300万人もの人命が絶たれたアウシュヴィッツ収容所から生還した経験を書いた「夜と霧」で有名な、精神科医のV・E・フランクルが言っています。
人間が人間らしく生きるために必要なことが三つある。
1.人間はクリエイテイブに何かを創る、生産することで生きがいをもって生きられる。
2.人間は、ほかの動物と違い、なにかを愛することによって、いきいきとする。
3.人間は、逆境に耐えることによって、より人間らしくなる。
収容所の生活に耐えられなく、滅亡して行った人間は、ひとつの未来、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間だった。
未来を失うと共に、彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し、身体的にも、心理的にも、転落したのだった。 (「夜と霧」 みすず書房 179ページ)
この言葉が、若者のためだけでなく、人間、何歳になっても大事な真理だと思います。
いや、年齢が高まるほどに、未来が一見とぼしくなると見られる、高齢者ほどに、大切な生きる知恵だと思うのです。
いくつになっても、未来を創る、そういう心構えで、生きていきたい。
人間が人間らしく生きるために必要なことが三つある。
1.人間はクリエイテイブに何かを創る、生産することで生きがいをもって生きられる。
2.人間は、ほかの動物と違い、なにかを愛することによって、いきいきとする。
3.人間は、逆境に耐えることによって、より人間らしくなる。
収容所の生活に耐えられなく、滅亡して行った人間は、ひとつの未来、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間だった。
未来を失うと共に、彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し、身体的にも、心理的にも、転落したのだった。 (「夜と霧」 みすず書房 179ページ)
この言葉が、若者のためだけでなく、人間、何歳になっても大事な真理だと思います。
いや、年齢が高まるほどに、未来が一見とぼしくなると見られる、高齢者ほどに、大切な生きる知恵だと思うのです。
いくつになっても、未来を創る、そういう心構えで、生きていきたい。
有名人の言葉から英語を学ぶ、という類の本で出会ったのが、始めだったと思うのですが、この言葉には、その後、何度も、いろんな人が引用していて、出会います。
ウルマンの「青春」のように、多くの人の共感を引き起こす言葉のようです。
英語は、
The way I see it, if you want the rainbow, you gotta put up with the rain.
by Dolly Parton
その英語の学習書を読んで、他にはなんのフレーズも記憶にないのですが、この言葉だけは、なぜか心に響いたので、記憶に残っているのです。
簡単に言ってしまえば、成功するためには、努力しなきゃいけないのよ、ということでしょうが、人生の禍福の綾を言い当てているように思います。
ドリー・パートンが、カントリー・ミュージックの大御所のような存在である、ということは知っていましたし、歌も何曲か聞いたことがあります。
その彼女の言葉としては、美しく、意外だったから記憶に残ったのでしょうか。
先日、放送大学の「日本の古典ー古代編」というテキストを学習していたら、次のような言葉に出会いました。
それは、本居宣長が「源氏物語」から引用した箇所で、
蓮(はす)を植えてめでむとする人の、濁りてきたなくはあれども、泥水(ひじみず)をたくはふるがごとし。
美しい蓮の花が咲き出すためには、汚い泥水がなければならない、ということです。
虹に雨、はすに泥水、
というわけです。
こういうバリエーションなら、他にもありそうだなぁ、と思っていると、
火が欲しかったら、煙くらいは我慢しなければ。 (ドイツの格言)
に出会いました。
いかにも実直なドイツの発想です。
3つを比べると、やはり、ドリー・パートンの、虹と雨が、一番、絵画的で、美しいですね。
記憶に残るはずです。
ドリー・パートンをもっと知りたい方は、次のページをごらんください。
http://dreamgate.ameblo.jp/dreamgate/entry-10088960275.html
ウルマンの「青春」のように、多くの人の共感を引き起こす言葉のようです。
英語は、
The way I see it, if you want the rainbow, you gotta put up with the rain.
