作家の水上勉さんのお嬢さんは、足が不自由でした。
8歳になったとき、奥さんの骨盤を削って移植する、手術をしました。
手術後、水上夫妻は、麻酔の覚めない、酸素マスクのわが子を、じっと見守っていました。
すると、かすかに、お嬢さんが人の名前を呼んでいます。
「タカちゃん」
それは、母親の名前ではありませんでした。
小さい時から、ずっと付き添って育ててくれたお手伝いさんの、名前です。
水上さんは、ハッとします。
なんて、「愛}というものは厳しいものなんだろう。
親が、我が身を削って骨をやっても、なお及ばないほどの「愛の行為」があったのに違いない。
本当に自分のために、献身的につくし、慈しんでくれた、お手伝いのタカちゃんの「愛」の方が、父にも、母にも増して、こどもには大きな、大切な「愛」であることを知らされた。
それ以来、自分は「愛」という言葉を軽々しく使わないことにした、
と水上さんは、書いています。
ビクトル・ユーゴーは、
「人生最上の幸福は、愛されている、という確信にある」
と言います。
ロマン・ロランは、
「愛は、それが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない」
とも言っています。
人間にとって、愛された、という記憶、が人間を作り、
愛されている、という思いが、幸せの源泉なのですね。
(今泉正顕 キャンドル・サービスから 抜粋・加筆)
8歳になったとき、奥さんの骨盤を削って移植する、手術をしました。
手術後、水上夫妻は、麻酔の覚めない、酸素マスクのわが子を、じっと見守っていました。
すると、かすかに、お嬢さんが人の名前を呼んでいます。
「タカちゃん」
それは、母親の名前ではありませんでした。
小さい時から、ずっと付き添って育ててくれたお手伝いさんの、名前です。
水上さんは、ハッとします。
なんて、「愛}というものは厳しいものなんだろう。
親が、我が身を削って骨をやっても、なお及ばないほどの「愛の行為」があったのに違いない。
本当に自分のために、献身的につくし、慈しんでくれた、お手伝いのタカちゃんの「愛」の方が、父にも、母にも増して、こどもには大きな、大切な「愛」であることを知らされた。
それ以来、自分は「愛」という言葉を軽々しく使わないことにした、
と水上さんは、書いています。
ビクトル・ユーゴーは、
「人生最上の幸福は、愛されている、という確信にある」
と言います。
ロマン・ロランは、
「愛は、それが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない」
とも言っています。
人間にとって、愛された、という記憶、が人間を作り、
愛されている、という思いが、幸せの源泉なのですね。
(今泉正顕 キャンドル・サービスから 抜粋・加筆)
梅雨があければ、夏。
ぐずぐずしていると思っても、あっという間に、夏はやってくる。
夏は、恋の季節、と昔からいいますね。
そう考えるだけで、心の中に、しなやかに動き出すものを感じる。
恋をして、愛に至る、そんな経験を、思い出したり、夢見たり、とても今は良い時期ですね。
「恋をして、何を感じましたか?」
という質問に対してよく却ってくる答えはーーー。
・何か大きな存在の一部になった感覚。
・本当の自分になれたという確かな実感。
・今までにない力と安らぎ。
・いのちの不思議さを知った。
・未知のものを恐れる気持ちが消えた。
・流れるような動きとつながりの実感。
・自分自身とまわりのすべてをはじめて受け入れられた。
・自分のからだや五感が、生き生きとしてくる。
・世界が新鮮な目で見えてきた。
・何かに祝福されているという感じ。
・わが家に帰ったような気持ち。
そのとき、私たちの内なる何かがリラックスしている。
ふだんの心配や思いわずらいはなりをひそめ、私たちは覚醒し、生き生きしてくる。
ありのままでいること、自分自身でいるという体験をする。
恋をすると、より大きな自分が開かれ、私たちはパワフルで生き生きしてくる。
いのちの中心とじかにつながる水路が開かれるのだ。
生き生きしたいのちとのつながりだ。
だからこそ愛はかけがえのないものなのだ。
私たちが愛する人との間でいちばん大切にしているのは、ただ一緒にいるということ。
そして、それは「一緒に」いる、というよりも、一緒に「いる」ということなのだ。
ふたりが、「いる」という存在の、いのちのつながりに開かれ、
自分自身の豊かさを愛するひとと分かち合えるときである。
(ジョン・ウェルウッド 『男女の魂の心理学』 より)
ぐずぐずしていると思っても、あっという間に、夏はやってくる。
夏は、恋の季節、と昔からいいますね。
そう考えるだけで、心の中に、しなやかに動き出すものを感じる。
