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週間エコノミストの12月6日号の、トップ記事「王様と彼等」の翻訳の、昨日からの続きです。

昨日の分も、いっしょに、通しで読めるようにしました。


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The Economist December 6 issue

economistthai


王様と彼等

タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任

タイの観光ビジネス、その輸出産業界、そしてタイ国の評判そのものが、最近の事件により、メチャメチャに破壊された。
君主主義者の群れが政府公舎を何ヶ月も占拠し、あげくにタイ国際空港を強奪したのである。
警察は彼等を立ち退かせることを拒否し、軍は立ち退きに協力することを拒否した。
今週、この強奪は、裁判所が、与党3党を解党するということで、終了した。
しかし、与党連立グループは、新党を準備し、継続して政権を維持しよう言って、新たな紛争の予感がする。
これは、あたかも、現代的な国と見せかけた(1980年代から1990年代早期までの成功のおかげ)うすっぺらなベニヤ板が、もろくもひっぺがされた、という感じである。
ついこの間まで、アジアの多様な民族国家の模範、とさえみなされていたタイランドは、一挙に無政府状態にすべり落ちてしまった。
紛争は3年前に始まる。腐敗に反対する平和なデモ・グループと権力乱用のタクシン政府がぶつかった。
政府反対者は、王室象徴の黄色いシャツを着、タクシンを共和主義者に近いヤツ、と非難した。
そして、君主主義者の軍司令官が、2006年、クーデターを起こし、タクシンを失脚させた。
しかし、デモクラシー再生を謳った昨年の総選挙で、タイ国民は、タクシン支持派グループを選択したのである。
不適格な使いかたで命名されたPAD(People's Alliance for Democracy)グループが、政府反対の運動を復活させ、さらに暴力的な戦術が拡大するにいたって、タクシン系政府支持者が赤いシャツを着て、反抗するという行動を導きだしたのである。

話してはならないこと。

この紛糾の間中ずーっと、語るにはばかられる大事なこと、それはタイの報道だけでなく、ほとんどの外国人レポーターも語れないのこと、それはプミポン国王と、その家族、そして王宮の近しい取り巻きの果たしている役割である。

世界で最も苛烈な強制力を持った「不敬罪」という法が、たとえばタイの社会生活における王室の役割といった、もっとも穏やかな内容の議論さえ、実施すること妨げるのである。

この様な法は、世界のほかの国ではどこでも、廃止されているのもかかわらず、タイでは1970年代により過酷になったのだった。

不条理極まりないのは、どこの誰でも、不敬罪で訴えることができるようになったことである。

警察は、ほんの取るに足らないような不満でも、真剣に取り組まなければならない。

これ法が、すべて、政治家やその他、思惑を持つものが、それを笠に着て、敵を攻撃しダメージを与える、手軽なツールと化した。

王様に不快な思いをさせたと疑われた場合に、その真の意図やいきさつ等を、説明・弁明することさえ、しばしば、許されない報道状況なので、結局タイ国人は、何が本当に「不敬」なのか、知る由がないのである。

