きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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週間エコノミストの12月6日号の、トップ記事「王様と彼等」の翻訳の、3回目です。

なんで週刊誌の1ページ分の翻訳にそんなにかかるの、と思われるかもしれませんが、

夜になって書き始めるのと、(今日は、午前中、街に出かける前に、書きます)

いろいろ気になって、あちこちインターネットをみたりと、脱線することが多く、進みません。

自分では、良い意見で、タイを理解するうえで勉強になった、と思うのですが、他にひとにとっては、どうなのかなぁ、と思っていました。

それでも、自分の英語の勉強になるので、こうして3回もかけて翻訳しているのですが、

今日、うれしいことに、「拍手」が第2回目の記事にありました!

どなたか、参考になった、と思ってくださった読者が居て、安心しました!


というのも、最近、このブログの読者がどんどん減っていて、

ブログランキングも、2週間前の5位から、急落、

現在10位で、早晩20位くらいまで落っこちそうな気配は、

なんだか、○○内閣支持率を思わせます。

へへ、そんな喩えは失礼し過ぎですね。


ただ、パール・バックの話なんかは、自分では一所懸命の心うちなんですが、タイ関連では無いですので、誰も最後までは読んでくれまい、と思ったりしていました。

しかし、このパール・バックのお話しにも、「拍手」を送ってくださった方がいます。

ああ、こころが通じる人がいた、うれしい、と思いました。


ブログ・ランキングのクリックと、拍手が、書き手が受け取るメッセージになります。

よろしくお願いしますね。



では、本題にもどります。


全文、通しで読めるように3回まとめてアップしました。


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The Economist December 6 issue

economistthai


王様と彼等

タイ・デモクラシー崩壊の陰の、語られぬ王宮の責任

タイの観光ビジネス、その輸出産業界、そしてタイ国の威信そのものが、最近の事件により、メチャメチャに破壊された。
君主主義者の群れが政府公舎を何ヶ月も占拠し、あげくにタイ国際空港を強奪したのである。
警察は彼等を立ち退かせることを拒否し、軍は立ち退きに協力することを拒否した。
今週、この強奪は、裁判所が、与党3党を解党するということで、終了した。
しかし、与党連立グループは、新党を準備し、継続して政権を維持しよう言って、新たな紛争の予感がする。
これは、あたかも、現代的な国と見せかけた(1980年代から1990年代早期までの成功のおかげ)うすっぺらなベニヤ板が、もろくもひっぺがされた、という感じである。
ついこの間まで、アジアの多様な民族国家の模範、とさえみなされていたタイランドは、一挙に無政府状態にすべり落ちてしまった。
紛争は3年前に始まる。腐敗に反対する平和なデモ・グループと権力乱用のタクシン政府がぶつかった。
政府反対者は、王室象徴の黄色いシャツを着、タクシンを共和主義者に近いヤツ、と非難した。
そして、君主主義者の軍司令官が、2006年、クーデターを起こし、タクシンを失脚させた。
しかし、デモクラシー再生を謳った昨年の総選挙で、タイ国民は、タクシン支持派グループを選択したのである。
不適格な使いかたで命名されたPAD(People's Alliance for Democracy)グループが、政府反対の運動を復活させ、さらに暴力的な戦術が拡大するにいたって、タクシン系政府支持者が赤いシャツを着て、反抗するという行動を導きだしたのである。

話してはならないこと。

この紛糾の間中ずーっと、語るにはばかられる大事なこと、それはタイの報道だけでなく、ほとんどの外国人レポーターも語れないこと、それはプミポン国王と、その家族、そして王宮の近しい取り巻きの果たしている役割である。