恋をして、愛に至る、そんな経験を、思い出したり、夢見たり、とても今は良い時期ですね。
「恋をして、何を感じましたか?」
という質問に対してよく却ってくる答えはーーー。
・何か大きな存在の一部になった感覚。
・本当の自分になれたという確かな実感。
・今までにない力と安らぎ。
・いのちの不思議さを知った。
・未知のものを恐れる気持ちが消えた。
・流れるような動きとつながりの実感。
・自分自身とまわりのすべてをはじめて受け入れられた。
・自分のからだや五感が、生き生きとしてくる。
・世界が新鮮な目で見えてきた。
・何かに祝福されているという感じ。
・わが家に帰ったような気持ち。
そのとき、私たちの内なる何かがリラックスしている。
ふだんの心配や思いわずらいはなりをひそめ、私たちは覚醒し、生き生きしてくる。
ありのままでいること、自分自身でいるという体験をする。
恋をすると、より大きな自分が開かれ、私たちはパワフルで生き生きしてくる。
いのちの中心とじかにつながる水路が開かれるのだ。
生き生きしたいのちとのつながりだ。
だからこそ愛はかけがえのないものなのだ。
私たちが愛する人との間でいちばん大切にしているのは、ただ一緒にいるということ。
そして、それは「一緒に」いる、というよりも、一緒に「いる」ということなのだ。
ふたりが、「いる」という存在の、いのちのつながりに開かれ、
自分自身の豊かさを愛するひとと分かち合えるときである。
(ジョン・ウェルウッド 『男女の魂の心理学』 より)
小倉千加子の「結婚の条件」を読んで、僕も、考えた。
少子化が進んでいます。
原因は、晩婚化と、非婚が、増えているからです。
また、結婚しても出産率が低下しているからです。
政府もいろいろ手を打っているつもりでも、どこに目をつけているやら。
働きながら、子育てしやすい環境をつくる、とか。
保育園を増やそう、とか、育児手当をよくしようとか、、、
少子化を止めるには、役にたたないでしょう。
それは、すでに、子供を持とう、あるいは持っている人を援助する
だけの手段ですから。
それを見て、子育てしやすくなったから、結婚しよう、という人は
いない。
結婚する人たちの多くは、子供をもちたい、と思うひとたちでしょう。
なかには、生涯、夫婦ふたりで、というカップルもいるかもしれない
けれど、少子化に影響するほどの数ではない。
少子化に歯止めをかけるには、
若い年代の結婚を増やすこと、
非婚で子持ちが可能になること、
中絶を厳しくすること、
この3つの手段しか、ないでしょう。
少子化は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの殆どの国で起こっている現象です。
少子化に歯止めがかかった国、といえば、
イギリス、フランス、北欧諸国、そしてアメリカ。
それぞれの国を支える社会意識のパラダイムを変えることに成功した国、なのでしょう。
たとえば、結婚という形はとらない非婚のままで、カップルは正式に共同生活を送り、
子育てをする。
あるいは、シングル・マザー、シングル・ファザーを援助する社会的仕組みを作り上げた。
さて、日本では。
上にあげた手段のもっとも効果のあがるであろう、1番目の、
若い年代の結婚を増やすこと。
これは、ますます、絶望的になってきている、ように思えます。
80年代以降、フェミニズムが猛烈に日本の女性たちの間に席捲した。
見合い結婚などとんでもない、現代女性のメンツにかかわる。
結婚は、自由な出会いから生まれる、恋愛結婚。
しかしまた、恋愛と結婚は、ちがう、とも言う。
恋愛相手にもとめる資質と、結婚相手にもとめる資質は、違う。
前者には、ルックス・楽しい会話、、、後者には経済力。
好きになってっも、経済力がなければ、結婚しない、のである。
高度成長時代後の世代は、「苦労したこともないし、したくもない」のだ。
これに輪をかけて、フェミニズムの影響で、
経済力もあって、しかも、家事の協力もしてくれる男性、が理想なのである。
結婚しないのは、したくないのではない、すごく結婚したいのである。
ただ、自分あった適当なひとに、巡り合わない、だけだ。
自分にあった人。
尊敬できる人がいい。
尊敬とは、歴史上の大人物のような人ではなく、
新聞を読んでいて分からないことがあれば、なんでも答えてくれる人。
言うならば、高学歴の人。
夢のある人がいい。
会社を辞めて退職金で信州にペンションを建て、こころの触れ合いを求めるような夢ではなく、
安易に離職など決してしな、どこまでも出世競争を勝ち抜く「勝ち組」の男、
やさしい人がいい。
借金を頼まれた気の毒な友人にお金を貸すやさしさではなく、家族のことを考えて
友人にはお金を貸さないで、妻の生活を保証してくれるやさしさなのだ。
もう、徹底的に、自分は苦労したくない、贅沢と安楽に慣れた、ミーイズム。
