きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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八木重吉は、こんな詩人です。

<秋の瞳>



 私は、友が無くては、耐えられぬのです。

 しかし、私には、ありません。

 この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。

 そして、私を、あなたの友にしてください。

             

<貧しき信徒>



母の瞳
 
 ゆふぐれ
 
 瞳をひらけば
 
 ふるさとの母うへもまた
 
 とほくひとみをひらきたまひて
 
 かわゆきものよといひたまふここちするなり


ひびいていこう

 おほぞらを
 
 びんびんと ひびいてゆかう



八木重吉は肺結核で、1926年に死亡。

とみ夫人との間に生まれた二人の子供も、1937年に桃子、1940年に陽二が、やはり結核で死にます。

ひとり残されたとみ(登美子)が、やがて吉野秀雄と再婚することになります。



その様子を、吉野秀雄が<やわらかな心>に書いています。

とみ子は、夫の死後勤めていた茅ヶ崎南湖院の事務員から、病身で4人の子を抱える秀雄のところに、家政婦としてやってきてくれます。
とみ子、40歳。


「なぜ見も知らぬわたしのところへ来る気になってくれたものか、そこが不思議で、どうも因縁というよりほかはない。

もしくはわたしに神仏の加護でもあったのだろうか」


とみ子の何気なくもらしたところによると、次のような理由からでした。

・八木に感化されたキリスト教の精神で、この困りつくした一家に尽くして建て直してやろうと思った。

・八木も胸の病に倒れたが、この家のあるじも胸を病むとは、これもそういう運命だと観じた。

・吉野が金にもならぬ歌をつくる者だということは、詩歌の徒は貧乏しても信用が置けるという解釈から、かなり気に入った。


「しかし、とみ子は八木を忘れかねてそれまで再婚を拒んできたのだろうし、わたしもはつ子を失った悲しみは、まだなまなましいし、おいそれどうのこうと、ことを運ぶわけにはいかない」


「ある日、ガラス戸越に、わたしは井戸端で洗濯をするとみ子を見ていた。

とみ子はわたしに気づかず、ただ一心不乱にたらいの中の洗濯板にごしごしやっていて、それをななめに見おろしているとき、突然好きになった」

「そして間もなく、わたしは万葉流の単刀直入さで、

『あなたはもしやわたしの家内になってくれぬだろうか』

というと、これはまたへんにあっさりと、

『なります』

というのであった」


・これの世に二人の妻と婚(あ)ひつれどふたりは我に一人なるのみ

・恥多きあるがままなるわれの身に添はむぞといふいとしまざれや



60歳を越えても、生活苦と病苦はさらず、リューマチにかかり、散歩もできなくなる中、心身とも健やかな思いを維持できたのは、とみ子夫人という伴侶あればこそであった。


エピソードをひとつ。

リューマチで散歩も出来なくなってまる三年、近所にひとにはもう死んだと思われたらしく、

とみ子夫人が、薬局に立ち寄ると、

「お宅さんでもとうとういけませんでしたそうで」

とお悔やみを言われてしまします。

「まだ生きてますよ」

と笑いながら言った話を受けて。


・噂には死にきと決めて居らめどもうはささるるはありがたき内



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