by Dolly Parton
その英語の学習書を読んで、他にはなんのフレーズも記憶にないのですが、この言葉だけは、なぜか心に響いたので、記憶に残っているのです。
簡単に言ってしまえば、成功するためには、努力しなきゃいけないのよ、ということでしょうが、人生の禍福の綾を言い当てているように思います。
ドリー・パートンが、カントリー・ミュージックの大御所のような存在である、ということは知っていましたし、歌も何曲か聞いたことがあります。
その彼女の言葉としては、美しく、意外だったから記憶に残ったのでしょうか。
先日、放送大学の「日本の古典ー古代編」というテキストを学習していたら、次のような言葉に出会いました。
それは、本居宣長が「源氏物語」から引用した箇所で、
蓮(はす)を植えてめでむとする人の、濁りてきたなくはあれども、泥水(ひじみず)をたくはふるがごとし。
美しい蓮の花が咲き出すためには、汚い泥水がなければならない、ということです。
虹に雨、はすに泥水、
というわけです。
こういうバリエーションなら、他にもありそうだなぁ、と思っていると、
火が欲しかったら、煙くらいは我慢しなければ。 (ドイツの格言)
に出会いました。
いかにも実直なドイツの発想です。
3つを比べると、やはり、ドリー・パートンの、虹と雨が、一番、絵画的で、美しいですね。
記憶に残るはずです。
ドリー・パートンをもっと知りたい方は、次のページをごらんください。
http://dreamgate.ameblo.jp/dreamgate/entry-10088960275.html
もう一歩
いかなる時でも自分は思う、
もう一歩。
今が実に大事な時だ、
もう一歩。
なるようになる
なるようになる
全力をつくせ。
日々新
日々新
日々決心
日々真剣
日々勉強
日々成長
この道より
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く。
武者小路実篤、なんて、今では、明るいだけの老人ボケだ、
というような評価になっているのではないだろうか。
だけれども、若かりし頃、この人の健康さに、ずいぶん気持ちが
癒され、人生を前向きに見よう、という救いがあったことが、
思い出されます。
今でも、時に思いだして、その健康さに触れてみるのも、
いいものですね。
いくつになっても、人生、前向きに、ですから。
いかなる時でも自分は思う、
もう一歩。
今が実に大事な時だ、
もう一歩。
なるようになる
なるようになる
全力をつくせ。
日々新
日々新
日々決心
日々真剣
日々勉強
日々成長
この道より
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く。
武者小路実篤、なんて、今では、明るいだけの老人ボケだ、
というような評価になっているのではないだろうか。
だけれども、若かりし頃、この人の健康さに、ずいぶん気持ちが
癒され、人生を前向きに見よう、という救いがあったことが、
思い出されます。
今でも、時に思いだして、その健康さに触れてみるのも、
いいものですね。
いくつになっても、人生、前向きに、ですから。
船村徹さんが、刑務所の慰問を始めたのは、昭和33年からです。
26歳です。
プロの作曲家としてのデビューが昭和30年、
日本コロンビアの専属作曲家になったのが昭和31年。
作曲家活動を始めた早々から、慰問は始まっていた、といえます。
生涯無二の親友、作詞家の高野公男さんは、昭和31年に他界しています。
「別れの一本杉」は、作詞高野公男、作曲船村徹。
26歳で夭折した、高野公男をモデルに、「別れの一本杉」は映画化されます。
「高野は老母と妹の3人家族。
石切り場で仕事をしながら作詞家を目指していた。
高野には恋人がいた。
しかし父が残した借金を返さなければならない高野は貧しく、彼女と会うのはいつも村はずれの一本杉の下だった。
ところが恋人の姉が嫁ぎ先で亡くなった。
その土地では姉が亡くなると妹が後添えになるしきたりだった。
彼女の父親は裕福な男の後添えになることを強要する。
そのころ高野の詞が作曲家「船木」の曲を得てレコーディングされた。
船木から上京を促され、高野は迷った末に東京へ行く。
残された恋人は周囲の圧力に抗しきれずにとうとう姉の夫だった男の後添えになる。
高野は胸を病んでいた。
入院し、死出の旅につこうとしていた高野を見舞った船木は一つの詞を聞かされる。
「別れの一本杉」という詞だった。
病床の窓から届く恋人の婚礼の行列の音。
そして、「別れの一本杉」の新曲発表の日が来た。
ステージで歌う、春日八郎。
事情を知っている聴衆はハンカチを目にあて、会場からすすき泣きが漏れる。
