを語っています。

1.コネクティング・ドッツ
彼は大学を卒業していない。
生みの両親は貧しく、子供の将来のために生後すぐ養子に出すことを決意。
子供には将来学者か弁護士になってほしいと願って。
養子縁組先が決まっていたが、ぎりぎりになってその家族が女の子が希望だ、と分かり、
その縁組はドタキャンになる。急遽変わりの養子縁組をまとめるが、あとで分かったのが、
新しい母は学卒ではなく、父親は高校もでていなかった。生みの母は、最終サインをする
ことを躊躇したが、新しい母の、こどもは、きっと大学にやるから、という強い約束で、
その養子縁組が成立。
彼は、大学に入るが、与えられる授業内容に失望したのと、育ての母が、すべての生活を
犠牲にして彼の大学の費用を搾り出していることが申し訳なく、半年で、退学を決意する。
しかし、退学したあとも、大学にはとどまり、それから18ヶ月、自分の好きな授業だけ
受講する、という生活を続ける。この間さまざまなことを深く学んだ、という。特に、
カリグラフィーは深く研究した。これがアップル・コンピュータのデザインに活きることになる。
彼のメッセージは、若いころは、どんよくに、なんでも、自分の心が望むものを、
徹底的に取り組むこと、それが、そのときは意味のないものに思われようとも、
将来、自分の人生の途中で、結び合い、実をなす日がきっとくるから、というもの。

 
2.Lost and Love
パーソナル・コンピュータを、商業ベースでビジネス上成功させたのは、
彼である。PCの発明者、と言っても良い、と思う。アップルのマッキントッシュを
世に送り出し、従業員4000人、20億ドルのビジネスに成長させた彼は、
大きくなった会社の運営をよりよくするために、ペプシコの敏腕社長だったスカリー
を引き抜くが、1年後、彼によってアップルを追い出されてしまう。
僕は、この経緯を、ジョン・スカリーの自伝で、ずーっと前に読んでいます。
30歳にして、自分が生んだ会社を追放されてしまった彼は、途方にくれますが、
数ヶ月の沈思の結果、たどり着いたのは、やはり彼は今までの仕事が、今でも好きだ、
ということ。それで、新しいコンピュータの会社NEXTと、アニメーション技術の会社
ピクサーをスタート。やがて、経営再興のために新しい技術を求めていたアップルが
発見したのが、NEXTで、買収されることになり、スティーブは、またアップルに戻る
こととなる。Lost and Loveなんて、ロマンス映画のタイトルのようですが、
意味深長、でしょう?


3.死について
説明、割愛。

そして、彼が、感銘をうけて購読していた、ある雑誌が、その目的を達し終えた

ということで、最終巻を迎える、

その雑誌の裏表紙に、彼ら発行者たちのメッセージが載っていた。

そのメッセージを、スタンフォード卒業生の皆さんに、私から贈りたい、

と彼がスピーチを結んだ言葉が、

Stay Hungry, Stay Foolish.


アップル社のCEOとして、すべての報酬が、1年1ドルだ、

という彼の、面目躍如たる、メッセージではありますね。







感動的な、スピーチでした。

何度も、聞きなおして、みたくなります。

感謝。




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資産1億円を目指す3つのルール   財活で1億円!

という記事が、月刊・日経マネー誌にあり、その抜粋を、日経WEBのマネー欄で読むことができます。

資産1億を何故目指すか、というと基本的には、定年後の安楽な生活のため、

ということになります。

そういう意味では、リタイアメント・ファイナンシング、のようなものだと思うのですが、

日本では、このような記事が、インターネット上、意外に少ないのではないでしょうか。

ヤフーのアメリカ版サイトでは、フィナンスのパーソナル・ファイナンス内に

リタイヤメントという項目があって、

定年退職に備えるべく様々の調査・分析・提案が、毎日更新されています。

日経WEB版は、マーケットとマネー欄を充実させる方針、ということで、

この「1億円・・・」の記事が最初のようです。


僕も、ご多分に漏れず、定年するときに、いくらの預金があれば、

老後を問題なく暮らせるか、

というようなことに関心がありました。

普通のサラリーマンで、夫婦で、60歳で退職して、という場合、

3000万円の預金がひとつの目安だ、

というような記事などを読んだりしていました。

これは、定年退職して、厚生年金が、受給開始が遅れたことを反映して、

いくら必要か、という条件だったと思います。

感覚として、3000万円では不足だ、という人もいれば、

3000万円なんてとても、という人もいるでしょうか。



または、資産1億円作って、早期リタイヤする、あとは自適な暮らし、

というような記事も、眼にしたことが何度もあったと思います。


今回の日経マネーの記事は、「1億円」とうたってはいるけれども、

趣旨は、

「65以上のサラリーマンOBは、公的年金を5000万円ももらい、

退職金も2000万円くらいもらえたから、自分で定年までに蓄える分は

3000万円で1億円になった。

しかし、現役世代は違う、

年金も高額退職金も期待できない時代だから、

自衛的に、資産を増やして行けなければならない」、

そのための20代、30代、40代、50代へのアドバイス、

というところらしい。


年金、退職金、給与が減る、という3重苦の中で、1億円を達成するには、

50代で5000万円、40代で6000万円、30代以下では共働きで

5000万円、を自助努力で作っていく必要がある、

と指摘しています。

そのためには、

1.自分のもらえる年金をしっかり把握すること

2.家計のシンプル化(節約をすること)

3.運用の最適化 - 財活をすること(就活、婚活、からきている言葉、流行語にしたいのでしょう)

というのが、3つのルールだそうです。


2番目の節約は、かなりのライフスタイルの変更なしには、達成できない内容です。

要は家、保険、車、教育費を見直すことで、

家は買わない、車は持たない、やたら保険に入らない、子供の教育費を削る、

ということ。

従来のサラリーマンが当然のように目指していた、生活の豊かさ、というものが

大きく変わることになるでしょうが、

それで果たして、経済が活性化するか、ということは考えないといけない問題です。

そして、定年後の生活のために、現在の生活を(あまりに多く)犠牲にする、

というのも、いかがなものか。。。

若い時代は、したいことが出来ない(お金がないから)、

定年後も、したいことが出来ない(身体が動かないから)、

結局一生、したいことが出来ない(とりかえしがつかない)、

なんて。



3番目の「運用の最適化」で言ってることは、

財活して、利回り3%の場合はどう、5%ではどう、というようなことを言うわけですが、

自己の資金を財活して、運用利回り3%とか5%を達成することが、

容易なような印象を与えているのですが、

これって、実際、難しい。。。


いろいろなエキスパートが集まって(大学教授とかフィナンシャル・プランナーとか)、

この記事が書かれているのですが、

既知の情報を、机上でならべてみせて、日経の得意分野の財活に引き込もう、

というくらいのことしか、読めない、

参考には、とてもならない内容だ、としか思えません。

もっとも、対象読者は、すでに退職した人間ではなく、

これからくる退職予備軍の20代~50代なので、

僕が、参考にならない、といっても当たり前の話、なのですが・・・。



それにしても、

もらえる年金5000万円を、資産の一部に数えて、1億円、

と言って、この記事の基本になる、条件設定をしているのが、

なんだか変???


あるいは、年金を、資産の一部として考えても良いのかな、

という気にもさせられました。

将来、減額という可能性は高いにしても、安定して入ってくる

収入ではあるわけだから。

不動産にしても(れっきとした資産でありますが)、

減額(地価の下落)や無価値(住居の消滅)などのリスクは

あるわけですから・・・。


だとすると、

80歳までもらえる年金の総額を加えて、

1億円の資産持ち、かなり増えますね。


気分だけ、良くなりますが、

資産といっても、今、自分の意思で処分できる対象にない分ですから、

やはり幻想、ですが。

いやいや、年金権利を売ったり、買ったり、できるような

裏ビジネスが起こったら?


なんだか、

くだらない妄想になり始めました。


今日も、

こんな風に一日を送れて、

感謝。




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ソンクラン旅行が終わってから、

久しぶりにシーナカリン・パー3へ、打ちっぱなしに行ってきました。


バッグからクラブを出して練習に入ろうとすると、

声がかかりました。

見ると、ゴルフ友達のピーケーさんが、隣の打席で練習しているではありませんか。


ピーケーさんとは、何度もここで出会っていたのですが、

最近は練習時間が違ってか、

めったに会うことがなかったので、驚きました。

自然に、僕の彼女のゴイ(本日から名前で呼ぶことにしました)を

紹介することになりました。

僕にガール・フレンドが出来たことは知らせてあり、

何度も会話に出てきていたのですが、

ゴルフ友達なので、実際に会う機会がなかったのです。

(タイでは、ガール・フレンド、と言うとトクベツな関係のある

女性、ということになるようです。ゴイも僕のことをボーイ・フレンド、

と呼ぶまでずいぶん長い時間がかかりました)


