きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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早期定年退職した55歳のころから、翌朝早く起きる必要がなくなったので、

寝付けない夜や、途中で目覚めてしまった夜など、NHKラジオ深夜便という番組を聴くことが多くありました。

その番組の中で、月の最終土曜日の夜、五木寛之さんが約50分、「わが人生歌語り」として連続の番組を持っていました。

須磨佳津江アナウンサーが、絶妙の聞き手で、毎回、五木さんも意識していなかった想い出や、感情などを掘り起こされ、自然に語りが始まる、という感じで、とても良い番組でした。

いつもいつも聴いてるわけではなかったのですが、ずいぶん前に、五木さんが作家になった後の話しにまでなっていたので、もうとっくにシリーズも終わっているだろう、と思っていました。

なにしろ、このインタビューの本やCDも、すでに出版されていたので・・・。


そして、タイから帰国した先の土曜日、なにげなく深夜便をかけると、それが第59回目、最後の放送だ、という日でした。

1か月に1回、1年で12回ですから、59回というと、5年間です。

まったくの偶然でしたが、最後の放送を聴くことができて、良かった。

と思うと同時に、5年間、というと長いようでいて、実はあっという間なんだ、と改めて痛感しました。

僕が、早期退職してから、もう6年目、ということでもあります。


五木寛之さんの本は、けっこう読んでいるかもしれません。

「他力」ということに、今の著名人のなかで、一番、関心を持っていて、わかりやすく説明してくれる人だと、思います。

彼と生年月日が、まったく同じ人、石原慎太郎さんは、「自力」の人です。

石原さんが太陽(自力)だとすれば、五木さんは月(他力)です。

少女趣味のような表現で、もうしわけありませんが。


僕も、年老いてきて、「他力」ということが、とても気になってきています。

今日、古本屋に行くと、五木寛之さんの「私訳 歎異抄」がありましたので、さっそく買ってきて読みました。

五木さんは、敗戦後の数年間に彼の身の回りに起きた、過酷な出来事(母親の自栽?、父親の精神的な死、も含む、その他)を生涯、背負って生きている人です。

この本の「まえがき」にこうあります。

「他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。

敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。

その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだった」


あの有名な段の訳は、こうなっています。(一部、省略しますが・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あるとき、親鸞さまは、こう言われた。

善人ですら救われるのだ。まして悪人が救われぬわけはない。

しかし、世間の人は、・・・・(略)・・・
「あのような悪人でさえも救われて浄土へ往生できるというのなら、善人が極楽往生するのはきまりきっているではないか」
こういうところが、普通一般の考え方だろう。

そのことばは、なにげなく聞いていると、理屈にあっているように思われないこともない。

だが、あらためて阿弥陀仏の深い約束の意味を考えてみると、仏の願いにまったく反していることがわかってくる。


というのは、いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の対象ではないからだ。

ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。

・・・略・・・

あらゆる煩悩にとりかこまれているこの身は、どんな修業によっても生死(しょうじ)の迷いからはなれることはできない。

そのことをあわれに思ってたてられた誓いこそ、すべての悩める衆生を救うという阿弥陀仏の約束なのである。

・・・略・・・

わたしたちは、すべて悪人なのだ。

そう思えば、わが身の悪を自覚し嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるだろう。

おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こんなに善い自分だから、当然救われるだろう、

というのではなく、

こんな愚かな自分でも、救っていただけるのか、

ということから発する信心の強さ。


なが~く生きているほどに、

「こんな愚かな自分」という思いが

なんだか、ますます、

強くなってくるのです。


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コメント
この記事へのコメント
「夜のララバイ」
NHKラジオ深夜便 懐かしいですね。
久しぶりに思い出しました。

今日のタイトルである五木寛之氏ですが、彼が作詞をして、2月17日に急逝した藤田まことさんが歌って、ラジオ深夜便で放送された「夜のララバイ」という曲が思い出されます。
藤田さんと言えば俳優と言うイメージが強いですが、バリトンを生かした歌唱力が素晴らしいですね。

「夜のララバイ」・・・・歌詞の味わいと藤田さんの年輪が見事に調和して、NHK深夜便のリスナーである中高年齢層には、聞き惚れた方が多そうです。

http://www.youtube.com/watch?v=fLmqcLkZ62s
2010/03/03(水) 00:00 | URL | 春雷 #qbIq4rIg[ 編集]
日本を満喫されていますか?
いきなり深いですね。
日本での生活を満喫されているようで、何よりです。
私も最近よく日本のラジオを聴くのを楽しみにしているのですが、
かつて学生の頃によく聴いていた番組が
今も続いているのを知って、うれしく思いました。
幸か不幸か私はまだ宗教に暗いですが、
信仰を持っている人は幸せだと最近よく
思います。
2010/03/03(水) 05:57 | URL | ウチャラポーン #RuBj8cxQ[ 編集]
Re: 「夜のララバイ」
春雷さん、

優しいという字を 人を憂う、と読んでみる・・・
偲ぶという字を 人を思う、と書いてみる・・・

ついこの間、深夜便で初めて聴いたばかりだと思わせるこの歌も、4年前だそうです。
そして、藤田まことさんも、急逝。
無常を感じます。


> NHKラジオ深夜便 懐かしいですね。
> 久しぶりに思い出しました。
>
> 今日のタイトルである五木寛之氏ですが、彼が作詞をして、2月17日に急逝した藤田まことさんが歌って、ラジオ深夜便で放送された「夜のララバイ」という曲が思い出されます。
> 藤田さんと言えば俳優と言うイメージが強いですが、バリトンを生かした歌唱力が素晴らしいですね。
>
> 「夜のララバイ」・・・・歌詞の味わいと藤田さんの年輪が見事に調和して、NHK深夜便のリスナーである中高年齢層には、聞き惚れた方が多そうです。
>
> http://www.youtube.com/watch?v=fLmqcLkZ62s
2010/03/05(金) 22:34 | URL | imhappy #-[ 編集]
Re: 日本を満喫されていますか?
ウチャラポーンさん、
ブログにも、よく日本のFMラジオのことを書かれていますが、
(彼女に、DJを通してラブラブ・メッセージを贈ったり、まるっきり青春してますね!)、
どうやって聴いているのでしょう。。。
私は、日本に帰国している間だけのお楽しみ、です。

親鸞は、ほんとうに、理解したいなぁ、もっと触れてみたいなぁ、と。
日本人思想家として、海外の知識人がもっとも興味を覚えるひと、ナンバー1ではないでしょうか。かのハイデッガーが、もし親鸞を若いころに知っていたなら、彼の研究に一生をささげただろう、と言ったそうです。


> いきなり深いですね。
> 日本での生活を満喫されているようで、何よりです。
> 私も最近よく日本のラジオを聴くのを楽しみにしているのですが、
> かつて学生の頃によく聴いていた番組が
> 今も続いているのを知って、うれしく思いました。
> 幸か不幸か私はまだ宗教に暗いですが、
> 信仰を持っている人は幸せだと最近よく
> 思います。
2010/03/05(金) 22:42 | URL | imhappy #-[ 編集]
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