世界で最も苛烈な強制力を持った「不敬罪」という法が、たとえばタイの社会生活における王室の役割といった、もっとも穏やかな内容の議論さえ、行うこと妨げるのである。

この様な法は、世界のほかの国ではどこでも、廃止されているのもかかわらず、タイでは1970年代により過酷になったのだった。

不条理極まりないのは、どこの誰でも、不敬罪で訴えることができるようになったことである。

警察は、ほんの取るに足らないような不満でも、真剣に取り組まなければならない。

この法は、すべて、政治家やその他、思惑を持つものが、それを笠に着て、敵を攻撃しダメージを与える、手軽なツールになってしまっている。

王様に不快な思いをさせたと疑われた場合に、その真の意図やいきさつ等を、説明・弁明することさえ、しばしば、許されない報道状況なので、結局タイ国人は、何が本当に「不敬」なのか、知る由がないのである。

不敬罪、という法律はそれ自体、暴力である。

それは、デモクラシーを主張するどの国においても、強化されてはならないものである。

さらに悪いのは、この法が、この国の慢性的な苦痛の理由のなにがしかを、タイ国民の目から隠してしまっていることである。

王様自身が見做している”mess"タイランドータイの混乱、窮地ーは、62年間の統治期間の間に王様自身によって行われた干渉にも、その芽があるのである。

来るべき王位継承の問題も、その窮地の一因をしめしているであろう。

この12月5日、王様の81歳の誕生日を祝う場にあたり、、この問題がより鮮明に浮き出されてきた。

王様の干渉がいかほどこの国の政治を傷つけてきたかどうか、誰も知らない、なぜならタイ国民は、聞くことを許されなかったからである。

何人かの人は、我々の批評に気分を害するかもしれない。

しかし、我々は彼等にとって無益な、不当な主張をしているわけではない。

タイはもっと開かれた議論ーopen debate-を必要としている。

王冠を継承する王が、より崇敬される度合いが少なかろうと予測される場合に備えたい、と思えばなおさらである。

国が、おとぎ話版の、タイの歴史を書くのは決して良いことではない。

おとぎ話とは、王様は決して間違いをしない、王様は政治の上位に存在し、つねにデモクラシーを守るときだけ介入してきた、というお話しである。

これらは真実ではない。

タイの公式バージョンの歴史は、様々なエピソードにより成る。

例えば、1992年の事件の時、プミポン王は、血塗られた独裁者を失脚させ、国をデモクラシーの道に戻された。

しかし、他の多くのあまり誉められ難い干渉は、報道されることなく、ほとんど議論もされなかった。

1976年には、共産主義の脅威に過敏になり、右翼自警団の増大を大目に見逃した、その自警団がその後、非武装の学生デモ隊の殺戮に、加担したのである。

冷戦時代、アメリカは、プミポン王を信頼できる同盟とし、経済的バックアップを与え、王のイメージアップ戦略支援したのである。

この長期の同盟関係と、過酷な不敬罪という法が、西洋の外交官、学者、そしてジャーナリストをして、舌を噛ませ、批評の口を封じたのである。

2006年、プミポン王統治になって15回目のクーデターのあと、当局は外国人報道者に、軍司令官の権力の強奪に対して、王様は、手続きとして不本意ながら認めたのだ、との説明にやっきになっていた。

タイ国民は、全く反対のメッセージを受け取っていた。

国王は、直ちにクーデター実行者に謁見を許した、彼等の行動を誉め、認可した、という報道が、写真付きで、新聞社によってばら撒かれたのである。

真実は、王様はクーデターに対しては、常に不愉快の念を表明する有能な人なのである。

軍隊を引き連れて彼を脅そうが、ひざすり寄って願いでようが、王様は常に不快をもって認めているだけなのである。

彼は、別の方法でも力を及ぼしている。

2006年以来、その時王様が、裁判所に、政治の危機のときはアクションを取るようにと命じたために、裁判所はその言葉を、タクシンとその一派を締め出すことが王様の望みであると解釈したようで、
ごく最近の与党解党裁定につながっていくのである。