ピーケーさんは、もうすぐ、ウチャイさんも、来るよ、と言います。

実は、ウチャイさんとも、ゴイは初対面になります。


最近、僕が打ちっぱなしに行くときは、

ゴイもクラブを持っていくことが多いのですが、

今日は、勉強する、というので英語の本だけで、

よけいにはしゃぐこともなく、初対面としては、

都合が良い形になりました。


二人には、

実は、30代以上の女性が良い、と言っていた時期があり、

彼らもすこしは気にかけて探してくれていたこともあるので、

20代のゴイを紹介するのは、なんだか気を使っていたのでした。

それも、今日で、オシマイ。


2時間ほど練習したあと、レストランで軽い食事をしながら、

話しました。

ピーケーさんは、4年間アメリカのネービー、

その後31年間アメリカン・エンバシィに勤めたあと退職、

現在はデイ・トレーダーをして、ゴルフ代などのお小遣いを

ひねくりだしている、という生活。

ウチャイさんは、15年ほどアメリカン・エンバシィに勤務のあと、

独立してセキュリティ事業を始め、成功、

今は長男・長女の夫婦が経営に加わり、

本人は、毎日半日だけ会社に出る、という状態。

ウチャイさんも、株に多く関わっており、

株でもうけなければ、あの家は買えなかったよ、

というような話をする人。


震災の話のあと、

やはり話題は、定年を迎えたあとの生活をどう切り盛りするか、

というようなことに。

アメリカ人の知人は、500万バーツもつぎ込んで、

サマー・ゴーンというウチャイさんの住む街でレストランを始めたのですが、

なかなか黒字にはならず、月々の年金はすべてレストランの運用費に消えていく。

もうレストランを畳んで、年金だけで、悠々自適したほうが良いよ、

というウチャイさんたちのアドバイスを受けて、

今、そのレストランの買い手を求めているけれども、

なかなか見つからない。

そのレストランは、湖沿いにあり、隣はテニス・コートなど、

町民の足も運びやすい場所なのですが、

彼の所有物ではなく、テナント料を払っている状態で、

内装の変更に500万バーツ近くつぎ込んだ、

豪華な「インターナショナル・レストラン」なのです。

ちなみに、サマー・ゴーンというムー・バーンは、世帯数5000、

病院、銀行、学校、最近はピュア・ランドというショッピング・モールも

出来た、タイ人の富裕層の住む街で、

ジムはそこに住むハイソなタイ人と、外国人を狙ったのだと思いますが・・・。


そして、レストランが売れたあとは、株を始めてみたら、どうか、

というような話をしているそうです。


僕は、実は、この悪戦苦闘しているジムに、すくなからず感心しています。

(彼のレストランの、あまりにもアメリカン風の様子や、

スヌーカーやサッカー・マシーンなど、僕がまったく趣味を持ち合わせない

娯楽設備などには反対で、これではレストラン客は来ない、

と判断しています。

サマー・ゴーンに住む、富裕層の中の、ゴルフ仲間銀行OBたちは、

タイでは、子供たちへの教育で、スヌーカーのある場所になんか行くな、

と教えているのだから、この店に、自分たちの家族を連れてくるわけには

いかない、と言っていたり・・・)

僕が感心している点は、

彼の歳になっても(多分、65歳くらいだと思います)、

そして、外国に来ていても、仕事をするんだ、という気概がある、

ということです。

アメリカにいた時から、事業をし、成功もし、高い年金も貰っている、

という自信からでしょうが、

やはり、アメリカ人の常識というか、普通の感覚で65歳は働く年齢だ、という

力を感じます。



話は、震災関連にもどって。


大震災の復興資金資金の財源として、消費税や、高齢層・富裕層への増税が計画されている、

と聞きます。

怪しげに響くのが、この高齢層を狙っているところ。

日本人は、なにか、高齢層は、「身にふさわしくない」お金を持っている、

という感覚を植えつけられてしまっているようです。

大前研一氏のセミナーでの「失われた20年」の発言をみれば、

日本の高齢者は豊かである、というのは幻想だ、ということです。

高齢者が「身にふさわしくない」お金を持っている、勝ち逃げだ、

という風潮は、下記の日経の記事にもみられる、

「すでに65歳以上の人は、公的年金をおよそ5000万円も受け取れる幸せな世代だ。

その上、企業の羽振りもよかった時代にリタイアしているので、

退職金も約2000万円もらっている」

うらやましい、自分たちは損をしている、許せない、

というわけです。




20110424nikkeinenkin
資産1億円を目指す3つのルール



ひとつ、高齢者のすべてが豊かなわけではないこと、

(そして、豊かと言われる高齢者の中の多くがすでに自分の子供たちの

生活を支えるために支出している)

ふたつ、年金問題は仕組みが悪い(現役労働者が退職者を支える“賦課方式”

では、少子化日本では若い世代が損をみるのは当たり前)のであって、

高齢者の権利である年金を奪い返そう、という発想は狂っている。

そうではなくて、若い世代がすべきことは、

自分の年金は自分の世代だけで完結するという制度改善をする、という解決に、

一日も早く、本気で取り組むことでしょう。

財源は、もちろん、消費税を使わざるを得ない。

消費税を20%~25%にあげても、問題を根底から解決しよう、という意識を、

若い世代が動き、実現し、支えなければならない、

そういうおのれの負担無しに、貰い得になっている老人たちから年金を取り戻そう、

という発想は、安易にしすぎる、わが首をしめるようなもので、

将来の展望としては、

貧困な国、日本しか見えてこないと思っています。

そういう、大きなヴィジョンに立った改革をめざす節目に、

この大震災がなることを祈るばかりです。

(復旧と復興は別に考えるべきで、

まずは最低の復旧策は必要ですが、

より根本的な、大きな復興は、

単に、震災に直接的に関わる地域や、仕組みだけだはない、

大きなヴィジョンを持った社会改革であれよ、

と願っていますが、

今の菅内閣では、国民からの信用を失ってしまっているので、

まず、無理でしょう。。。

山が動かなければならない、のですが、

原動力が見えて、来ません)



ところで、上の日経の記事(資産1億円を目指す・・・)は 、

面白いものでしたので、

また続きを書いてみようと思います。



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ソンクラン旅行で、5泊6日を、車で長時間運転したり、

飲んだり食べたりし続けたので、

帰宅した翌日、血糖値を計ってみました。

これが、朝の食前で128。

かなり、高い。


(空腹時の血糖値:

優:80~110、良:110~130、

可:130~160、不可:160以上)


僕は、会社員時代、なんどか、糖尿境界ですよ、

言われたことがあり、

いつも運動をせず、体重が75Kgに近くなっていた時で、

その都度、減量と運動をして、血糖値を正常に戻してきました。


ところが、早期退職をし、

その後引き続き前職の関係者の依頼で、

コンサルタントとしてプロジェクト管理をしているとき、

長男をガンで亡くし、

母親が心臓病で手術をする、

という大事件が続けておこり、

とうとう、境界値を破り、

正規に糖尿病だ、治療が必要だ、

と医者に言われました。

それが、退職後の仕事をすべて中止することになった、

直接な原因ですが、

その後は、医者の言うとおりの治療につとめ、

血糖値も安定して、

やがて、タイにくるようになったこともあり、

医者への足も遠のいて、

昨年から、

自主管理をする、という日々になっていました。


3月21日にタイの戻ってきてから、

生活習慣が乱れていたので、

また「治療モード」に入ろうと、決心しました。

・大食しない、

・散歩を含め、運動する、

・アルコールを控える(家では飲まない)、

を、敢行する気持ちです。

3点目が、ちょっと痛い、のですが。


ということで、早速、4日前から、朝の散歩を始めました。

散歩道は、コンドミニアムから歩いて1分の、

NIDA大学の校庭としました。



20110422NIDA1
ここの、右の入り口から、大学の構内に入ります。
後ろ、左にコンドミニアムが見えます。


20110422Nida2
そこには、小さなコーヒー・ショップ。


20110422nida3
この四角い校庭ガーデンの4周を回ります。
1周、200メートルくらい。


20110422nida4
日が照っていても、屋根の下を歩くことができます。
バンコクで、平らな散歩道を身近に見つけることは、
なかなか難しく、ここは気に入っています。


20110422nida5
右手に、学食コーナー、でしょうか。
もっと遅い時間には、パソコンをテーブルに置いて、
友人達と集っている様子が見れます。


20110422nida5.1
また、SEEDがあり、
NIDAのロゴ入りの文房具や、
一般の本などを売っています。


20110422nida5.2
そして、となりのコーナーには、バンコク銀行のATMと支店が。
ここにも、屋外にテーブルが置かれて、
学生達が、スナックを食べながら、勉強したり、します。



20110422nida6
こういう、水風景の脇も、通りますよ。


20110422nida7neelaawadee
ピンクのニー・ラー・ワ・デーですね。
その他、季節の花々が、良く手入れされていて、楽しめます。


20110422nida8
校庭ガーデンの一角は、東屋が何棟か。



20110422nida9
そして、また真っ直ぐに歩いて、
1周です。
これを、最低、5,6周、
汗をかく程度に歩きます。


20110422nida10
ときどき、可愛い女子が、
ジョギングしていたりして。。。




20110422nida11
なぁ~んだ、
僕の彼女、でした。
失礼しました。


「治療モード」の第2弾は、食事。

彼女が、玄米ご飯を始めました。

白米50%にタイ玄米50%で、

見かけは真っ黒です・・・。

そして、ゴーヤの姿も、テーブル上にやってきました。

日本語で、にがうり、

英語では、Bitter Melon、と言うらしいですね。

Melonだなんてエレガントですが、、、ちっともおいしくない!




