きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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経済人を中心にした伝記作者として、功なり名を遂げた小島直記は、

自分の小島直記文学館に、蔵書をすべて寄贈したあと、

71歳でガンが見つかり、直腸癌の手術をします。

その2年後にまた違うガンがみつかり、入院しますが、どうにか命をひろって帰宅します。

家に本がなく、あまりにさびしいので、鈴木大拙全集32巻を注文し、

命ある間に、読了しようと、決意します。

73歳の新たな決意です。


僕も、定年を迎え、悠々自適の生活にはいったら、誰か大家の全集を読み続けながら、脳の衰えを防ぎたいものだ、と思っていました。

親鸞とか、漱石とか、ニーチェとか、トインビーでも。

ところが、実際は、早期定年退職しても、悠々自適どころか、まだまだ生活放浪中で、読書も雑読・積読ばかりです。


今日、ふとブックオフで手に取ったのが、新藤兼人さんの「いのちのレッスン」という本です。

95歳の時の本です。

「愛妻物語」で有名な新藤兼人さんの人生模様については、昨年NHKのドキュメンタリーで見ていました。

3人の女性との結婚と別れ、映画監督と女性、ですから結構派手な生き様ですが、そのこころの在り方は、愛、という一本の筋が通っていて、感銘をうけます。


最初の妻は、久慈孝子。

27歳と23歳の出会いと結婚。

まだ無名の、自信なく実績もない20代のときに、自分を励まし、育ててくれたのは、最初の妻でした。

一度は、君には才能がない、と烙印をおされた溝口監督に、もう1年続けて師事していきましょう、と提案し、支えたのが彼女でした。

そして、新藤兼人が、ようやく最初のシナリオを溝口監督に認めらようとしているとき、

彼女は、結核にかかり他界します。

急性結核で吐血、三ヶ月後には死んでしまうのです。

入院させることもできず、京都の長屋の一室で死にます。

新藤兼人は、27歳の彼女の命を、自分が奪ってしまった、と思います。

自分のことより、新藤兼人の将来を心配し、シナリオライターとして一人前になることを何よりも願った。

新藤兼人の夢を自分の夢、とした。

新藤兼人にとって、久慈孝子は、永遠の女性像です。

その姿を描いたのが、「愛妻物語」という映画で、シナリオを書き上げたあと、これはどうしても他人の監督に撮らせるわけにはいかない作品だ、自分が撮らなければ描けない、として彼の映画監督のデビュー作ともなるのです。

そして、映画の久慈孝子役をつとめたのが乙羽信子。三番目の妻となる人です。

実は、この間に、二番目の妻がいます。

戦後になって、友人の紹介で、34歳のとき、見合結婚します。

相手は、創作には縁のない、田舎育ちの純粋な女性で、24歳、

シナリオライターとして一人前になった新藤兼人は、映画という仕事に生きがいを感じ、長男も生まれ、逗子に家も建てた。

そして、39歳のときに、乙羽信子に出会う。

新藤兼人は、妻も子供も家も守りたかったので、乙羽信子との関係を続けながら、逗子に家に帰り続けます。

暗黙の了解、で押し通しますが、妻50歳、新藤兼人60歳のときに、妻が離婚を申し出ます。

息子は大学を出、娘は20歳を越えたので、妻がもうこれまで、と考えたのでしょう。

家庭裁判所で(ということは、あまりすんなり話し合いが行われる間柄ではなかった、ということでしょうか)、妻の要求通りに、財産を等分にわけ、別れます。

ちょっと面白いのは、娘といっしょに暮らしたいと思っていた妻に、娘はついて行かず、自分の意思で逗子の家に残るのです。

たぶん、新藤兼人がひとりになっては、生活が大変だろうと、察したからなのでしょう。

5年後に独立するまで、一緒に暮らします。

息子も、映画の製作の仕事をするようになり、新藤兼人の影響をプラスで受け取っているようです。

離婚すれば、乙羽信子と結婚するだろうと、誰もが思っていたが、新藤兼人はそうではなかった。

死ぬまで結婚はしない、それがせめても別れた妻へのけじめだ、と固く決心していたのです。

二度目の妻は、実家にも戻らず、ひとりで戸籍をたてて暮らし、一度の連絡がないままに、5年後、他界してしまいます。

これに、新藤兼人はうちのめされてしまった、と言います。

それでも、やがて、妻の死後1年ほどして、

乙羽信子が、体調を崩して入院し、電話を通して力無い声で、

「心細くてしかたがない。結婚したい」

と言われ、決心します。

乙羽信子は、妾の子で、大変な苦労をしょった人生を歩んできて、家庭に餓えている女性です。

新藤兼人66歳、乙羽信子54歳。

そして、映画「午後の遺言状」まで、乙羽信子とのドラマチックな人生が続いていきます。

(男と女は、結局、ドラマチックなわけですが・・・)

1994年、乙羽信子、享年70歳で、ガンにより他界。


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夫婦とはなにか。
三人の妻を失ったわたしだが、明確な答えも持ちあわせていない。
しかし、一つだけ言える。
男と女が一つ屋根の下で肩を寄せ合い、生きることは、自然である。
素敵なことである。
男と女が営む家があって、家には窓があり、社会につながる。
そして、人は生きる。
たとえ、それがどんな結末をむかえようと・・・。

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古本屋でふと手にした本ですが、家にかえってみると、新藤兼人の本が何冊かあります。

新藤兼人の足跡というシリーズものの本の第一巻が、青春、というサブ・タイトルで、

3章が、出会い、という名で、<私的乙羽信子論>を書き、

4章は、シナリオ「愛妻物語」が載っています。

僕は、新藤兼人にとって、久慈孝子と乙羽信子は、ふたりで一人の女性だったように、思います。


愛妻物語のあらすじを知りたい方は、下のサイトをご覧ください。
映画:愛妻物語。


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