もうおとぎ話の未来はない


タイの君主主義者の想像力の範囲では、彼等の国は、まるでブータンのようで、王様が、ちっぽけな人数の国民によってカリスマ的にあがめたてまつられ、デモクラシーよりは王様ルールを選択する、ということになる。

真実の姿は、国民の怒りが、クィーンが暴挙するPADを支援したことや、プミポン王後継者のくすぶりつつける適格度合いに、向けられているのである。

それは、最近起こったネパール王国の運命と同様のリスクを、タイ国にも課すことになるであろう。

ネパールでは、激しい市民戦争を苦しみ抜いて、干渉しつづけた王が、いまや共和国のただの人、になっている。

王宮に可愛がられたPADは、今や、王宮をがけっぷちに追い込もうとしている。

ここ数日間の、強固に残るイメージは、王様の肖像を頭上に抱えながら、激しく政府支持者にむかって発砲するPADの、あのイメージである。

君主政体は、今、過去より更に明瞭に、この国の問題の部分である。

それは、おそろしいほどに階級的で、不公平な社会の頂点に立っている。

そのあり方について議論するべき、と考え、賛同するには、なにも共和主義者である必要はない。

エコニミストの記者は、王様の誕生日のお祝い前夜のプレスに参加し、王様が体調悪く、恒例の国民へのメーッセージは無い、と伝えられた。

だから、いまだに王様は、黄色いシャツの群が王様の名前で代理行動をとったのだとする主張を、公式に否認する機会をもっていない。

王様の長い沈黙は、タイ国の法の役割について、大きなダメージを与えている。

王様は今でも、いや王様以外が誰もがなしえない、命令によって、旧態依然とした不敬罪という法と、
その法律上の表現を廃止する、力となり得るのである。

それが、タイ国の将来を、正しく議論し、行動することを可能にするのである。

王様は、2005年に、その志しの一端の一刺しを、述べられた。

すなわち、国王といえども批評の対象になる、と言われたのである。

しかし、法律上の変更はなにも起きていない。

タイ国の友人達は、これを、言うべきでる。

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長文、読了、お疲れさまでした。


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コメント
この記事へのコメント
不敬罪で発売中止
予想通り、エコノミスト今週号は発売中止になりました。
下記はNewsClip記事です。

タイ書店、英誌発売を中止 「国王に批判的な記事」 2008/12/ 9 (18:48)

【タイ】タイの書店チェーン、アジアブックスは英有力誌「エコノミスト」の今週号の発売を中止した。プミポン・タイ国王に関する批判的な記事が掲載されているため。問題の記事は9日午後8時現在(タイ時間)、エコノミストのウェブサイトで閲覧が可能。

タイには不敬罪があり、王室批判は刑事罰の対象となる。昨年3月には国王のポスターに黒ペンキをスプレーしたスイス人男性が禁固10年の実刑判決を受けた。男性は同年4月に恩赦で出獄、タイを出国した。

昨年4―8月には国王を侮辱する内容のビデオが投稿されているとして、インターネット動画投稿サイト、ユーチューブへのタイ国内からのアクセスをタイ政府が遮断した。

今年5月には不敬罪疑惑で追求を受けたジャクラポップ前首相府相が閣僚辞任を余儀なくされた。ジャクラポップ氏は昨年8月にタイ外国人記者クラブで行った講演で、主従関係的なシステムが民主主義と対立していると主張。王室批判だとして、野党や軍などから激しい突き上げを受けた。
2008/12/09(火) 23:00 | URL | 三嶋 #qbIq4rIg[ 編集]
やはり、ですね
ふふふ、やはりですね。
ご愛嬌は、今頃アジアブックスが発売中止したこと。先週から発売されて、もう売れるところには売れた後でしょうから。表紙をみれば、一目瞭然なのに、いままで引っ張っていたりして。
タイは面白い国ですね。
2008/12/09(火) 23:38 | URL | im8p #-[ 編集]
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