今日も、

元気で、

ハッピーに。



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伊勢丹の向かいにあるBIG-Cの隣のソイに、

僕がいつも円の両替に行くスーパーリッチがあります。

そこには、オレンジ店と直ぐ近くにグリーン店があることは

知っていました。

なんで、オレンジとグリーンがあるのか、不思議に思いながらも、

同じ会社なのだから交換レートは同じだろう、と想像していました。

先日、ある掲示板で、「グリーン店の方がレートが良い」という話を読んだので、

一昨日、円の交換をしに行ったとき、2店を比べてみました。

結果は、

グリーン店 100円 = 36.45バーツ、

オレンジ店 100円 = 36.30バーツ。


そして、昨日も行きましたので、比較しました。

グリーン店 100円 = 36.25バーツ、

オレンジ点 100円 = 36.20バーツ。

ほんの少しですが、グリーン店の方が、レートが良いようです。


なんだ、わずかな差ではないか、と思われる方が多いかもしれませんが、

スーパーリッチが市中の商業銀行より、常に100円あたり0.5バーツほど

レートが高いという理由で、

スーパーリッチを利用している僕としては、

夢おろそかには出来ない差になることがあります。  



実は、今回、多目の日本円をタイに持ってきました。

日本の定期預金金利が、相変わらず<0.07%>という、

無いに等しい低さのため、

タイでバーツ預金をもっと増やそうと思ったわけです。

それだけ、タイでの生活に、安心して、長期的に取り組めると

感じていることの証でもあります。

タイ中央銀行が4月20日に、政策金利を2.5%からさらに0.25%上げると

発表しましたから、

先行きタイの定期預金はさらに上がることになるだろう、と。


といっても、

タイに限りなく移住に近いロングステイをするにしたとしても、

日本における資産のすべてを、タイに持ち込む予定はありません。


タイのロングステイについて学んだ最初のガイド・ブック、

「Love Entrepreneur」にアドバイスとしてあった、

母国の資産の3分の1以上は、ロングステイ先には持って来ないこと、

という1か条を守ろうと思っています。


現在に収入としては、年金だけが頼りになっていますから、

現有の資産(といえるほどのものではないかもしれませんが)を、

すこしでも有効に使わないと、いけないと思っています。


僕の先輩として、タイに長くロングステイやセミ移住している方々の

ブログなども多くあると思うのですが、

(不勉強で、あまり読んでいないのです・・・)、

なかなか自分に、かなり近い、というような環境・経緯の方を見かけません。

まぁ、ひとそれぞれ違って当たり前、

なのですが。

僕の場合は、

55歳早期退職、団塊世代、

タイでの仕事・旅行などの経験ゼロ、

タイ語能力まったくゼロ(英語は生活上困らない程度には使えます)、

という状態で、59歳になって、タイに飛び込んできました。


失われた10年が、

失われた20年と言われるように成長無しの時代が続き、

こんどの大震災で、

高齢者にとっては厳しい経済環境がおとずれようとしています。

ですから、

59歳からタイに来て、遅すぎたなぁ、

と当初は思ったのですが、

今は、結構、良い選択になったのではないか、

と思っています。

それもこれも、

タイで生活できる、という自信が生まれて、

初めて言えることなのですが、

限りある現金預金も、

上のようにタイでは有利な条件で保持できます。



アメリカの記事をインターネットでよく読みますが、

彼の国の中高年者らも、経済事情が悪くて、

安心して定年退職を迎えることの出来る人は、

ますます少なくなってきているようです。

もっとも、彼らの言う、定年の年齢は、当然のごとく、

65歳、ですが。


日本の場合は、なんとしたことか、

50歳を越えるころから早期退職の圧力がかかり、

60歳を迎えずに退職し、後進に席を譲る、ということが

まかり通っているわけですが、

その癖、年金支給は、60歳にして開始されず、

働く年代の人口が少ないからだ、

とかいう奇妙な理屈に、なって、

若い世代はまた、一方的な被害妄想に打ちひしがれているようです。

ワークシェアリングを真剣に試みたり、

年長者が若い上司の有力な補佐役になったり、部下になって、

次代の継続的成長につなげる、という姿が当たり前、

などの多様な、最大の努力をして、

働く世代の減少を限りなくなだらかにして、

年金や社会保障の原資の不足を補いながら、

少子化による新しい日本社会の構造へ、ソフトランディングする施策が、

必要だったと思います。

しかしながら、現実は、なんの国家的戦略がとられることなく、

屋台骨が腐りはじめたことに気づかず、

あらゆる破綻に、付け焼刃の手当てをしているだけ、

日本丸は、沈みかけています。



また、アメリカの話にもどって、

こんな記事を読みました。

アメリカの事情の一片がわかります。



年収6万ドルで退職する方法(6万ドルは、1ドル90円として、540万円)
How to Retire on $60,000 a Year


この記事では、中程度の年収家庭の定年対策、という趣旨で書かれていて、

そのサンプルが、「66歳」、年収6万ドル、専業主婦の妻あり男性、

として上げられているようです。

彼が、66歳で完全退職したとすると、ソーシャル・セキュリティ・ベネフィット

(社会保障給付・・・とでも訳すのでしょうか)は、月額1500ドル、

年額1万8000ドル。

専業主婦の妻分は、夫の約半額(9000ドル)が付くので、

合計2万7000ドル(1ドル:90円で、243万円)。


さらに、ペンションが付くかどうか、という点に触れ、

「一般的」な中級年収者では、ペンション・システムには入っていないだろう、

という仮定になっています。

日本で言うと、ソーシャル・セキュリティ・ベネフィットは、

日本で言えば国民基本年金で、

ここで言うペンションは、厚生年金とか確定拠出型年金のことなのでしょう。


そうした場合、この男性は、定年後の生活の原資としては、上の2万7000ドル、

以外には、定年時の預貯金、ということになり、

退職時の6万ドルの生活を維持するには、いかほどの貯蓄が必要か、

という計算が始まっています。

その詳細は、略しますが、

これを読むと、アメリカ人も、結構大変だなぁ、

だから、彼らは、なかなか定年退職しない傾向にある、

ということもわかるなぁ、

という気がしました。


それでは、日本はどうか。

上の例では、66歳で、退職するかどうか、という議論ですが、

日本では、もうとっくに職など無いよ、

そういう状況だ、ということですね。


どっちが大変か、

にわかには意見を述べられませんが、

ただ一つ、

アメリカの方が、長寿国で、活力がある社会だ、

とだけはいえそうです。


日本人に残された自衛の道は、

海外への脱出、

なのでしょうか?




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プー・キオで、車のお祓いと寄進を済ませたあと、

お昼すこし前に、バンコクに向けて出発です。


直接バンコクに戻っても良かったのですが、

せっかく北上しているので、

コラートかカオヤイで一泊しようか、

ということになりました。


彼女が地図を眺めながら、パク・チョン(Pak Chong)に泊まろう、

と決定。

チャイヤプームを過ぎ、

201号線から2号線に乗ります。

すると、右側に、大きなダム湖が見えてきました。

ラム・タ・コーン ダムです。

過去に、いろんなメルトモさんに会うために、

ウドン・ターニやルーイにバスで旅行したとき、

いつもコラートの街に入る前に眼に入る、

このダム湖のことが強く印象に残っていました。

いつか、寄ってみよう、と。


それを思い出して、

Uターンして、ここで休憩としました。


20110413takhongdam1
湖を見下ろしながら、食事です。
ビールの飲みたかったのですが、運転中なのでコーラです。
なすの炒めが、久しぶりで、美味しかった。


20110413takhongdam2
見えにくいですが、中央奥で、
家族が水遊びをしていました。
浮き輪などをもって、本格的です。
1グループだけでしたが・・・。
この休憩地を、すこし登ったところが、
大きなレクリエーション・センターになっていますので、
そちらでは、もっと多くの人が遊んでいると思います。


食事が終わったあと、彼女がもっと休みたい、

というので、

レストランの外の木陰にハンモックが仕掛けてあるのを見つけ、

彼女は昼寝、

となりました。

僕は、その木陰の石に腰掛けて、

遠藤周作の「闇の呼ぶ声」を、続読、です。


50分ほど、静かな時間を過ごして、

また、

出発。


パク・チョンの街に入ると、

なんだか、

ソンクランの水掛合戦で、すごいことになっているようです。

この街は、それで有名なんでしょうか。

水掛合戦のピックアップが、2号線の両側に、ところ狭しと並んで、

音楽鳴らして、騒いでいます。

外の町から集まって、ここで合戦している雰囲気、ありありです。


幸い、2号線沿い、シェルのガソリン・スタンドの隣に、

泊まれそうなホテルが見つかり、

そこに逃げ込みました。


Hotel Phuphaya というホテルです。

朝食込みで、700バーツ。


20110413pakchonghotel1
これは、騒ぎが収まり、夕食に出たときに、
向かいの通りから写したホテルです。
到着したお昼は、左にある郵便局の入り口までが、
水掛グループの溜まり場でした。


結局、水掛けが嫌で、チェック・イン後も外には出ないことに。

ホテルのフロントで、

ワインが飾ってあるので訊くと、

地元のワイナリーから取れたもの、とか。

それで、

赤ワイン(270バーツ)と、カシュー・ナッツ(80バーツ)を買って、

飲みながら、

外が静かになるまで、

休みました。


20110413pakchonghotel2
夕食後に、ホテルに戻ると、
彼女が、あらら、と言います。
指差す方をみると、つがいの鳥が、影絵のようになって、
仲睦まじく寄り添い、なにやら楽しげそうなのでした。
こうして、パク・チョンの夜が、過ぎました。


さて、ソンクランの旅も最終日、14日は、バンコクへ帰る日です。

パクチョンの町を車で流していくと、

ワイナリーとか、乗馬とか、さまざまな宣伝看板が目に付きます。

また、ゆっくり来てみたい、

カオヤイ公園の入り口の町です。

しかし、最後のお目当ては、

バンコクへ向かう途中にある、

少年時代のカウ・ボーイになりたい、という夢が、

大きく発展して、

実現した「チョクチャイ牧場」と決めているようでした。


20110414chokchaifarm1
牧場ツアーの売り子嬢たちと。


20110414CCfarm2
入り口で待つこと20分。


20110414CCfarm3
まずは、乳絞りから、Umm Milk (ウムム ミルクが商標のようです)が
出来るまでの見学。


20110414CCfarm4
トラクターに引かれた幌場所で
いざ、牧場内へ!


20110414CCfarm4.2
美しいはずの牧場は、実は、臭い!!!
スイスの、美しいアルプスの白を背景に緑の草に覆われた
牧場の町通るときに、観光客が驚いてしまう、あの臭さと同じ!


