1949年、マルセル・セルダンを航空機事故で亡くし、その死からは、立ち直ったものの、1960年交通事故の際に打ったモルヒネから、麻薬中毒を陥り、その禁断の苦しみを緩和しようとして飲むアルコールが、2重の中毒を引き起こし、ピアフは、舞台に立つことすらできない、状態になっていきます。
エディット、もう歌うのはやめなさい。自殺行為と同じだよ。
何度も医者にそう言われながら、無視します。
「生きていくために、うたうことが必要だった。
日々の糧を得るためであるよりも、歌えなくなってしまったら、生きていることが出来ない、のです。
歌は私にとって、自分自身であり、自分の肉体であり、血であり精神であり、心であり、魂なのです」
「中止されたフェスティバル・・・ピアフ舞台で倒れる・・・ピアフ過労で倒れる・・・ピアフ病気再発・・・危篤状態続く・・・ピアフ絶望か・・・ピアフ再度の輸血・・・それでもピアフ必死に歌い続ける・・・」
こんな状態のなかで、ピアフは沢山の幻滅や離別をくりかえし、歌い続け、人生の最終章を迎えます。
テオ・サラボーとの出会い。
テオ27歳、ピアフ47歳。
彼女は、スキャンダルの餌食になること、どんな非難や嘲笑や侮辱にも慣れていました。
肉体はぼろぼろで、顔と言えば実際の年齢よりもずっと老けこんでいます。
愚かで気狂いじみている、といわれることも平気です。
しかし、人生を歩み始めたばかりのこの青年に、私の残りの人生を分かち合うことを押しつける権利があるのだろうか、とピアフは悩みます。
「私が、男から男へ遍歴していたのは、ただひとつの理由からです。私はつねに同じものを求めつづけていたからです。それは、思いやりがあり、親切で、やさしく、そして誠実な男性です」
テオからの求婚に、生命のともしびすら消えかかっている彼女には、もっとも重大なことしか胸に響いてきません。
重大なことというのっは、愛し愛されること、幸せになり、満ち足りた気持ちになれることです。
「(承諾の)理由は簡単なことです。しかもとっても素晴らしい理由なのです。
テオが、私を愛していたからです。
私もテオを愛していたからです」
テオがピアフを、彼の両親への承諾をえるために、その家庭を訪問する場面は、泣けます。
ピアフは、彼の家族の一員として認められ、みんなから喜んで受け入れられることをねがっていました。
彼の父は結婚に対して厳格な考えをもつギリシャ人です。
家につくと、父、母、ふたりの妹が迎えます。
みんなぎこちなく、堅く、すぐには打ちとけません。
妹のキャテイが、ピアフにツイストが踊れるか、訊きます、踊れないとというと、教えてあげるわ、といってレコードかけて、踊りだします。。。
そして、テオは、両親をともなって庭に出ていって、話しを始める・・・。
そして3人は、またサロンに戻ってきます。
ランブカス氏は、黙ったまま、しばらくの間じっとピアフを見つめてから、話しだしました。
『「今、テオからあなたとの結婚に賛成して欲しいと言われたところなんです。
彼は感心な息子でしてね・・・、
もう分別のある年齢ですし、何をしようと彼には彼の自由があります。
あなたとの結婚問題も私が干渉すべき問題ではないと思っています。
それはそれとして、あなたにわかっていただきたいことがあります。
私はあなたを家族の一員としてお迎えすることを大変うれしく思っています」
私は必死になって泣き出しそうなになるのをこらえていました。
でも私より8か月年下のテオのママンから、
「エディット、これからは私のことをママンと呼んでね」
そう言われた時、もう我慢しきれませんでした。
私はどっと泣き出してしまったのです。
私の気持ちが落ち着いてから、みんなで楽しく食事をとりました。
彼らにとって、家族との生活は毎日のことなのです。
そのことが私にとってどんなに大きな感激だったか、彼らにわかってもらえたらと思います。
生まれて初めて、私は、父や母や妹たち、そして未来の夫に囲まれたのです。
Edith Piaf - mariage avec Theo Sarapo (1962) 結婚式
http://jp.youtube.com/watch?v=JSgeq4WDqVk&feature=related
Edith Piaf In Concert 1963 (VCDRip)
http://jp.youtube.com/watch?v=NvPGdfKJHX8&feature=related