やがて、、、春日も嗚咽して…映画は終わる。」
泣けた泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの娘と別れた 悲しさに
山のかけすも
鳴いていた
一本杉の
石の地蔵さんのよ
村はずれ
呼んで呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもいかずに この俺の
帰りひたすら
待っている
あの娘は いくつ
とうに二十歳はよ
過ぎたろに
刑務所慰問の話にもどります。
受刑者に捧げた曲も少なくない、と言います。
「希望(のぞみ)」という作品は、自分で作詞作曲した作品。
昭和57年の1月、岐阜の笠松刑務所を訪れる。
1月の寒さに凍える木造の講堂には、300人の女性受刑者。
多くは、男に捨てられないために、あるいは男から逃れるために罪を犯した女たち。
男と違い、最初から金銭目当ての犯罪は少ない。
歌詞が黒板に大きな字で書き写されている。
「やさしい歌だから覚えてよ。
いまから歌詞読んでみっから」 (船村さんは栃木弁です)
ここから出たら 母に会いたい
おんなじ部屋で ねむってみたい
そしてそして 泣くだけ泣いて
ごめんねと おもいきりすがってみたい
ここから出たら 旅に行きたい
坊やをつれて 汽車にのりたい
そしてそして 静かな宿で
ごめんねと おもいきり抱いてやりたい
ここから出たら 強くなりたい
希望(のぞみ)を持って 耐えていきたい
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
多分、その受刑者たちには、現実にそのようなやさしい母は、いないのではないか。
残してきてしまった子どもたちは、悲惨な人生を歩んでいるのではないか。
決して強くない自分を、知っているのではないか。
だからこその、希望(のぞみ)なのでしょうね。
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
(船村徹 私の履歴書 日本経済新聞社 から抜粋加筆しました。)
26歳です。
プロの作曲家としてのデビューが昭和30年、
日本コロンビアの専属作曲家になったのが昭和31年。
作曲家活動を始めた早々から、慰問は始まっていた、といえます。
生涯無二の親友、作詞家の高野公男さんは、昭和31年に他界しています。
「別れの一本杉」は、作詞高野公男、作曲船村徹。
26歳で夭折した、高野公男をモデルに、「別れの一本杉」は映画化されます。
「高野は老母と妹の3人家族。
石切り場で仕事をしながら作詞家を目指していた。
高野には恋人がいた。
しかし父が残した借金を返さなければならない高野は貧しく、彼女と会うのはいつも村はずれの一本杉の下だった。
ところが恋人の姉が嫁ぎ先で亡くなった。
その土地では姉が亡くなると妹が後添えになるしきたりだった。
彼女の父親は裕福な男の後添えになることを強要する。
そのころ高野の詞が作曲家「船木」の曲を得てレコーディングされた。
船木から上京を促され、高野は迷った末に東京へ行く。
残された恋人は周囲の圧力に抗しきれずにとうとう姉の夫だった男の後添えになる。
高野は胸を病んでいた。
入院し、死出の旅につこうとしていた高野を見舞った船木は一つの詞を聞かされる。
「別れの一本杉」という詞だった。
病床の窓から届く恋人の婚礼の行列の音。
そして、「別れの一本杉」の新曲発表の日が来た。
ステージで歌う、春日八郎。
事情を知っている聴衆はハンカチを目にあて、会場からすすき泣きが漏れる。
やがて、、、春日も嗚咽して…映画は終わる。」
泣けた泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの娘と別れた 悲しさに
山のかけすも
鳴いていた
一本杉の
石の地蔵さんのよ
村はずれ
呼んで呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもいかずに この俺の
帰りひたすら
待っている
あの娘は いくつ
とうに二十歳はよ
過ぎたろに
刑務所慰問の話にもどります。
受刑者に捧げた曲も少なくない、と言います。
「希望(のぞみ)」という作品は、自分で作詞作曲した作品。
昭和57年の1月、岐阜の笠松刑務所を訪れる。
1月の寒さに凍える木造の講堂には、300人の女性受刑者。
多くは、男に捨てられないために、あるいは男から逃れるために罪を犯した女たち。
男と違い、最初から金銭目当ての犯罪は少ない。
歌詞が黒板に大きな字で書き写されている。
「やさしい歌だから覚えてよ。
いまから歌詞読んでみっから」 (船村さんは栃木弁です)
ここから出たら 母に会いたい