20110414CCfarm5それでも、カウ・ボーイは居た。


20110414CCfarm5.2
ロデオも見せてくれます。



20110414CCfarm6
それで、やはり、
馬に乗ってみたくなって。


20110414CCfarm7
順調そうです。


20110414CCfarm8
馬の首筋に手をやって。
とても、柔らかく、温かかった。


20110414CCfarm9
満足、しました。



20110414CCfarm10
あとは、こんな風景、とか。


20110414CCfarm11
動物園、とか。


そんなこんなで、

2時間の牧場ツアーを終えた時が、

ちょうどお昼どき。

闘志まんまんで、

チョクチャイ・ステーキハウスに向かいました。


20110414CCfarm12
ところが、なんと、この人気。
40分の待ち、になりますと、言われてしまいました。


20110414CCfarm13
がんばって、日本。
ステーキを食べると、XXバーツが日本へ義援金になるのだとか。



20110414CCfarm14
ステーキハウスはだめ、その後ろに建つステーキハットも満員。
とうとうステーキ・バーガーになってしまいました。


今度は、ステーキハウスを外さないぞ、

という決意も固く、

またパクチョンを訪れる日を楽しみに、

バンカピに戻って来ました。



20110414Bangkapisunset
なんとも、美しい夕暮れが、
無事に帰宅を、
祝ってくれているようでした。


感謝。


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ルーイの後は、いよいよ彼女の家族の待つ、

ノンブアラムプーと、チャイヤプーム県のプー・キアオ(Phu Khiao)に向かいます。


20110411loeipalacebreakfast
ルーイ・パレスの朝食。
手前は僕ので、彼女はすっかり洋風朝食になっています。
ちょっと前までは、トーストにハム、なんて朝食は
決して選択しなかったですが・・・はっきり言って、
僕の影響ですね。
スクランブル・エッグを係りのスタッフに頼んでいました。



ルーイから、201号線を下り、30分もすると、

東のノンブアラムプーに向かう道路にでます。

そこを走っていると、緑したたかな両側の模様が、

だんだんイサーン風のだだっぴろい平野のイメージに変わっていきます。


116Kmで到着。

まずは、ノンブアラムプー郊外の、彼女の父親の住む家へ。

月曜日の午前11時ごろ到着だったので、父親は仕事中。

母親と、末っ子の妹が、出迎えてくれました。

この家は、父親が職場の目の前に建てた2軒目の家で、

けっして豊かではないのですが、

小さな商売をするために、わざわざ官舎をでて家を構えるなど、

目先の利いた行動をする人のようです。

やがて、お昼になって父親が仕事場を抜け出し、

昼食に帰ってきました。

初対面、です。

知らされているのでしょう、改めて、僕の自己紹介をする必要はなく、

よく来た、

という感じの出迎えでした。

(と、思います。^O^。

タイ語が話せないメリット。

幾つになっても、相手の親に会うのは、気を使うものです。^O^)

軽く、カレーご飯のようなものを一緒にいただいて、

夜に、家族でタイスキをしよう、

ということになりました。


それから、ノンブアラムプーの市内に近いムー・バーンにある、

父親の一軒目の家へ移動。

ここには、2番目の妹が、二人の子どもと住んでいます。



20110412Nongbualamphu2
これが、妹の娘、長女です。
ムーバーンにある、遊び場で。


20110412nongbualamphu3
これが、末っ子娘。
5歳と3歳で、いつも競い合っているようです。


このムーバーンにある家も、

建売りの家は小さい(1階にキッチンとダイニング・エリア、2階に2部屋)ので、

端っこの家を買い、土地を買い増して、1階にリビングともう一部屋を

建て増していました。

その建て増しの工事も、自分が指示してやったそうです。


郊外にある家は、3番目の妹に、

この市街にちかい家は、2番目の妹に、

長女には(僕の彼女)、僕が居るので、いいか、

って、そんな感じでしょうか。


両親が来るまで、

夕食のタイスキの食材を買出しに行き、

帰って、一眠りしていると、

やがて、夜になっていました。


家族が、久しぶりに一緒になって食事するのは、

楽しいもの。

みんな、結構、食べていました。

成田で買った大吟醸を開けましたが、

オン・ザ・ロックで飲んだら、まるで水のようで、

(タイでは暑くて、直ぐに氷が解けたせいもあるのでしょう)

ほとんど酒の味がしなくて、困ったのですが、

2杯目は、そのままで飲んだら、やっと日本酒の味が出て、

胸をなでおろしました。

父親が、パソコンをインターネットにつないでくれて、

僕はニュースを読むことが出来ました。

東日本大震災や福島原発の状況を知りたいだろう、

と察してくれたのでしょう。

東電の株価がストップ安で終えた後、盛り返したこと、

マスターズで、南アフリカのチャール・シュワーツェルが優勝したこと、

などを知りました。


食事中の会話で、

結婚はいつするのか、

というような直接的な話題は出ずに、

今、自分の生活をどう感じているか、

今まで一番人生で困難だったことは何か、

これからしたいこと、心がけていることは何か、

というような、精神論的な話が多かったように思います。

父親の真意を理解したかどうか、

不案内ですが、

こちらから、ひどく悪い印象は、与えなかったのではないか、

と思っています。

何事も無く、初対面を終えることが出来れば御の字なので、

やれやれほっとしました。




翌、12日の朝、

ノンブアラムプーの家の回りで、妹に勧められ、

タンブンを初体験しました。

20110412Nongbualamphu1
僕達の次にタンブンをしているオバさんの様子です。
履物をぬぎ、3人のお坊さんの手に持ったお鉢に、
供え物をいれ、お経を聞いて、終わり、です。


朝の9時に、郊外の家で末っ子の妹をひろって、

一路、祖父母の住む、チャイヤプーム県のプー・キオに出発、です。

ここに、父親の兄弟姉妹が集まる、というのが、

ソンクランの、彼女の親類の慣わしのようです。


ノンブアラムプーから163Km、お昼前にプー・キオに到着。

(ちなみに、チャイヤプーム市中からは、北に80キロくらい?)



20110412phukiao1
おばあさん、バンプリーから帰省したおじさん夫婦、などがお待ちでした。
1000坪ほどの敷地が、通りの十字路にあるので、小さな店を構えて、
ひんぱんにお客がきます。
その店の横で、こうして料理をし、食事ができます。
テーブルで飲んでいると、通りがけに友人達が寄っていき、
飲んだり、話し込んだり。
話は、村の政治から、近所のゴシップまで。。。
飲むビール分を自分で買っていく長老もいれば、ちょっと一杯ただ酒を
相伴していく人もあり、様々です。ちなみに、この店でもアルコールを
置いています。


20110412phukiao2

祖父母の家をまかされているおばさんと、
僕の彼女の妹の娘ふたりの再登場。
このおばさんは、彼女の父親の妹です。
料理が上手く、手早い。


一休みして、まずは、お寺の行事へ参加です。


20110413phukiao3
歩いて、3分ほどのところにある、村でただ一箇所のお寺です。


20110413phukiao4
お坊さんがやってくると、人々がその前に並んで座り始め、
やがて、お経が始まります。
ところが、3分ほどで、マイクロフォンの調子が悪くなり、
会場にお経が届かなくなってしまいました。
どうするのかな、と思っていると、
もう、これくらいでいいかっ、
と言って、お経を止めちゃったそうです。
おかげで、行事はどんどん速く進んでくれました・・・。


20110413phukiao5
人々が、お坊さんの手に平にお水を振り掛けて行きます。
そして、お坊さん達のとなりに設けられた椅子には、
村の長老さんたちが座って、同じように、お水を手のひらに
受けるようです。


20110413phukiao6
彼女のおばあさんも・・・右から3番目。





お寺の行事が終わって、

夕方の4時から飲み始めました。

夜の9時まで、飲みかつ食べ続けました。

僕としては、飲みすぎで、

ビールを5本もあけてしまいました!



13日、ソンクラン正月の第一日目です。

残念なことに、二日酔いにちかく?、朝早く起きれなかったので、

早朝のお寺の催しには、参加できませんでした。

タイの良いところは、こんなときでも、しゃむむに起こして、

行事に参加させよう、などとはしないことでしょうか。

無理に起こしてくれれば、参加しても良かったのに、

なんて思うのは、日本人だからなのかもしれません。


お寺にすこし時間の余裕ができたであろう、10時過ぎになって、

車に乗って、お寺に行きました。

新車の、お祓いをしてもらうようです。

彼女が、予定していたことで、僕は知りませんでした。

あらかじめ僕に話すと、そんなお祓いはいらない、と言われそうだと

思ったようです。

彼女としては、そうすることが、嬉しいことのようでした。

彼女の意思が通じたのか、

お祓いをしてくれたお坊さんが、

最後に、

「彼女を末永く大切にするように」

と言ってくれました。

(これは、彼女の通訳ですから、

もしかしたら、

「車の事故から末永く無事であるように」

という言葉を、彼女が意訳しすぎたのかも知れません。。。^O^)



車のお祓いが終わると、

おばあさんの勧めでお寺に寄進することに。


20110413phukiao7
かしこまっている様子です。


20110413phukiao8
お経を反芻しながら(彼女の言葉に近い発音をごにゃごにゃ繰り返してみるだけ・・・)
こんなふうなことも、なんだか、気持ちよくさせてくれるんだ、
ということを感じていました。



こうして、13日のお昼前に、

彼女の故郷、プー・キオを後にしたのでした。



向かったのは、コラートからすこしバンコク寄りに町、

パク・チョン、

です。



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ルーイ到着後の午後は、

パレス・ホテルの、この時期なら、というアドバイスで、

ラオスとの国境沿いにあるチェン・カーンまで出かけることに決定。


片道、50Kmくらいなので、夕方までには帰って来れそうです。


201号線を北上すること、1時間ほどで到着。



20110410chiangkhan2
メコン川です。
向かうはラオス。
ここから、タイとラオスの国境は、
メコン川に沿って東へと続きます。


20110410chiangkhan1
寺院があり、車はその駐車場に入れました。
メコン川沿いに、たくさんのタイの小物ショップが立ち並んでいます。
お客は、ラオス人になるのでしょうか。
タイ人が、ここで買うとは思えない、ありきたりの日常品です。
しかし、大型のツアー・バスも入ってきていました・・・。



20110410kaengkoodkoo1
チェン・カーンの町からさらに東に2Kmほど走ると、
ケーン・クッ・クーという所に出ます。
こちらの方が、川べりまで降りていける、
楽しい行楽地のようです。


20110410KKK2
メコン川沿いには、こうした食事どころの名所が
多いのでしょうね。
階段を駆け下りて、行きたくなります。



20110410KKK4
かなり広い、川原です。



20110410KKK5
とうとうと流れるメコン川。
右が下流で、このまま行けば、ノーンカーイにつながります。


20110410KKK3
これが、川べりの食事どころ・・・
3時ごろだったので、お客はほとんど居ませんでした。
見ると、自分たちで調理器具をもってきて、
タイスキやバーベキューをするグループも
多そうでした。


20110410KKK6
川原には、基本、砂地ですが、
地を固めるためでしょうか、さまざまな形・大きさの石が
敷かれています。
「おくりびと」の映画に出てきた「石文」を思い出したので、
ちょっと失敬してしまいました!
後で、部屋に置いて撮った写真ですが、
どちらが彼女の石文で、どちらが僕か?
二人で、一度だけということで、
込めた思いを言葉で話合いました。^O^