(「わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝 晶文社」から抜粋・加筆)
エディット、もう歌うのはやめなさい。自殺行為と同じだよ。
何度も医者にそう言われながら、無視します。
「生きていくために、うたうことが必要だった。
日々の糧を得るためであるよりも、歌えなくなってしまったら、生きていることが出来ない、のです。
歌は私にとって、自分自身であり、自分の肉体であり、血であり精神であり、心であり、魂なのです」
「中止されたフェスティバル・・・ピアフ舞台で倒れる・・・ピアフ過労で倒れる・・・ピアフ病気再発・・・危篤状態続く・・・ピアフ絶望か・・・ピアフ再度の輸血・・・それでもピアフ必死に歌い続ける・・・」
こんな状態のなかで、ピアフは沢山の幻滅や離別をくりかえし、歌い続け、人生の最終章を迎えます。
テオ・サラボーとの出会い。
テオ27歳、ピアフ47歳。
彼女は、スキャンダルの餌食になること、どんな非難や嘲笑や侮辱にも慣れていました。
肉体はぼろぼろで、顔と言えば実際の年齢よりもずっと老けこんでいます。
愚かで気狂いじみている、といわれることも平気です。
しかし、人生を歩み始めたばかりのこの青年に、私の残りの人生を分かち合うことを押しつける権利があるのだろうか、とピアフは悩みます。
「私が、男から男へ遍歴していたのは、ただひとつの理由からです。私はつねに同じものを求めつづけていたからです。それは、思いやりがあり、親切で、やさしく、そして誠実な男性です」
テオからの求婚に、生命のともしびすら消えかかっている彼女には、もっとも重大なことしか胸に響いてきません。
重大なことというのっは、愛し愛されること、幸せになり、満ち足りた気持ちになれることです。
「(承諾の)理由は簡単なことです。しかもとっても素晴らしい理由なのです。
テオが、私を愛していたからです。
私もテオを愛していたからです」
テオがピアフを、彼の両親への承諾をえるために、その家庭を訪問する場面は、泣けます。
ピアフは、彼の家族の一員として認められ、みんなから喜んで受け入れられることをねがっていました。
彼の父は結婚に対して厳格な考えをもつギリシャ人です。
家につくと、父、母、ふたりの妹が迎えます。
みんなぎこちなく、堅く、すぐには打ちとけません。
妹のキャテイが、ピアフにツイストが踊れるか、訊きます、踊れないとというと、教えてあげるわ、といってレコードかけて、踊りだします。。。
そして、テオは、両親をともなって庭に出ていって、話しを始める・・・。
そして3人は、またサロンに戻ってきます。
ランブカス氏は、黙ったまま、しばらくの間じっとピアフを見つめてから、話しだしました。
『「今、テオからあなたとの結婚に賛成して欲しいと言われたところなんです。
彼は感心な息子でしてね・・・、
もう分別のある年齢ですし、何をしようと彼には彼の自由があります。
あなたとの結婚問題も私が干渉すべき問題ではないと思っています。
それはそれとして、あなたにわかっていただきたいことがあります。
私はあなたを家族の一員としてお迎えすることを大変うれしく思っています」
私は必死になって泣き出しそうなになるのをこらえていました。
でも私より8か月年下のテオのママンから、
「エディット、これからは私のことをママンと呼んでね」
そう言われた時、もう我慢しきれませんでした。
私はどっと泣き出してしまったのです。
私の気持ちが落ち着いてから、みんなで楽しく食事をとりました。
彼らにとって、家族との生活は毎日のことなのです。
そのことが私にとってどんなに大きな感激だったか、彼らにわかってもらえたらと思います。
生まれて初めて、私は、父や母や妹たち、そして未来の夫に囲まれたのです。
Edith Piaf - mariage avec Theo Sarapo (1962) 結婚式
http://jp.youtube.com/watch?v=JSgeq4WDqVk&feature=related
Edith Piaf In Concert 1963 (VCDRip)
http://jp.youtube.com/watch?v=NvPGdfKJHX8&feature=related
(「わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝 晶文社」から抜粋・加筆)
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