自分に適当な人に出会わなければ、結婚しない、しなくてもいい。
これが、フェミニズムの行き着いたところ。
そして、時代は悪化して。
格差社会の到来。
もう経済力を持たない、将来も見込みのつかない、若者がどっと現れた。
経済力のない男とは、好きになっても、結婚しない、という考えは改まらない。
ますます、強まる。
そして、晩婚化、が心配されるどころか、非婚化が、どんどん増えていくのではないだろうか。
非婚、というより否婚である。
どうすれば、貧く始めても、手を取り合い、苦労をともにして、生活を築きあげていこう、
人生を豊かにしていこう、という精神がよみがえるのか。
愛は、失われた、のか。
フェミニズムが、男をおとしめ、
女自らをも、おとしめ、
愛を殺したのか。
とにかく、若い人は、大変だ。
そして、今、30代、40代の人たちも、晩婚化が地すべりで非婚につながって、
50代以降も独身・単身が続くおそれが高くなり、大変だ。
もういちど、自分を振り返り、苦労すること、苦労を通して得られるものの価値、
そうしたものを考えてみる必要があるのではないか。
もっとも、それを苦労と思うこと自体が、愛の堕落なのだと感じるのだが。
とにかく、つまらない世の中を、つまらなく送りたくない。
と、自分ながらに、思った一日でした。

少子化が進んでいます。
原因は、晩婚化と、非婚が、増えているからです。
また、結婚しても出産率が低下しているからです。
政府もいろいろ手を打っているつもりでも、どこに目をつけているやら。
働きながら、子育てしやすい環境をつくる、とか。
保育園を増やそう、とか、育児手当をよくしようとか、、、
少子化を止めるには、役にたたないでしょう。
それは、すでに、子供を持とう、あるいは持っている人を援助する
だけの手段ですから。
それを見て、子育てしやすくなったから、結婚しよう、という人は
いない。
結婚する人たちの多くは、子供をもちたい、と思うひとたちでしょう。
なかには、生涯、夫婦ふたりで、というカップルもいるかもしれない
けれど、少子化に影響するほどの数ではない。
少子化に歯止めをかけるには、
若い年代の結婚を増やすこと、
非婚で子持ちが可能になること、
中絶を厳しくすること、
この3つの手段しか、ないでしょう。
少子化は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの殆どの国で起こっている現象です。
少子化に歯止めがかかった国、といえば、
イギリス、フランス、北欧諸国、そしてアメリカ。
それぞれの国を支える社会意識のパラダイムを変えることに成功した国、なのでしょう。
たとえば、結婚という形はとらない非婚のままで、カップルは正式に共同生活を送り、
子育てをする。
あるいは、シングル・マザー、シングル・ファザーを援助する社会的仕組みを作り上げた。
さて、日本では。
上にあげた手段のもっとも効果のあがるであろう、1番目の、
若い年代の結婚を増やすこと。
これは、ますます、絶望的になってきている、ように思えます。
80年代以降、フェミニズムが猛烈に日本の女性たちの間に席捲した。
見合い結婚などとんでもない、現代女性のメンツにかかわる。
結婚は、自由な出会いから生まれる、恋愛結婚。
しかしまた、恋愛と結婚は、ちがう、とも言う。
恋愛相手にもとめる資質と、結婚相手にもとめる資質は、違う。
前者には、ルックス・楽しい会話、、、後者には経済力。
好きになってっも、経済力がなければ、結婚しない、のである。
高度成長時代後の世代は、「苦労したこともないし、したくもない」のだ。
これに輪をかけて、フェミニズムの影響で、
経済力もあって、しかも、家事の協力もしてくれる男性、が理想なのである。
結婚しないのは、したくないのではない、すごく結婚したいのである。
ただ、自分あった適当なひとに、巡り合わない、だけだ。
自分にあった人。
尊敬できる人がいい。
尊敬とは、歴史上の大人物のような人ではなく、
新聞を読んでいて分からないことがあれば、なんでも答えてくれる人。
言うならば、高学歴の人。
夢のある人がいい。
会社を辞めて退職金で信州にペンションを建て、こころの触れ合いを求めるような夢ではなく、
安易に離職など決してしな、どこまでも出世競争を勝ち抜く「勝ち組」の男、
やさしい人がいい。
借金を頼まれた気の毒な友人にお金を貸すやさしさではなく、家族のことを考えて
友人にはお金を貸さないで、妻の生活を保証してくれるやさしさなのだ。
もう、徹底的に、自分は苦労したくない、贅沢と安楽に慣れた、ミーイズム。
自分に適当な人に出会わなければ、結婚しない、しなくてもいい。
これが、フェミニズムの行き着いたところ。
そして、時代は悪化して。
格差社会の到来。