20110410KKK7
おそろいで、チャン・カーンのTシャツを購入。
これを着て、当夜の夕食に出かけることに。


1時間ほど、メコン川付近で過ごし、ルーイに戻り。

201号線沿いに、陸軍の施設があり、

その施設内に属する形で、ゴルフ場が見えました。


一般人もプレーできるのか、どうか、分かりません・・・。

ゴルフ場の名前の看板が、外に出ていましたから、

かなりの確度で、出来るのではないか、と思いましたが。


そして、ルーイ・ホテルに戻ってみると、

20110410LoeiSurinmatch1
ホテルの前にあるスタジアムで、サッカーの試合。
入場料40バーツで見学。
どうやら、ルーイ対スリンの試合です。
大学生以上、社会人の対戦です。
地区リーグでもあるのでしょうか。


20110410loeisurinmatch2
左隅に、緑のシャツの応援団(スリン)、
対する右には黄色いシャツのルーイの応援団です。
1対0で、ルーイが優勢に試合を進めています。


20110410loeisurinmatch3
ルーイ勝利の瞬間。
この歓喜の様子は、どこも、同じですね。


20110410loeipalace1
ホテルの部屋の戻るまえに、
ホテルの後ろに広がる公園を散策。



20110410loeipalace2
夕食は、この写真の、島から左ででている橋を渡って、
街にでることに決定。
このお堀で囲まれた島部分も、王室系のプロジェクトで作られたものらしく、
見えにくいですが、
写真の右上に白く見えるのがルーイ・パレスで、
その後ろの公園から、橋がでていて、島部分に渡れます。


20110410loeipalace3
これが、その橋です。


20110410loeipalace4
ゆらゆら揺れて、ちょっと怖い感じ。
夜歩くと、さらに恐怖が増すかも・・・。^O^



結局、部屋で一休みして、
暗くなってから、夕食に出かけました。


20110410loeidinner1
マム・アロイという、「角の美味しい」タイ・フード店。
お客さんが多かったので、良いお店なのでしょう。
十分、満足しました。
ペチャブンもルーイも、肉が美味しいように思いました。


20110410loeidinner2
そして、
バンザイ・モードで、
ホテルに戻ったわけでありました。


今日も一日、

喧嘩もなしで、

ご苦労さん。



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ソンクラン旅行二日目。

ペチャブンのホテルを発って、今日はルーイに向かいます。

ペチャブンの自然に全然触れずに去るのも、なんだか心残りで、

ルーイに向かう途中で、滝があったら寄って行こう、

ということにしました。

21号線を北上すると、片道8Kmで、滝がある、という標識に出会い、

そこで、1時間ほど、道草を食うことに決めました。


20110410Petchabunwaterfall1
21号線からそのソイに入ると、細い道路で、
いきなり牛追いさんにご対面です。


20110410waterfall2
その滝は意外に小さくて、いったんは通り過ごしてしまいました。
なんて書いてあるんでしょう。
看板のようなものはありません。


2010410waterfall3
こんな感じですが、
まぁ、なんにも見ないよりは、ましかな?



20110410waterfall4
彼女も一応、ポーズ。



20110410waterfall5
自分のカメラで、良い滝の写真を撮ろうと、
がんばってます。


20110410waterfall6
けっこう朝、早かったんですが(9時ごろ、です)
一組の家族が水遊びをしていました。



20110410waterfall8
滝に降りる坂道に、飲食のお店が、何軒か準備していました。
早すぎるよ~、
と言われました。


20110410waterfall7
はい、もうひとつ、滝にふさわしい、
ポーズです。



さて、気を取り直して、またルーイに向かってドライブ開始です。

飛行場へ、というサインがありましたので、

ペチャブンにも飛行機が運航しているのでしょうか。





20110410Petchabungate1
やがて、ペチャブンのゲートに出ました。


20110410Petchabungate2
これは、タマリン人形ですね。
ペチャブンはタマリンの名産地だ、と昨日から聞かされていたのですが、
タマリンがどういうものか、よく分かってはいない自分でした。
このタマリン人形を見て、ああ、あのことか、と思った次第です。^O^


21号線をすこし北上すると、やがてルーイ方面には、

203号線を取ることになります。

そして、203号線の最初の大きな分岐点は、

左に2014号線(ダン・サイ行き)との交差点となります。



20110410203/2014junction
その分岐点が見えてきました。


20110410dansaiboard2
この立て看板をみれば、ダン・サイだ、ということが
一目瞭然ですね。
地球を歩く、ではタイ随一の奇祭、として紹介されている、
ピー・タ・コーン祭は6月だそうです。


20110410dansaiboard1
その2014/203号線分岐点にたって、
一枚。



20110410203north
われわれは、右の203号線を続け、
山並みを通って、ルーイに向かいます。
ここら辺りの道は、両側木々に囲まれていたりで、
ドライブしていてとても気持ちが良いところです。
上り下りのカーブも多いですが・・・。


思い起こせば、早いもので、2年前になるんですね、

メルトモを訪ねて、ルーイに来たことがありました。

この203号線を、逆に走って、

ダーン・サイを通り抜け、

ラオスとの国境の町、ナ・ヒオ(Na Haeo)に行ったのでした。

そのときも、ここらあたりの景色が、

緑が多く、穏やかで、気持ちの良かったことを思い出しました。

プ・ルア(Phu Ruea)という町、あたりです。

リゾートと銘打った場所が、あちらこちらにあり、

ワイナリーの看板もありました。

2009年に来たときは、2月で、

フラワー・ガーデンが花盛りだったのですが、

今回は、フラワー・ガーデンに気づきませんでした。

(後で、ルーイ・パレスの人に聞くと、時期外れです、

と言われました)



20110410phuruea1
なんとなく、雰囲気のある休憩所があったので、
一休み。



20110410phuruea2
と言っても、こんな感じ、なんですが。。。
コーヒーを飲んで、くつろぎました。
お土産品で目立ったのは、ワインと蜂蜜、です。
小瓶入りの蜂蜜が60バーツだったので、
買って行こうよ、というと、
バンコクの部屋にもう蜂蜜はあるから、
ということで、お土産断念。
(後で分かったのは、冷蔵庫にあるという蜂蜜は、
王様プロジェクトで産されたもので、それはそれで良いのですが、
なんと片手で握れるくらいのチューブ入り、のものでした。
ああ、買っとけば、良かった!
彼女は、お土産などに散財するのは好まないのですが、
ちょっと度が過ぎました)



20110410phuruea3
なんだか、怪しげなフルーツ・・・。
何だったんでしょう。


トータル、188Km走って、

無事、午後1時近く、ルーイに到着しました。

ホテルは、ルーイ・パレス・ホテルで、

朝食込みの1000バーツ、格安です。

(ルーイ・パレスには、2009年にも泊まっており、

その様子は、2009年2月22日のブログに掲載しています)


ルーイでの、午後の過ごし方につては、

次回に記述することにします。




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13日のタイ正月、

ソンクラン水掛祭りを彼女の故郷のプーキオ(チャイヤプーム県)で過ごす予定です。

車の渋滞を避けながらの旅程を組み、

タイの、まだ知らない町も通ってみたい、

ということから、まずは、バンコクからペチャブンに向かうことに。

以前、バスで、チェンマイからコンケーンまで行ったことがあり、

その途中でペチャブンを通ったのですが、

うっそうとした森林の中をバスがひたすら走り続けて、

非常に良い印象を持っていました。


8時にバンカピを発って、

アウターリンク9を通り、国道1号線に出て、

サラブリを過ぎてから、国道21号線に乗り、

あとは一路、ペチャブンまで真っ直ぐです。


ナビゲーション・システムも、惑うことなく、21号線まで導いてくれました。

途中、めぼしい見学場所も、おいしそうなレストランも見かけることなく、

ガソリン・スタンドで二度ほど、小休憩する以外は、

ただ真っ直ぐにペチャブンまで行ってしまいました。

到着は、お昼を過ぎて、1時ごろ。

356kmのドライブでした。


20110409petchbun1
どうやら、ペチャブンが近くなってきたらしい・・・。



20110409burapapetchabunhotel1
21号線沿いの、市街地にある、
BURAPA Petchabun Hotelに宿泊。
プロモーション価格で、500バーツ、朝食込みで650バーツという安さ。
こちらは新館です。

20110409hotel2
こちらが旧館で、新館より100バーツ安くなります。
ペチャブンは自然に恵まれた土地で、大滝などを含む大公園があるところで、
観光客は、市街地のホテルではなく、そうした観光場所にあるホテルや
ロッジに泊まるのではないか、と今頃になって気が付きました。
まぁ、初めてなので、なにごとも勉強です。


20110409hoteloppositeroad
ホテル向かい側の通り。
木下のスペースに、夜はベトナム料理の屋台がでて、
そこがとても人気のようでした。
通りすがりに見ましたが、肉料理がおいしそうでした。


20110409petchabunstreet1
さっそく、市内散歩、です。
ホテルから次のソイで、突き当たりに病院があります。


20110409petchabuntalat1
その通りの、右にはタラート(市場)がありました。
行ったのは昼過ぎで、お客より、売り手が忙しく、おっと間違い、のんびりと、
準備していました。
ペチャブンは、タマリーンで有名な土地だそうで、
彼女も田舎への土産に、ここで仕入れようという計画でした。
市場に入って見ると、タマリーンが全然見当たりません。
聞くと、雨が多くてタマリーンが収穫できなかったそうです。
今出回っているのは、あるとしたら古いもので、美味くない、と。
それで、お土産は、あきらめることになってしまいました。



20110409petchabuntopland
そして、その通りの左には、トップランドという大きな店舗。
ロータスが入っています。(ロータス・エキスプレスよりは、はるかに大きく、
普通のロータスよりは、はるかに小さい、ミディアム・サイズのロータスでした。
ちなみに、21号線のチョイ先に、ロータスとBIGCが並んで立っています。


