きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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昨日「納棺夫日記」について触れましたが、今一僕がなんで感銘を受けたか、説明不足のようなきがしますので、もう一度、書きます。

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作者の青木新門さんは、富山県なのですが、本家の跡取りで、近所には多くの分家の親類が住んでいます。

ある分家の叔父がやってきて、新門さんが行っている納棺夫の仕事を止めろ、と迫ります。

そんな「穢らわしい仕事」は一族の恥だ、お前はうじ虫だ、と罵り、絶縁宣言をします。

その叔父が、危篤だという。

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叔父は確か朦朧としているようだった。
しかし、私が誰であるのか分かったらしく、震える両手を上に伸ばそうとした。
私は、その手を握りながら、叔母が用意した椅子に腰を下ろした。
叔父は、私の方を見ながら何か言おうといしてるようだった。
その顔は、以前私に説教していた時と全く違う顔であった。
安らかな柔和な顔であった。
目尻からは涙が流れ落ちていた。
叔父の手が私の手を少し強く握ったように思えた時、
「ありがとう」
と聞こえた。
その後もしばらく私の手を握ったまま、言葉にならないような「ありがとう」をくりかえしていた。
その顔は、まぶしいほど安らかな柔和な顔であった。
叔父は、翌朝死んだ。
私に心から憎しみが消えていた。
ただ恥ずかしさだけがこみ上げてきた。

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そして、井村和清さんという三十二歳でガンで亡くなった医師の書いた、「飛鳥へ、まだ見ぬ子へ」という遺稿集への出会いがつづられます。

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癌の肺への転移を知ったとき、覚悟はしていたものの、私の背中は一瞬凍りました。
その転移巣はひとつやふたつではないのです。
レントゲン室を出る時、私は決心していました。
歩けるところまで歩いていこう。

その日の夕暮、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。
世の中がとっても明るいのです。
スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。
走り回る子供たちが輝いて見える。
犬が、垂れ始めた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが輝いて見えるのです。
アパートに戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほどに尊く見えました。

(井村医師の日記の最後のページは「ありがとう」です)

みなさん、どうもありがとう。
北陸の冬は静かです。
長い冬の期間を耐え忍べば雪解けのあと芽をふきだすチューリップの季節がやってきます。
ありがとう、みなさん。
人のこころはいいものですね。
それらが重なりあう波間に、私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。
ありがとう、みなさん。
ほんとうに、ありがとう。

               <飛鳥へ、まだ見ぬ子へ>より

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そしてもう一話。作家・高見順の詩。

高見順は、戦後、肺結核で一度死を見つめ、10年後に再びガンの襲われ、死の一年前に詩集「死の淵より」を著わして他界します。

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      電車の窓の外は

電車の窓の外は

光に満ち

喜びにみち

いきいきといきづいている

この世ともうお別れかとおもうと

見慣れた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死なねばならぬ

だのにこの世はにしあわせそうだ

それが私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸がつまって涙がでそうになる

       <死の淵> より

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単純化を恐れずに言えば、

人間が自分の死を見つめ、それを受容するとき、ひとつの「悟り」が得られるのでしょう。

いままで、自分に取りつき、どうしても切り離せなかった、自我や欲望から、解放される。

今まで、苦の連続でしかなかった世界が、光いっぱいの幸福な世界となって見える。


どうして、じぶんは、もっとやさしくなかったんだろう、どうしてもっと感謝と慈しみのこころで生きていなかったんだろう。

生きる、ということは苦しいことではなく、すばらしいことなのだ。

昨日、

青木新門さんが書いたのは、人間の枠を超えて、死の向こう側からみた生の尊厳、みたいなものでしょうか、

と書いたのは、こういう思いからでした。


この世は、うつくしい、いのちは、うつくしい。




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2009/05/31(日) 19:59 | URL | 葬儀マナー磨き中 #-[ 編集]
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