きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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本文です。


川田順は、昭和の歌人です。

住友本社常務理事だった54歳のとき、総理事の座(トップの座)を目前に退職し、歌の専任生活を選び取ります。

やがて東宮御作歌指導役(皇太子の歌の先生。親子2代、この役を勤める)にまでなります。

58歳のとき、妻・和子が突然病にたおれ、亡くなってしまいます。

翌年、京都に「夕陽居」に新築、移住し、余生をひとり気ままに歌作、研究に打ち込みます。

そして、62歳のとき、やがて歌の弟子となる、美しい人妻俊子と出会います。

俊子、35歳、27歳の年齢差です。

愛を告白するのが、65歳のとき。

川田の一目惚れから始まり、かなり強引な愛の告白です。


・いつよりか君に心を寄せけむとさかのぼり思ふ三年四年を(みとせよとせを)


・樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現れぬ


・吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかり愛(かな)しきものを


・むらさきの日傘すぼめてあがり来し君をみれば襟あしの汗


・はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく  俊子


死を決意した家出なども起こし、ついに二人は結ばれます。


戸惑い、迷いながらも、その行動力には、感嘆させられます。

皇太子の歌の師であり歌会始めの選者でもある、功成り遂げた社会に尊敬される立場。

また、自分を尊敬しその妻を弟子にと押した博士学者への裏切りの悔い。

それらを越えて、川田は、俊子に迫っていくのです。

愚かと言えば、愚かですが、愚かであるからこそ、人間の深さ、豊かさ、尊さを、感じもします。


この川田順に、「老いらくの恋」という詩を、自叙伝のなかで、書いています。


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若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮士時(おさかり)の
四十路(よそじ)の恋は、世の中に
かれこれ心配れども
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。

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「老いらく」、と言う言葉は、今の時代には干からびすぎて響きますから、

「熟年」と置き換えたいですね。


・何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはつひに貫く

昭和四十一年(1966年)、長逝。享年八十四。

(俊子は鈴鹿俊子の名で、作歌活動つづけるも、2006年、96歳で死去)



いろいろ、学ばせられます。

60歳を前に、大きな転機があったこと - 実業への別れと、妻・和子の死去。

新しい生活を始めたこと - 京都への転居と歌作りへの専心。

そして新しい恋には、世間に臆しながらも、徹底して思いを貫いたこと。



熟年の恋に、怖るるものは無し、

世間体や、人の眼を気にしたって、しょうがないっしょ。

自分を大切に生きてみましょ。


こういう気概で生きたいものだと、思ったのでした。


参照:恋歌・恋句 川田順 


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