20110409rotary1
なんとなく、雰囲気のある、時計つきロータリーです。


20110409wat1
そして、お寺。
どこでも、いつも、ほっとさせてくれる空間です。


20110409wat2
記念にパチリ。



お昼は、21号線沿いのハンバーグ屋さんで、

肉系の食事をしたので、

夜は、トップランド内にあるMKで、野菜タップリの食事。

このMK、座席は全部で20席ほどの小さなお店でした。

8時ちょっと過ぎに入ったのですが、僕達が最後のお客で、

すぐラスト・オーダーになりました。


そんな風に、

無事に、

第一日目を終えました。



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1000年に一度というほどの巨大な震災が日本を襲い、

さまざまな問題に打ちひしがれてしまいそうなこの頃ですが、

これを期に、昭和から(あるいは明治から)平成の今日まで、

日本の根幹に寄生している「悪しき虫」どもを、

ことごとく、白日の元にさらして、退治し、

新生日本を創生する、そういう絶好の機会だ、

ととらえることが出来れば、と願います。


● 責任ということについて

国と東電に裏切られた気持ち、憤りも…福島県の佐藤雄平知事

この知事は、

「国と東京電力は我々に対して原子力発電は多重防護、だから安全だ、耐震安全性も確保していると言い続けてきた。率直に言って裏切られた気持ちだ。」

と語っていて、ああ、気の毒になぁ、と思いかけましたが、

おっと。

いやしくも、政治家であり、大きな原子力発電所をかかえる県の知事は、

多重防護だ、耐震性の確保している、という言葉を鵜呑みにする

素人であってはならないはずだ。

この知事は、ウイキペディアの紹介によると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2010年8月6日、耐震安全性、老朽化対策、10年近くプールに貯蔵したままの

MOX燃料の健全性の3点について、

「県が求めた条件が満たされ、最終的に受けることとした」として、

福島第一原発3号機でのプルサーマルの実施を了承した。

[2]県や地元、有識者らによる連絡会が検証を行い、問題なしとの結論を出していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という責任ある決断を下した知事さんで、

基本的に「原子力政策の推進」派、なのです。


ご存知の方が多いのでしょうが、

(僕は知りませんでした・・・トホホ)

この前の福島県知事の、佐藤栄佐久氏は、反原子力派で、

なにやら陰謀めいた収賄事件で、知事辞任に追い込まれています。

(09年、一審に続き、控訴審でも懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決が出されたが、

「収賄額はゼロ」と認定され、実質上の無罪判決となった。現在、上告中。)

佐藤栄佐久前知事は、本来は「原子力発電」推進派、だったのですが、

知事になって、東電の隠蔽体質を如実に知ることとなり、

ブルサーマルの福島導入に反対するという、「原子力反対」派になったと言います。


佐藤栄佐久・前福島県知事が告発 「国民を欺いた国の責任をただせ」(週刊朝日)


そして、県の共産党はもちろん「原発」反対で、

東電福島原子力発電所の危険については、明確に告発を続けてきています。

だから、現・福島県知事である佐藤雄平知事は、

国や東電に、赤子のように騙された、という顔をなど、

決して、出来ないはずなのです。

降って湧いた、見に覚えの無い被害、であるわけがありません。

いや、それよりも、国と東電と一緒になって、福島県民を騙した張本人ですら、

ある存在なのです。

そして、もっと厳しいことを言えば、

原発を地元に置くことによって、

見返りの町や県に対する援助金や、経済効果(就職など)と、

天秤にかけて、

あえて、怪しげな説明にも、深く追求することを捨て、

同意してきた、県民・町民にも、

責任の一旦はある、

と考えるのが、合理的ではないでしょうか。

責任がある、というのがきつすぎるのなら、

この事故で、単に東電ばかりを攻め続けるのではなく、

一言、自分達も甘すぎた、

追求の手を簡単の引っ込めてしまった、

彼らの術策に、みすみす嵌ってしまった、

という反省の念はあってしかるべきだろう、

と思います。


そういう、ひとり一人が自分の責任ということに、思いを馳せ、

なにが本質的な問題なのか、

2度と起こらないようにするためには、

何が必要なのかを徹底的に問い詰め、

それを変える、ということに果敢に取り組む。


単に責任を、一方に放り投げるだけで、

自分の身はきれいだ、

と高をくくっているいるようでは、

変化も成長も、ないだろうと思うのです。

(しかし、佐藤栄佐久前知事の事件は、日本の闇、という危うさを

におわせてくれますが、どうでしょうか)


さて、日本変革が必要な、ひとつ断面を見たと思うのですが、

それこそ、未曾有な変革が求められている時代が、

ついに如実な形でやってきたのだ、

と思っていいのではないでしょうか。




下記の大前研一さんのセミナー(2011年2月)で、指摘されているポイントには、

愕然とさせられます。


日本経済メルトダウンの危機!大前研一 家計と個人消費の現状


失われた10年という言葉が、流行って、

その後、改善の10年、

とか再成長の10年、

になったか、というと、そういう話を聞きません。

少子高齢化という現実に、手をこまねいて、

もう、日本は、成長しきった成熟社会なのだから、

成長は、ありえない、そこそこ、こんなものだろう、

という意識がありはしなかったか。

大前研一さんは、

1989年のバブルの崩壊のあと、

失われた20年が続いているのだ、

と指摘します。

日本と同様に、成熟している社会とみなされるドイツ、フランス、アメリカ、

と比べて、日本がいかに停滞しきっているか。

過去の20年間で、ドイツやフランスは、給与もあがり資産も2倍に増えている、

一方日本は増えるどころか、目減りしている(マイナス)なのです。

日本では、団塊世代以上の高齢者は経済的に勝ち逃げて、裕福である、

という見方がありますが、これもまったく幻想で、

高齢者の資産も目減りしている。

(くどいですが、他の成熟国では、増加している、のです)

日本は貯蓄率の高い国だ、と思われていますが、

これも幻想になってきて、いまや、アメリカの方が貯蓄率は上だそうです。

日本では、低所得で、貯金などできもしない下流の若者が今急拡大。


こういうことから、

日本は、変わらなければならないのだ、

ということを訴えています。



僕が、もっと若く、働き盛りであるならば、

うきうきするような時代になってきた、

と感じていたかもしれません。


今の年齢で、

そしてこれから、

なにが出来るか。


いつも考えてます。


健康でいることが、今、一番の目標で、

楽しく、こころ豊かに、生きていけば良い。

ジャパン・バッシング、

ジャパン・ナッシング、、

ジャパン・パッシング。

という言葉があるようですが、

中高年バッシング、

中高年ナッシング、

中高年パッシングで、

老兵は、ただ、消え去るのみ、

という精神で、いいのだろうか、

と感じることを禁じえません。



こういう宿題をかかえながら、

明日から、ソンクラン旅行にでかけます。

今の僕の、社会とのひとつの関わり方は、

彼女を通してです。

タイに住めば、タイ社会との関わりになりますし、

日本に彼女を連れていけば、日本社会との関わりになります。


先日のブログで書いた、

50歳以上の外国人とタイ人女性との禁止法律が検討されている、

という話も、

その法律が現実に成立するかどうか、

ということではなく、

そういう思考がやはり禁じえないのが、現実の社会なのだ、

その中で、

一身に、妖しげに光る他人の眼を感じながら、

どう気持ちよく、生きていけるか。


今、土曜日になりました。

朝、0時45分、です。

明日は、朝食を済ませたら、直ぐにペチャブンに向けて出発する予定、です。

1時間前に寝た彼女が、起き出してきました。

いつもはあきれるほどに寝つきがよく、

寝たら起きない、彼女なのですが、

明日の旅行で、

興奮して、眠れない、

と言います。

彼女の「田舎の村」訪問は、これで2度目、になります。

祖父母、叔父、叔母、その子どもたち(いとこや姪・・・)には、

去年、会いました。

今年は、彼女の父親にも会う予定です。

結婚するのか?

という質問が出ます。

「彼女が望めば」

という答えです。

いつ?

「彼女の望むときに」

こだま、でしょうか?

いえ、あるがまま、です。

(なに、言ってんだか)



これから、一眠りして、

いよいよ、

出発です。


行ってきま~す。


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バンカピのコンドミニアムから行けるゴルフの練習場として、

新しい場所、グリーンフィールド・ドライビングレンジを開拓しました。

ラムカムヘン・ソイ53の奥にあります。

このソイ53は、結構狭い通りで、

両側にみっしりアパートや小さな店が立て込んでいます。

ラムカムヘン大学が近いこともあるのでしょう、

学生らしい世代の住民の多い場所で、

活気があり、

この狭い通りの奥にドライビングレンジがあるとは、

ちょっと信じられない感じです。

しかし、200メートルも直進すると、

バーンと大きく、緑にネットが見えてきて、安心させてくれます。


月曜日の午後2時にいきました。

午前中は、150バーツで2時間打ち放題、があります。

普通には、100バーツで3トレイ(120球)となります。


20110404greenfield1
奥には250ヤードの看板。僕の飛距離では届きません。
かなりひろびろとしています。
池や、バンカーが配置されたグリーンが、
100~130ヤードの距離に何個か作られていて、
ショート・アイアンの練習を楽しめる練習場ですね。


20100404grennfield3
打席のマットもきれいで、気持ちよく打てます。
従業員も、てきぱきしていて、感じが良かったですね。
お客も、あの時間で、ほどほどでした。
もうちょっと、ボールが新しければ、申し分なし、
なのですが・・・。


20110404greenfield2
80バーツで、アプローチとパッティングの練習グリーンが使えます。
バンカーもあり。
別料金で、残念だなぁ、と思いますが、
2人の方が、かなり根気よく(あきずに)、練習していました。
ここで1時間ほども各種アプローチの練習ができるなら、
80バーツは妥当な値段かもしれません。


僕にとって、今一番の練習場は、シーナカリイPAR3なのですが、

ちょっと遠いので、

近場にラムカムヘン100のVIVA ゴルフに行くことがありました。

今日、グリーンフィールドを見て、

VIVAよりちょっと遠いですが、なかなか気に入りましたので、

今度からは、ここに来ることが多くなりそうです。



いよいよソンクラン祭りが、近づいてきています。

前から考えていたとおり、

9日(土)にペチャブンに向かい、

10日(日)はルーイ、

11日(月)は彼女の父親の住むノンブアランプー、

12日(火)に彼女の祖母の住むチュムペーへ。

      (ここが、親類一同が集まる田舎、です。昨年も行きました)