もう経済力を持たない、将来も見込みのつかない、若者がどっと現れた。
経済力のない男とは、好きになっても、結婚しない、という考えは改まらない。
ますます、強まる。
そして、晩婚化、が心配されるどころか、非婚化が、どんどん増えていくのではないだろうか。
非婚、というより否婚である。
どうすれば、貧く始めても、手を取り合い、苦労をともにして、生活を築きあげていこう、
人生を豊かにしていこう、という精神がよみがえるのか。
愛は、失われた、のか。
フェミニズムが、男をおとしめ、
女自らをも、おとしめ、
愛を殺したのか。
とにかく、若い人は、大変だ。
そして、今、30代、40代の人たちも、晩婚化が地すべりで非婚につながって、
50代以降も独身・単身が続くおそれが高くなり、大変だ。
もういちど、自分を振り返り、苦労すること、苦労を通して得られるものの価値、
そうしたものを考えてみる必要があるのではないか。
もっとも、それを苦労と思うこと自体が、愛の堕落なのだと感じるのだが。
とにかく、つまらない世の中を、つまらなく送りたくない。
と、自分ながらに、思った一日でした。
こころは知・情・意からなり、行動をもたらします。
それでは、こころの中心、こころのエネルギーは何でしょう。
それは、情、ではないでしょうか。
感情が、行動をうながす、基準となります。
知が働かなくても人は行動します。
意のないところでも行動は起きます。
しかし、行動あるところ、必ず情は動いています。
この情は、また、やっかいなことに、一番干からび易いものではないでしょうか。
人は、初心を忘れやすいものです。
あの、うきうきした、新鮮な感情も、冷めてしまうのです。
こども心も、年齢とともに、失われていってしまいます。
美しいもの、善きものに触れて、すなおに感動することが、少なくなっていきます。
それは、こころのエネルギーが、減っていくことと同じではないでしょうか。
人は、情に、絶えず、水をやり、太陽の陽をあて、土を豊かに保たねばなりません。
ということで、「古今和歌集」です。
(たまたま、今勉強しているー日本の古典ーというテキストに、
「古今和歌集は、四季の歌が季節の推移を追って配列されているように、
巻11から巻15までの5巻をあてられれた 恋歌 も、恋の始まりから
終わりまでの種々の相をたどるように歌が並べられている、、、」
という文章にであって、いま一度、手に取ってみたのです。)
それぞれも巻から、1首。
恋歌1 469 :
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
よみ人しらず
(時鳥が鳴く五月に咲きほこるあやめ草、そのあやめではないが、
この世の筋道(あやめ)もわからなくなるような恋に、焦がれている私)
恋歌2 552 :
おもいつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
小野小町
(いちずに思いながら寝たので、あの方が夢にあらわれてくださった
のであろうか。もし夢とわかっていたなら、目を覚まさないでいたのに)
恋歌3 616 :
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ
業平朝臣
(あなたのことを思い、昨夜は起きているでもなし、寝るでもなし、
というありさまで夜を明かしましたが、今日も一日、春の長雨に
降りこめられて、もの思いに沈んだまま、暮らし、夜になりました)
恋歌4 729 :
色もなき 心を人に そめしより うつろはむとは 思ほえなくに
貫之
(本来何の色もないわたしの心を、あなた、という色で染めた時以来、
その色がさめようなどとは、思えないのだけれど・・・あなたの心変わり
さえなければ)
恋歌5 747 :
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
在原業平朝臣
(この月は、去年の月とちがうのだろうか。今年の春は、去年の春と
同じではないのだろうか。月も春もいっこうに変わりはないけれど、この邸は、
すっかり荒れ果ててしまっている。ただわたしだけが、もとのままで、
ここにやって来た)
和歌や、俳句、読むだけでなく、自分で作りたい。
それが、こころに(情)、水やりをし、たがやしつづけることに、つながる、思う。
それでは、こころの中心、こころのエネルギーは何でしょう。
それは、情、ではないでしょうか。
感情が、行動をうながす、基準となります。
知が働かなくても人は行動します。
意のないところでも行動は起きます。
しかし、行動あるところ、必ず情は動いています。
この情は、また、やっかいなことに、一番干からび易いものではないでしょうか。
人は、初心を忘れやすいものです。
