きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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作家に会いたい、と言う人の中には、自分の話を聞いて、作品を書いて欲しい、という人が昔から居たようです。

「私はその女に前後四、五回会った」

という書き出しで始まる<硝子戸の中>のエピソードは、そういう経緯で入ります。

最初の二回は、女は漱石の本を誉めたり、世間話をするだけで、要領を得ない。

三度目に、なにかに昂奮したらしげに涙をしきりにぬぐいながら、自分のこれまで経過してきた悲しい歴史を書いてくれないかと頼みます。

実名を出さなければ迷惑をかける人はいない、というので、漱石は特別の時間をとって、その女の話を聞くことにします。

その後、一度、女はその約束の日を延ばしてほしい、と言ってきます。

そして、最後に漱石にあった日の記述です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼女は自分の前に置かれた桐の手あぶりの灰を、しんちゅうの火箸で突っつきながら、悲しい身の上話を始めるまえ、黙っている私にこう言った。

「このあいだはは昂奮して私のことを書いていただきたいように申し上げましたが、それはやめにいたします。ただ先生に聞いていただくだけにしておきますから、どうかそのおつもりで・・・」

私はそれに対してこう答えた。

「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出てきてもけっして書く気づかいはありませんからご安心なさい」

私が十分な保証を与えたので、女はそれではと言って、彼女の七、八年あえからの経歴を話しはじめた。
私は黙然として女の顔を見守っていた。
しかし女は多く目を伏せて火鉢の中ばかりながめていた。
そうしてきれいな指で、しんちゅうに火箸をにぎっては、灰の中へ突き刺した。

ときどき腑におちないところが出てくると、私は女にむかって短い質問をかけた。
女は単簡にまた私の納得できるように答えをした。
しかしたいていは自分一人で口をきいていたので、私はむしろ木像のようにじっとしてるだけであった。

やがて女の頬はほてって赤くなった。
おしろいをつけていないせいか、そのほてった頬の色が著しく私の目についた。
うつむきになっているので、たくさんある黒い髪の毛もしぜん私の注意をひく種になった。

女の告白はきいている私を息苦しくしたくらいに悲痛をきわめたものであった。
彼女は私に向かってこんな質問をかけた。ーーー

「もし先生が小説をお書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」

私は返答に窮した。

「女は死ぬほうがいいとお思いになりますか。
それとも生きているようにお書きになりますか」

私はどちらにでも書けると答えて、暗に女の気色をうかがった。
女はもっとはっきりした挨拶を私から要求するようにみえた。
私は仕方なしにこう答えた。---

「生きるということを人間の中心に考えれば、そのままにしていてさしつかえないでしょう。
しかし美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違ってくるかもしれません」
「先生はどちらをおえらびになりますか」

私はまた躊躇(ちゅうちょ)した。
黙って女のいうことを聞いているよりほかに仕方がなかった。

「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れてゆくのがこわくってたまらないのです。
この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂のぬけがらのように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」

私は女が今広い世間(せかい)の中にたった一人立って、一寸も身動きのできない位置にいることを知っていた。

私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。

私は服薬の時間を計るため、客の前もはばからず常に袂時計(たもと時計)を座布団のわきに置く癖をもっていた。

「もう十一時がからお帰りなさい」

と私はしまいに女に言った。
女はいやな顔もせずに立ち上がった。

私はまた「夜がふけたから送っていってあげましょう」と言って、
女とともにくつ脱ぎにおりた。

その時美しい月が静かな夜を残るくまなく照らしていた。
往来へ出ると、ひっそりとした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。
私はふところ手をしたまま帽子もかぶらずに、女のあとについていった。

曲がり角のところで女はちょっと会釈して、
「先生に送っていただいてはもったいのうございます」
と言った。
「もったいないわけがありません。同じ人間です」
と私は答えた。

次の曲がり角へ来たとき女は、
「先生に送っていただくのは光栄でございます」
とまた言った。

私は、「ほんとうに光栄と思いますか」
とまじめに尋ねた。
女は簡単に、「そう思います」
とはっきり答えた。

私は、
「そんなら死なずに生きてらっしゃい」
と言った。

私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。
私はそれから一丁ばかり行って、また家のほうへ引き返したのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

漱石のヒューマニステックな面持ちの躍如した文章だとおもいます。

僕はカウンセリングを学んでいますが、ここに漱石の、話し手、とともにある聞き手の姿を垣間見ます。

漱石は、大家ぶって、人生相談をうけ、アドバイスしようとなんかしていません。

簡単にアドバイスして解決できるような、なまやさしい問題ではなく、漱石の身に起きたとして、自分自身が絡み取られて身動きのできない類の問題で、彼は女とともに、おなじ土俵で、ともに悩んであげている、できることはそれだけなのです。

女はそうしてくれた漱石に、簡単になにやらの助言を得るより以上の、あたたなか思いやりと、救われる思いを感じたのではないでしょうか。
少なくても、話を全部聞いてくれ、自分を理解してくれる人がいる、ということを知って。

こう、理解したうえで、

何もしてあげられない自分のような者に対しても、光栄だと思う心が残っているのなら、

「そんなら死なずに生きてらっしゃい」

という言葉が、重みを増します。


<硝子戸の中>の一エピソードですが、こころに残りました。



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