13日(水)半日ソンクラン祭りを見て、
       午後、バンコクに向け出発。

今日は、ペチャブン、ルーイのホテルを予約。

初めての車での大旅行になります。

ゆっくり、安全運転で、行ってこようと思います。



最後に、東日本大震災関係です。

こんなことが言われていたことを、忘れないように。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

官邸周辺ではやるパロディー詩


近ごろ都に、はやるもの。ACの大量広告と、

いきなり中継が始まる枝野官房長官の要領を得ない会見。


「大丈夫?」っていうと
「大丈夫」っていう
「漏れてない?」っていうと
「漏れてない」っていう
「安全?」っていうと
「安全」って答える

そうして、あとで怖くなって
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと
「ちょっと漏れてる」っていう

こだまでしょうか?
いいえ、枝野です

 AC広告で使われている金子みすゞの詩をもじったものだが、別パターンもある。

「安全?」って聞くと
「安全」と答える
「健康被害は?」と聞くと
「直ちに影響はない」っていう

詐欺師でしょうか?
いいえ、枝野です

 他には、AC広告のこんなパロディーも。

「こころ」は見えないけれど
 震災利用の「下心」は透けて見える
「思い」は見えないけれど
「思い上がり」は誰にも分かる

 スッカラ菅のことをちゃかしているのは、

 言うまでもない。

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今春に小学校に入学した新一年生の男の子が就きたい職業の1位が、

スポーツ選手で、サッカー選手が61.4%、野球選手は22.9%。


野球がスポーツの王様で育った僕としては、なんともやるせない数字です。

しかし、今回の震災にあたってのプロ野球界が見せたドタバタは、

プロ野球が国民から見放されてしまった「閉ざされた」娯楽スポーツだ、

ということをまざまざと示してみせたようです。


プロ野球の凋落は、10年前にイチローが大リーグに行った頃から始まっており、

同時にサッカーの盛り上がりが平行して起こっていたわけですから、

抜本的な、プロ野球のあり方が問われなければならなかったのに、

なんら変わることの無い、腐敗した体質のまま、

今日の日まで来てしまっています。

セ・リーグが、開催日を予定通りの3月25日、としたことは、

なんでも、アメリカの9・11の大惨事の後、国民を励ますために、

大リーグは、シーズンの試合を続行する決断した、

そのことに習ったそうで、

プロ野球人のすべきことは、野球をすること、

野球を通して人々に、なにがしかの励ましや、慰安や、希望を与えること、

だと考える、

ということでしょう。

なんでもコミッショナーは、9・11当時アメリカに居合わせた、

とかで、その事情には詳しい、と語っていたように思います。


9・11の惨事は、2001年に起きました。

2001年は、イチローが大リーグに移籍した始めの年です。

あの惨事で、大リーグ自体がその興行を止めてしまえば、

イチローの大記録も発生しなかった怖れがあったわけで、

その当時の状況が、イチロー本を読めば、簡単に知ることができます。

当時の大リーグ組織、および選手たちの感情や置かれた立場は、

そうとう深刻なもので、

国全体が大きな悲しみに暮れているときに野球などやっておれない、

という選手たちの気持ちや、

組織側としては、球場という大観衆が集まる場所はテロの対象になる、

という危険から開催をすべきではない、という考えで中止を決めていたのでした。

それを、くつがえしたのが、当時のブッシュ大統領で、

「アメリカが日常を取り戻し、

テロリスト達にアメリカの中心を突き崩すことはできないことを示すために、

野球の試合を再開する必要がある」

とメッセージを送ったのです。

今回の日本の、地震・津波、そして電力問題で、起こっている状況とは、

背景が違います。

プロ野球を開催・実施するのは、議論なしに、すべきことでしょう。

しかし、パ・リーグが、直接の災害に影響を受けているチームを考慮しながら、

開催を遅らせたこと、

それにセ・リーグは同調すべきだった。

セ・パ一丸となって、プロ野球を通して国民の「日常」を支える、

という意思が本当ならば。


セ・リーぐだけが、抜け駆け的に(営業利益のみを考えて)開催日を変更をしない、

というのは、

事態を国民視線で考えることの出来なくなってしまっている組織であることを物語っています。

まして、電力不足で「計画停電」まで実施している東電管区で、ナイター開催するなど、

気が触れている、としか思えない。


巨人の代表は、「プロ野球の開催日をお上が決めるのか」と吼えたそうですが、

このような国家危機の状況を判断できない組織に対しては、

「お上」が決めるのです、

ということが、よ~く分かったことでしょう。


プロ野球界は、根本から、変わらなければならない、と思います。

ほとんど、テレビの中継もなくなってしまうほど、

もう、落ちるところまで落ちたのだから、

大改革をしても、痛みもなにも、もう失うものは、無いはずなのですが。。。



イチローのことが出たので、すこし思うところを加えておきます。

昨年、10年間200本安打の世界記録を樹立したとき、

久しぶりにピート・ローズの声が聞かれました。

これだけはイチローにも破れそうに無い、

通算4256安打の大リーグ記録をもつ彼がイチローをどう見ているか、

マスコミが興味をもったのでしょう。

イチローが日本で記録した1278安打を大リーグの安打数と合わせてカウントすべきか、

と問われて、彼は、「日本の野球は3Aレベルだ」と答えて、

その質問への直接の答えを避けました。

イチローの大リーグでの安打数についても、

「3,4シーズンは全体の27、28%が内野安打。

世界一幸運な男に違いない」

と述べました。

イチローをちょっと揶揄しながら、日本の案打数を加えない限り、

年間200本安打の記録は破られても、

通算4256本は、到底手の届く記録ではない、

という自負がありありと見えている発言です。

イチローの大リーグ通算案打数は、2010年で10年プレーして、

2244本です。


その差、2012本。


ところで、僕がイチローに興味を持ったのは2,3ヶ月前からで、

ごく最近のことだといえます。

そのきっかけは、彼がどこかで述べていた、

「自分が60歳になって、現役でバッター・ボックス立っている、

それが夢、かな」

という言葉によってでした。


誰もが、そんなバカな、

と思う話でしょうが、

僕には、なんとなく、イチローは本気でそれを夢見ているのではないか、

と思えたのです。

24時間、365日、イチローが野球から我を忘れることはない、

非常にストイックな生活をしていることは、よく知られていると思います。

下る道があって、階段とスロープがあったら、こけて怪我する可能性から考えて、

絶対階段は使わない、

それほど一事が万事、慎重な生活だと言います。

彼が、大リーグに移籍した頃は、マクガイアとかソーサーのような、

大型パワーヒッター全盛の時代、でした。

もともとアメリカ人は、パワー・ピッター好みなのは言うまでもありません。

イチローはそういうスターを一度もうらやんだことはないだろう、

と思います。

彼らの弱点を知っているからです。

それは、短命だ、ということです。

大型選手は、必ず身体に故障を起こし、辞めていきます。

イチローは、自分のことを、

走・攻・守のバランスの取れた選手であることが最大の価値である、

その3つに、すべての力を注ぐ選手である、

と宣言しています。

その一つ、一つをばらしてしまえば、その分野の一流の選手で終わるだろうが、

(それだけでも、すごいことではありますが)、

その三つを合わせて一人の選手としてみれば、超一流になるのだ、と

イチローは考えているわけです。


(だから、上のピート・ローズの言葉、内野安打は偶然得た幸運のたまもの、

ではなく、彼の足が生み出す、狙って打つ、正当な安打、なのです。

ピート・ローズの場合は、内野安打は単に幸運だった、としか思えないでしょう、

が・・・)


走・攻・守のバランスのとれた選手には、大型選手では成れないでしょう。

身体は大きくあるよりも、柔軟であることが求められるでしょう。

そのことが、故障を避ける、道にもなります。


2011年のキャンプで、イチローの身体チェックをしたオリックスのトレーナーは

10年前の渡米時と、ほとんど変わらない身体の状態に驚いた、と言います。

また、ホワイトソックスで44歳の現役で、名遊撃手のビスケルが、

今年のイチローを見て、「これまで通りのスピードだ」、

37歳のイチローだが、

「少なくても今の自分の年くらいまで現役でいられるのではないか」

と述べています。

彼は、「筋肉の小さい選手はより長くプレーできる」というのが持論だそうです。


イチローがこれを聞いてなんと思ったか、

想像をたくましくすると、

ビスケルが44歳まで現役でやっていられるのなら、

自分なら47歳までは固い、

いや50歳までやらなきゃ、人は驚かない、

とほくそ笑んだのではないでしょうか。


今年のマリナーズのキャンプを、イチローのバットの製作の名工である、

ミズノ社の名和民夫さんが訪問し、彼のバッティングを2時間ほど見学したそうです。

イチローのバットは、巨人のかの篠塚選手の、細身の美しいバットがモデルで、

ひと目でそのバットに魅了されて以来、

オリックス時代からずっと同じ形、同じ重さのバットを使い続けている、という。


名和さんは、すでに、2ダース分イチローには渡してあるそうで、

この訪問の日にも、「このまま通りでいってください」と言われたそうです。


名選手になれば、バットに対する感覚も鋭いものがあり、

その年毎に、身体の状態や、バッティング・フォームの変異などを踏まえて、

違うバットを製作してもらう、という話を多く聞きます。

イチローが、バットを全然変えない、ということは

どういうことなのか。

彼の身体能力が、一切変わっていない、ということなのか。

バットは大事なバロ・メーターで、

バットに合わせて、身体を整えて行こう、としているのか。

いずれにしろ、20年近くもバットに変更を加えていない、

その身体造り、

野球への取り組みは、

彼が50歳まで、

(いや、夢の60歳まで?)