あの、うきうきした、新鮮な感情も、冷めてしまうのです。
こども心も、年齢とともに、失われていってしまいます。
美しいもの、善きものに触れて、すなおに感動することが、少なくなっていきます。
それは、こころのエネルギーが、減っていくことと同じではないでしょうか。
人は、情に、絶えず、水をやり、太陽の陽をあて、土を豊かに保たねばなりません。
ということで、「古今和歌集」です。
(たまたま、今勉強しているー日本の古典ーというテキストに、
「古今和歌集は、四季の歌が季節の推移を追って配列されているように、
巻11から巻15までの5巻をあてられれた 恋歌 も、恋の始まりから
終わりまでの種々の相をたどるように歌が並べられている、、、」
という文章にであって、いま一度、手に取ってみたのです。)
それぞれも巻から、1首。
恋歌1 469 :
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
よみ人しらず
(時鳥が鳴く五月に咲きほこるあやめ草、そのあやめではないが、
この世の筋道(あやめ)もわからなくなるような恋に、焦がれている私)
恋歌2 552 :
おもいつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
小野小町
(いちずに思いながら寝たので、あの方が夢にあらわれてくださった
のであろうか。もし夢とわかっていたなら、目を覚まさないでいたのに)
恋歌3 616 :
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ
業平朝臣
(あなたのことを思い、昨夜は起きているでもなし、寝るでもなし、
というありさまで夜を明かしましたが、今日も一日、春の長雨に
降りこめられて、もの思いに沈んだまま、暮らし、夜になりました)
恋歌4 729 :
色もなき 心を人に そめしより うつろはむとは 思ほえなくに
貫之
(本来何の色もないわたしの心を、あなた、という色で染めた時以来、
その色がさめようなどとは、思えないのだけれど・・・あなたの心変わり
さえなければ)
恋歌5 747 :
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
在原業平朝臣
(この月は、去年の月とちがうのだろうか。今年の春は、去年の春と
同じではないのだろうか。月も春もいっこうに変わりはないけれど、この邸は、
すっかり荒れ果ててしまっている。ただわたしだけが、もとのままで、
ここにやって来た)
和歌や、俳句、読むだけでなく、自分で作りたい。
それが、こころに(情)、水やりをし、たがやしつづけることに、つながる、思う。
わたし達は幸福にならなければならない、
なぜならば、
わたし達は限られた生命を生きているから。
わたし達には愛がなければならない、
なぜならば、
わたし達はひとりでは生きられないから。
わたし達は、いま、この限りある人生の途上で、さまざまな困難にぶつかりながら、悲しみ、苦しみ、涙を流し、それでも、崩れ落ちそうになる気持ちを、今一度立て直して、なんとかしっかり生きて行こう、としています。
それは、わたし達に、この人生を大切に思い、人生の歓びを極めたいという願いがあり、この世のどこかで待っているはずの「愛」からの呼びかけが、こころの奥底に響き続けているから、ではないでしょうか。
わたしは、こうした、懸命に生きていこう、よりよい明日のために、今日一日を一歩前進しよう、としている人々と、この人生のひとときを、ささやかながらも、共有できれば、と思い、このブログを始めます。
特に、いま、愛ある生活を真剣に求めているひとと、共感したり、感動したり、励まし合ったり、そういう交流が出来れば、幸いです。
なぜならば、
わたし達は限られた生命を生きているから。
わたし達には愛がなければならない、
なぜならば、
わたし達はひとりでは生きられないから。
わたし達は、いま、この限りある人生の途上で、さまざまな困難にぶつかりながら、悲しみ、苦しみ、涙を流し、それでも、崩れ落ちそうになる気持ちを、今一度立て直して、なんとかしっかり生きて行こう、としています。
それは、わたし達に、この人生を大切に思い、人生の歓びを極めたいという願いがあり、この世のどこかで待っているはずの「愛」からの呼びかけが、こころの奥底に響き続けているから、ではないでしょうか。
わたしは、こうした、懸命に生きていこう、よりよい明日のために、今日一日を一歩前進しよう、としている人々と、この人生のひとときを、ささやかながらも、共有できれば、と思い、このブログを始めます。
特に、いま、愛ある生活を真剣に求めているひとと、共感したり、感動したり、励まし合ったり、そういう交流が出来れば、幸いです。