不敬罪、という法律はそれ自体、暴力である。

それは、デモクラシーを主張するどの国においても、強化されてはならないものである。

さらに悪いのは、この法が、この国の慢性的な苦痛の理由のなにがしかを、タイ国民の目から隠してしまっていることである。

王様自身が見做している”mess"タイランドータイの混乱、窮地ーは、62年間の統治期間の間に王様自身によって行われた干渉にも、その芽があるのである。

来るべき王位継承の問題も、その窮地の一因をしめしているであろう。

この12月5日、王様の81歳の誕生日を祝う場にあたり、、この問題がより鮮明に浮き出されてきた。

王様の干渉がいかほどこの国の政治を傷つけてきたかどうか、誰も知らない、なぜならタイ国民は、聞くことを許されなかったからである。

何人かの人は、我々の批評に気分を害するかもしれない。

しかし、我々は彼等にとって無益な、不当な主張をしているわけではない。

タイはもっと開かれた議論ーopen debate-を必要としている。

王冠を継承する王が、より崇敬される度合いが少なかろうと予測される場合に備えたい、と思えばなおさらである。

国が、おとぎ話版の、タイの歴史を書くのは決して良いことではない。

おとぎ話とは、王様は決して間違いをしない、王様は政治の上位に存在し、つねにデモクラシーを守るときだけ介入してきた、というお話しである。

これらは真実ではない。

タイの公式バージョンの歴史は、様々なエピソードにより成る。

例えば、1992年の事件の時、プミポン王は、血塗られた独裁者を失脚させ、国をデモクラシーの道に戻された。

しかし、他の多くのあまり誉められ難い干渉は、報道されることなく、ほとんど議論もされなかった。

1976年には、共産主義の脅威に過敏になり、右翼自警団の増大を大目に見逃した、その自警団がその後、非武装の学生デモ隊の殺戮に、加担したのである。

冷戦時代、アメリカは、プミポン王を信頼できる同盟とし、経済的バックアップを与え、王のイメージアップ戦略支援したのである。

この長期の同盟関係と、過酷な不敬罪という法が、西洋の外交官、学者、そしてジャーナリストをして、舌を噛ませ、批評の口を封じたのである。

2006年、プミポン王統治になって15回目のクーデターのあと、当局は外国人報道者に、軍司令官の権力の強奪に対して、王様は、手続きとして不本意ながら認めたのだ、との説明にやっきになっていた。

タイ国民は、全く反対のメッセージを受け取っていた。

国王は、直ちにクーデター実行者に謁見を許した、彼等の行動を誉め、認可した、という報道が、写真付きで、新聞社によってばら撒かれたのである。

真実は、王様はクーデターに対しては、常に不愉快の念を表明する有能な人なのである。

軍隊を引き連れて彼を脅そうが、ひざすり寄って願いでようが、王様は常に不快をもって認めているだけなのである。

彼は、別の方法でも力を及ぼしている。

2006年以来、その時王様が、裁判所に、政治の危機のときはアクションを取るようにと命じたために、裁判所はその言葉を、タクシンとその一派を締め出すことが王様の望みであると解釈したようで、
ごく最近の与党解党裁定につながっていくのである。


もうおとぎ話の未来はない


時間です。。。とほほ。。。翻訳し切れなかった。

残りの4分の1、もっとも大事な「結」の部分は、また明日。

こんなことを書いて、僕の英語の勉強になるだけですけど。。。



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EISの翻訳から・・・・・
The Economist 2008年12月6日号
タイの王政  Thailand's onarchy
国王と臣民たち  The king and them  (2008年12月4日)

タイ民主主義崩壊の背後にあって、語られざる王室の役割

タイの観光事業、輸出産業、そしてその国際的評価は、最近の一連の出来事で崩れ落ちた。国王派の群衆が数か月にわたって首相府を占拠し、その後、バンコクの国際空港などを奪取した。警察は彼らの排除を断った。軍隊も正常化の手助けをしなかった。今週、裁判所が連立与党3党の解党を命じたため占拠・包囲は終わった。だがこれらの政党は新しい名前に衣替えして統治を続ける計画なので、新たな紛争が起こりそうだ。それはあたかも、1980年代と90年代初めの好況時に貼られた近代性の薄いベニア板が、はがされたかのようだ。つい最近までアジアの多元主義の灯台だったタイは、無政府主義へと滑落しつつある。

この紛争は2005年、タクシン政権の腐敗と権力乱用に抗議する平和的な集会の形で始まった。王室の色である黄色のシャツを着た抗議者たちは、タクシン氏を「隠れ共和主義者」と非難した。国王派の将軍たちが06年のクーデターでタクシン首相を排除したとき、黄色い抗議者たちは前面に躍り出た。だが民政復帰後の選挙で、タイ国民は再びタクシン派主導の連立政権を選出した。「民主市民連合」(PAD)と名乗る黄色いシャツの連中が、そこで抗議行動を再開した。彼らはますます暴力的な戦術を取り始めたので、タクシン支持派も赤いシャツを着て応戦せざるを得なくなった。

それを話してはならない

この紛争全体を通じて、タイの報道陣だけでなく大部分の外国人記者にとっての重大なタブーは、プミポン国王、その家族、およびその最も身近な廷臣の役割だった。世界で最も厳守されている「不敬罪」が、タイの国民生活の中の王室の役割を少しでも論じることを禁じているからだ。そのような法律は他の国ではもう廃止されているが、タイでは1970年代に逆に強化された。ばかげたことだが、誰もが不敬罪で裁判所に訴えることができる。警察は、つまらない不平不満であっても、真剣に取り上げる必要がある。こうしたことから、不敬罪を定めた法律は、政治家などが政敵を攻撃する有効な道具になっている。マスコミもしばしば、何が国王への不敬に当たるかの説明を許されないので、タイ国民は、ほんとにそれが不敬なのか知る方法がない。