おんなじ部屋で ねむってみたい
そしてそして 泣くだけ泣いて
ごめんねと おもいきりすがってみたい
ここから出たら 旅に行きたい
坊やをつれて 汽車にのりたい
そしてそして 静かな宿で
ごめんねと おもいきり抱いてやりたい
ここから出たら 強くなりたい
希望(のぞみ)を持って 耐えていきたい
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
多分、その受刑者たちには、現実にそのようなやさしい母は、いないのではないか。
残してきてしまった子どもたちは、悲惨な人生を歩んでいるのではないか。
決して強くない自分を、知っているのではないか。
だからこその、希望(のぞみ)なのでしょうね。
そしてそして 命のかぎり
美しく もういちど生きて行きたい
(船村徹 私の履歴書 日本経済新聞社 から抜粋加筆しました。)
若者は、愚かでよい。
若いうちは、無知で、無恥で、無謀で、ある。
だから、どんなことにも、真剣に、裸になって、取り組むことができる。
過ちを多く繰り返し、そして成長するのだ。
かえって心配なのは、無難な生を望み、生半可に大人になってしまう、
過ちを侵すことおそれ、冒険をしない、若者である。
これでは、人間は成長しないし、
なにか、大切なことを理解しないし、そして、後の世代にただしく
ものを伝えることすら、できない。。。。
これは、よく、言われることだと、思います。
それならば、と、僕は思うのです。
大人は、愚かでよい、と思う。
と。
いや、さらに、そういうならば、
人間は、愚かでよい、と思う。
人間は、所詮、100年くらいの寿命の生き物です。
できることは、限られている。
いくら、努めても、過ちを侵さなくなる、ということはない。
なにか、しようと、思うかぎり、年齢に関係なく、過ちを侵すものです。
過ちを侵すことが、悪いのではなく、
過ちすら侵さない、なにも新しいことをしようとしない、
そのことが、悪い、のです。
人間は、いつまでも、無知で、無恥で、無謀で、いいのではないか。
自分が、そうと、わかっていれば。
そして、それにめげずに、
生きている限り、新しいことに、向かって行こう、
という気概の方が、大切ではないか。
恋は、若いものがするもの。
年配になっての恋は、老いらくの恋、などどと、
世迷言のように、言われていた、時代があった。
今は、90代の独身者同士が、老人ホームで出会って、
車椅子同士であったのが、リハビリに励んで、励んで、
車椅子のお世話にならなくなったばかりか、
セックスまで、楽しむことになった、
というレポートまで、ある時代です。
人間は、愚かでよい、
ということが、
こういうことを導くものなら、
真実それは、人間のためによい、考えだと言える。
そんな気がしますが、どうでしょうか。
若いうちは、無知で、無恥で、無謀で、ある。
だから、どんなことにも、真剣に、裸になって、取り組むことができる。
過ちを多く繰り返し、そして成長するのだ。
かえって心配なのは、無難な生を望み、生半可に大人になってしまう、
過ちを侵すことおそれ、冒険をしない、若者である。
これでは、人間は成長しないし、
なにか、大切なことを理解しないし、そして、後の世代にただしく
ものを伝えることすら、できない。。。。
これは、よく、言われることだと、思います。
それならば、と、僕は思うのです。
大人は、愚かでよい、と思う。
と。
いや、さらに、そういうならば、
人間は、愚かでよい、と思う。
人間は、所詮、100年くらいの寿命の生き物です。
できることは、限られている。
いくら、努めても、過ちを侵さなくなる、ということはない。
なにか、しようと、思うかぎり、年齢に関係なく、過ちを侵すものです。
過ちを侵すことが、悪いのではなく、
過ちすら侵さない、なにも新しいことをしようとしない、
そのことが、悪い、のです。
人間は、いつまでも、無知で、無恥で、無謀で、いいのではないか。
自分が、そうと、わかっていれば。
そして、それにめげずに、
生きている限り、新しいことに、向かって行こう、
という気概の方が、大切ではないか。
恋は、若いものがするもの。
年配になっての恋は、老いらくの恋、などどと、
世迷言のように、言われていた、時代があった。
今は、90代の独身者同士が、老人ホームで出会って、
車椅子同士であったのが、リハビリに励んで、励んで、
車椅子のお世話にならなくなったばかりか、
セックスまで、楽しむことになった、
というレポートまで、ある時代です。
人間は、愚かでよい、
ということが、
こういうことを導くものなら、
真実それは、人間のためによい、考えだと言える。
そんな気がしますが、どうでしょうか。







