きょうもまた、あなたとおいしい朝食を食べる、それが幸せ。 風は、すずやかに、木の葉をゆらし、小鳥のさえずりが、庭に降る。 バンコク バンカピから。今日も元気だ、幸せだ!
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僕のブログのアクセス分析をみると、

毎日、半数が初めても訪問者で、あと半数がリピーターの方、です。

ときどき、アクセス数が普段より急増することがあって、

それは大抵、新しい訪問者が、なんらかのキー・ワードで検索後、

アクセスしてくるので、その日だけ、急増する、

ということがわかります。

先日も、ポッとアクセス数が増加したので、なんだろうと思って、

アクセス分析から、当日の検索キー・ワードを見てみました。

それは、「新藤兼人 乙羽信子」 というキー・ワードでした。

そのキーワードで、Googleと、僕のブログ記事、

いのちのレッスン 新藤兼人 96歳。 愛妻物語から始まる人生

が四つめのアイテムとして、第一ページに表示されるのです。


さては、なにか新藤監督に関するニュースでもあったかな、

という想像がはたらきます。


そして、今度は「新藤兼人」でGoogleしてみると、

映画「一枚のハガキ」に関する話題、でした。

99歳、これが監督としての、最後の作品である、

と宣言しているそうです。

新藤兼人監督 反戦作品で“遺言”

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新藤監督 

とうとう…、何でも終わりがあるように私も終わりがまいりました。

みなさんとお別れです。

しかし新藤は、こんな映画を作ったんだというふうに時々思い出してください。

私は死んでしまいますけど、これだけが望みなんです。

何という映画を作ったか、

みなさんと一緒に力を合わせて作ったというふうに思い出してください。

そうすれば私は死んでも、死なない。

いつまでも生きて、私が映画を作ったばかりに思い出していただける。

それを望みに死にたいと思います。

(ニッカンスポーツ・コムより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かって、新藤監督は、

「浦山桐郎監督は死んでしまったが『キューポラのある街』は残った」

と語ったことがあります。

無神論者である新藤さんが、あの世で、かって愛した久慈孝子や乙羽信子との

再会を夢見ているとは思えないので、

この世に残る人々の心の中に生き続けることを、真摯に望んでいるのだと

理解しました。

(新藤さんは、浅草観音に行っても、本堂でお参りすることをしません。

「無神論者の私がお参りなどしては、逆にバチがあたる」

と言って。)


新藤監督、ときおりに、テレビでみたり、本を読んだりしているのですが、

それで感じていることは、

反戦と愛情物語、この2本柱を、良心的に一生のテーマとして

書き続け、撮り続けてきた作家、という思い。

とくに、良心的、という太い心棒が、私生活にも仕事にも、

みごとに貫き通しているような、気がします。


愛情物語の最後の作品は、「午後の遺言状」だと思いますが、

反戦テーマの最後の作品は、「一枚のハガキ」だった。


新藤さんの本を読むと、あちこちに、「原体験」というべきエピソードが

語られていることに気づきます。

原体験、というのは、その出来事が、徹底的にその人の生き方、

考え方に影響を与えるような、重要な出来事を言います。

それは、繰り返しくりかえし、そのひとの一生を通して、

思い出され、考え続け、ふかく浸透し続ける類の体験です。


それが、時を経て、作品となって表れる。


「一枚のハガキ」の原体験は、こういうものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
またしても思い出すのだ。

昭和十九年春召集例で呉海兵団にとられ、百名が整備隊をつくって

大和の天理教へ行った。

ここの全国大会用の宿舎を予科練航空隊にするためだった。

整備が終われば、用はない。

六十名がフィリピンへ陸戦隊で行き、三十名が潜水艦に乗ることになり、

待機していた。

そんなある日の夜、カイコ棚の寝台の上段から下段のわたくしに

ハガキが差し出された。

その兵隊は岡山の百姓だった。

「今日は、お祭りですが、あなたがいらっしゃらないでは

何の風情もありません」

とエンピツで書いてあった。

彼の妻からの便りだ。

一字一字書きなれない字をちからをこめて書いたエンピツの字

わたくしは忘れることはできない。

われわれは下士官にクジを引いてもらって運命がきまった。

かれはフィリピンへ行った。

戦争は情け容赦なく人間を引き裂いてしまう。


      「ボケ老人の孤独な散歩」から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「監督業は引退しても、シナリオライターとして活動を続ける」

と言っているそうです。

これは、さすが、すごいですね。

独立プロの監督は、じつに重労働で、体力・気力・政治力・商人力、

すべて発揮しなければならない、

それは、もうあきらめたけれども、

映画への情熱、仕事への情熱は、失せてはいない、

と語っているのです。


杉村春子さんが、

83歳になっても、舞台で大張り切りの演技を続ける、

花道から駆け出し、縁側から居間へ上ったり下りたり、

立ったり座ったり、その間しゃべり通し、

どうしてこれが八十三歳の女優であろう、

と感想を述べたことがあります。

「そうだ、仕事をしているからだ。

老人は仕事をしなければいけない。

寝て起きてめしを食ってるだけではいけないんだ。

字を読もう、

テレビを見ているだけではダメ、手仕事をしよう、

よおし、シナリオを書くぞ、

だれも読んでくれなくてもおれは書くんだ」


シナリオは書く、といっているわけですが、

書いたシナリオに自分が惚れて、

これは他の誰にも監督はさせられない、

自分で撮らなきゃ、だめだ、、、

かって「愛妻物語」がそうだったように、

こうなることは、目に見えているようですが・・・。


それにしても、

老人は仕事をしなくてはいけない、

誰が読まなくて俺はシナリオを書くぞ、

という言葉には、

深く考えさせられる、

力があります、

ネ。




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コメント
この記事へのコメント
キアタニ
私、51歳のしがないリーマンです。大体月1程で訪タイしております。ほとんど週末を利用するものですから、ゴルフも土曜日のみとなります。今週末は土、日、月ですが。平日のみのゴルフのようですので残念に思います。機会がありましたらご一緒したいと思います。
2011/09/14(水) 21:24 | URL | enmasama(なべちゃん) #-[ 編集]
残念!Re: キアタニ
なべちゃん さん、
月一でタイにくるお仕事もそうとうなものですね。
どんなお仕事なのか、興味があります・・・。
でも、来タイの時は多忙で、ゴルフは週末に限る、
という事情はよく分かります。
私は逆にリタイヤ・ロングステイ組ですから、
平日の割安ゴルフだけをする、という逆の立場です。
キアタニも平日クーポン。
今回は、大変残念でしたが、コメントをお寄せくださり、
ありがとうございました。
もし、いつか、何かの機会に、ご一緒にプレーができたら、
幸せです。
今後ともよろしくお願いします。




> 私、51歳のしがないリーマンです。大体月1程で訪タイしております。ほとんど週末を利用するものですから、ゴルフも土曜日のみとなります。今週末は土、日、月ですが。平日のみのゴルフのようですので残念に思います。機会がありましたらご一緒したいと思います。
2011/09/15(木) 16:46 | URL | imhappy #-[ 編集]
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