不敬罪は、それ自体が違法である。民主的な外観を持ついかなる国にあっても、それは施行されてはならない。さらに悪いことに、この法律は、周期的に起こる政治混乱の理由を国民から隠している。国王自身が「タイの混乱」と呼ぶ事象は、在位62年の国王による様々な形での政治への介入に起因している。また部分的には、王位継承を目前にした権力闘争が絡んでいる。

国王の行動がいかにタイの政治を損なったかについての話は、タイ国民がそれを聞くことを許されていないのでほとんど知られていない。だから本誌の王政批判に驚く人もいるだろうが、私たちは余計なお節介をしているわけではない。タイは、もしさほど尊敬されない君主が王位に就く日に備えるというのであれば、公開の討論を必要とする。ある国が自分の歴史の「おとぎ話版」に同意するのはいいことではない――国王は無謬で、政治を超越しており、介入するときは民主主義の側にだけ立つというおとぎ話に。そのどれも真実ではない。

タイ史の官製版は、1992年の出来事のようなエピソードに依拠している。その時プミポンは、血にまみれた独裁者の辞任を強要して国を民主主義の軌道に乗せたとされる。だが王室によるあまり立派でない介入の多くは報道されておらず、ほとんど議論されてもいない。1976年に国王は共産主義の脅威に取りつかれ、右翼による警戒行動の増大を許したようだ。その行動への参加者が後に、無防備の学生抗議者たちの虐殺に加わった。冷戦時代には米国はプミポンを頼れる同盟者とみて、彼のイメージ向上を財政的に支援した。長期にわたるこの同盟関係、そして厳しい不敬罪が、西側の外交官、学者、ジャーナリストの口をつぐませ、批判を控えさせた。

プミポン治世下で15回目になる2006年のクーデターの後、当局者たちは、国王は将軍たちの政権奪取を儀礼的に容認せざるを得なかったと外国人に説明した。だが国民はそこから、反対のメッセージを読み取った。国王はすかさずクーデター首謀者たちに接見を許し、新聞はその写真を満載した。そして国民は、国王が彼らを容認したと受け止めた。実際には国王は、自分がそうしたいときにはいつでも、軍隊を動員することによって、あるいはクーデターの結果の容認を引き延ばすことによって、クーデターへの不快感を示すことができた。そして国王は、他の方法でも権力を行使している。2006年以降、政治危機について行動を取るように国王が裁判官に告げるとき、裁判所は国王の意思を推察してタクシン氏および彼の支持者に不利な判決を下してきた。その直近の例が、与党3党の解党命令である。

「おとぎ話」に将来はない

タイ国王派の想像の中では、タイはブータンに似ている。ブータンの新国王は、民主主義よりも王政を好む少数の国民によって崇敬されている。だが実際にはタイは、王妃が無謀なPADを支持したことへの、そしてプミポン後継者の不適格性への民衆の怒りから、ネパールの最近の運命をたどる危険を冒している。ネパールでは激しい内戦が続いた後、その介入好きの国王は今では共和国の一平民になっている。PADは王室によって育てられ、今では王室を飲み込もうとしている。ここ数日間で1つのイメージが定着している。PADの無法者が国王の肖像を掲げて政府支持者を銃撃しているイメージである。タイの王政は今や、かつてないほど明白に、それ自体が問題の一部になっている。王室は、恐ろしいほど階層的で不平等な社会の頂点に君臨している。共和党員でなくても、これは議論の必要があることに同意するだろう。

国王誕生日の前夜、本誌が印刷に回る時点で、国王は体調不良と報じられ、毎年恒例の国民への演説ができない。だから彼はまだ、「国王の名において行動している」という黄色いシャツの主張を否定できないでいる。彼の長い沈黙は、タイの法治に甚大なダメージを与えている。だが彼はまだ役に立つことができる――他の誰もできないことだが、時代遅れの不敬罪の廃止を、そして現行の勅許の中の不敬罪を支持する文言の廃止を要求することによって。そうすればタイ国民は自分たちの将来について適切な論議ができるようになるだろう。彼は2005年に、自分は批判を超えた存在ではないと言って、この問題に中途半端な挑戦を試みた。だが、不敬罪の完全廃止以外の何物も効果はない。タイの友人は、そうするようにタイに告げるべきだ。
2008/12/10(水) 18:46 | URL | 三嶋 #qbIq4rIg[ 編集]
EISの翻訳
三嶋さん、情報提供ありがとうございました。エコノミストは日本語翻訳サービスがあるんですね。有料のようですが・・・。私の翻訳も、あんまり間違っていないようで、安心しました。いくつか英語の勉強になる点、ありました。
2008/12/10(水) 20:57 | URL | im8p #-[ 編集]
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