プレーし、あの未踏だと思われたピート・ローズの記録を

やすやすと超えてみせる日が、

やってくるののだろう、

そういう風に、僕は、思っているわけです。



この夢は、いまの僕を、

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危機の時に肝心なことは、信頼するに足るリーダーの存在だ。

あるいは、その地位にいる人間が、真のリーダーたるかどうかは、

危機の対したときに証明されるともいえる。

それならば、すでにリーダーとしての素質を見限られていた人物が、

危機の状況においても、そのままの地位にい続けるとしたら、

どういうことになるのだろうか。


クチさがないマスコミには、

被災民からもっとも嫌われている人物は、菅首相、と言われている。

その菅首相が、2日、陸前高田市を視察訪問した。

官邸内の声では、被災地訪問は慎重論が大きかったらしい。

控えめにすべきだ、という表面上の理由は、

「現地に負担をかける」から、

ということだが、実際には、

菅首相が行っても「自分の勉強」のため、

自分のパーフォーマンスや自己満足のためであって、

被災民から喜ばれることなど、ひとかけらもない、

ということだろうと思う。

それを察することも出来ないのは、もう完全にタガが外れてしまっている、

としか思えない。

被災地視察を前に、被災者に夢を与えようと思ったのか、

唐突に「エコタウン」計画を、あたかも自説のごとくに語ってみたが、

借り物に過ぎず、出所も明らかにしないから、

なんのインパクトもない、菅の迷いごと、のように受けとられてしまった。

このアイデアのオリジナルは、大前研一氏、だと思う。

このブログのコメント欄で、Honmaさんから紹介があった、

http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0

のセミナーの中で、その案が語られています。

このビデオは3月11日の地震の発生から、1週間後に早くも作成されたもので、

大前氏は、そもそも日立の原子力技術者だったこともあり、

示唆に富んだ、貴重なセミナーだと思います。

「高台に住宅を造り、海岸には漁港、漁師は港まで通勤する」という言葉が、

使われています。

また、節電も、ピーク時節電を明確にすること、

最大のピーク時は、夏の日中、甲子園の開催期間中だから、

今から、夏の甲子園は中止する、と決定・発表すると良い、

と言います。

(僕は、中止、はきついので、秋の冷房の不要な時期にずらす、

というだけで済ませたい、のですが・・・)

国民に節電を促すには、20%などの目標設定し、

それを達した家庭からは従来の電気代、

目標未達成の家庭からは、

未達の度合いに応じた値上げして電気代を取る、

そうすれば、みな、競争して節電するだろう。

また、1年、2年の時限をつけた臨時「震災消費税」を2%とか、つける。

これによって、国債の負担を軽くして、日本国債の信用破綻を避ける。


そして、今、検討されているという、

原子力発電所の放射能封じ込めには、巨大テントで覆ってしまう、

というようなアイデアも、震災後1週間のセミナーで、提案されています。


「エコタウン構想」は、合理的で、夢のあるアイデアなので、

菅首相としては、おみやげ話のつもりで被災者訪問前にぶち上げたのでしょうが、

現実の被災地を見、被災者の顔をみたら、そんな付け焼刃な自分の考えなど語る

余裕も無かった。

足が地に着いていない、行動ばかりなのです。


そもそも大前氏にこの「エコタウン」構想には、大前提があって、

「各地を復興させない」、

という考えが先にあるのです。

各地に、バラバラな、個別論理による、復興をさせない、

それを抑えて、国の責任において、復興プランを造り、実施する。

複数県にまたがる対策ですから、国の主導が必要です。

だから、このエコタウン構想を語るには、周到な説明が必要なわけで、

思いつき的な発言では、その趣旨や実現性が、誰にも理解されないと思うのですが、

菅首相には、そういう判断すらできず、

この案の出所はどこだ(誰もが菅のオリジナルだとは思っていないので)、

とマスコミが騒ぎ出す始末でした。


上の大前氏のセミナーで語られていることの中で、

僕が特に感心したのは、

もう日本では原子力発電は認可されないだろう、

(アメリカがスリーマイル事故以来30年間、新しい原発が認可されないでいるように)、

という見通しに立って、

だから、もう失われた電力を再開発しようとは思わなくて良い、

20%減の、電力量でまかなえる日本を作ることを目指すべきだ、

という提案です。

少子化で人口が増えるわけでもない日本が、電力をさらに増大させる必要は無く、

さまざまなメーカーに、節電して機能する製品の開発を奨励して、

より少ない電力で、新しい日本をつくる、

そういうビジョン、です。


エコタウン構想にしろ、

時限付き、震災消費税アップにしろ、

この新電力戦略にしろ、

信頼されるリーダーが、こころを込めて、ビジョンを語り、真摯に訴えれば、

国民の理解と支持が得られる、実現も可能になるでしょうが、

その「信頼」という資質が、いまや限りなくゼロ地帯に落ちた菅首相では、

これはムリな大事業です。


被災地からの嫌われ者は、菅首相だけではなく、

民主党自体もそのようで、

「民主と分からぬように」 支援参加議員に党要請

「民主党の表示があると、石を投げられるからかも」とさえ冗談をいわれるのは、

民主党全体を覆う、能力なしで、パフォーマンスばかりの、あの手この手に、

市民があきれ返ってしまっている、という現象ではないでしょうか。


まぁ、市民があきれ返っていることの、もうひとつの大きなことは、

東電に対する評価です。

菅首相に相当する、清水社長とやら、

一体どうしたことか、まったくの雲隠れを決めたまま、です。

もう、社長を勤められる状態、心身ともに、不適応なのは、

分かりきっているのに、辞任の発表をしないのは、

ただただ事が一応の収束を見たときに、

いけにえ処分としての責任者の辞任、というシナリオまで引っ張りたいだけ、

という意図が見えみえで、

ここにも、東電の無責任ぶりが、現われて、

面目躍如、というところでしょうか。


菅外しの、時限付き大連合、

が、残された最善の選択のように、思えますが、

菅にその勇断が示せるか、どうか、

民主党が、国難に対するその責任を果たせるかどうか、

見守らなければ、なりません。


見守らなければならないニュースに、

個人的には、次のようなものが出てきました。

タイ政府が、タイ人女性と、50歳以上の外国人との結婚を認めない、

という法律を作ろうとしている、

というニュースです。


Law prohibiting marriage to foreigners over the age of 50 proposed to Thai Cabinet


彼女によると、

カンボジアでは、同趣旨の法律がすでに存在している、

とのことです。


どうなることやら・・・。



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今日は少しばかり緩やかになりましたが、

つい2日ほど前までは、

外気は21度、室内25度という日が続いたりで、

寒い、変なタイの気候です。

2週間後にはソンクランの水掛祭りがやってくるというのに、

大丈夫かな、

と言ったら、

タイ人はどんな気候でも、ソンクランでは水掛遊びを手控えることはない、

と彼女が断言していました。


日本では、気候ばかりではなく、震災と原発で、まだまだ寒い日が続いていて、

のんきなブログを書くのもためらわれるほどです・・・。

特に、原発問題にまだ収束への見通しが立たない現在、

復興への具体的な計画・実施もままならない、といった状態ではないでしょうか。

本当に、東電の原発問題に対する行動に対して、始めからこれまで、

疑問符や不信感が拡大しっぱなしなのが、今の症状の最大のガンではないでしょうか。

僕のブログでのこの震災についての書き出しも、

まず東電に対する官業企業としての、不快感・不信感で始まっていました。。。




今週一週間、すこし忙しい思いをしていました。

彼女の妹が、二人の幼い娘を連れて、

ノンブアランプーからバンコクへ遊びに来ていたのです。


火曜日の朝一番にバンコクに到着し、

その日半日は、僕らとともに過ごし、

翌日水曜は、いとこの娘夫婦にラヨーンの海へ、

木曜日は、僕が、いとこの家から、叔父の家に連れてアイサツを済ませて、

バンカピに戻り、

ザ・モールのプールで水遊び、

翌金曜日の朝6時のバスで帰郷、というスケジュールでした。


朝の3時に、慣れないモーチットのバス・ステーションまで迎えに行ったり、

バンプリの叔父の家を探したり、

車を動かすのに神経を使いました。


ラヨーンの海は、プライベート・ビーチだから、とかで

強く誘われていたのですが、

なんといってもの寒さに怖気づいて、棄権してしまいましした。


20110331nieces
パタナカンのマクドナルドで。
姉は5歳、妹は3歳。
かわいい盛りですね。


再来週のソンクランには、彼女達の住む田舎に、

僕の方がでかける予定、です。



今回の日本から持ってきた大きな荷物は、

彼女用のゴルフ・クラブ一式でした。

古い話ですが、バレンタインの贈り物を考えたとき、

日本に帰ったときにゴルフ・クラブを入手しようと考えたのでした。

僕の練習にも付いて来たがって、

僕がボールを打っている間は、英語の勉強などをしているのですが、

僕の方が、気になって落ち着きません。

それで、いっそのこと、クラブを与えようと、考えたのです。


これまで、3回ほど、アイーナカリン・パー3へ打ちっぱなしに行っているのですが、

まずまず、真面目の練習しているようです。

いつか、一緒に、コースに出る日が来るのでしょうか。。。


ゴルフと言えば、

来週の火曜日、5日に、

タイのゴルフ友達のイチャイさん主催のコンペが、

パイン・ゴルフである、

という連絡を受けました。

参加費(グリーン・フィ、キャディ・フィ、パーティ代込み)、980バーツ。

どなたか、僕と一緒に、参加しませんか?   



東日本大震災に関して、悲喜こもごもの話が、眼一杯ありますが、

サッカーのカズさんの話は、勇気付けられる話の一つでした。

日本代表と日本選抜による復興支援のサーカー試合で、

ゴールを決めました。

その記事からの抜粋、です。


先月で44歳になった。

それでも昨年の10年南アW杯も出場をあきらめなかった。

14年のブラジルW杯も本気でピッチを目指している。

「どこへ行っても年齢のことを言われるが、

サッカーをあきらめるつもりはまったくない。

みんなもあきらめないで欲しい」


40歳を過ぎてからのカズの口癖は「やめないよ」

最近、新聞に連載した同名の著書を出した。

その中に、

「上を向いている限り、絶対にいいことがあるんだ」

とある。


生きるための明るさを 三浦知良・サッカー人として




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