ユイのことは、どちら側にしろ、傷つけたり、傷ついたりするのは嫌だったので、
深みにはまる前に離れていこう、と思っていた。
それで、バス停で見送ったとき、その自然な別れが来た、と思った。
いつもは地下鉄で帰るユイが、その日は、バス停の前で、
ちょっと放心したように動かなくなり、
やがてやってきたバスに乗りこんだのだった。
僕は、言葉を話せないほうが、都合のいい時もあるんだ、ということを知った。
それは、こんな別れの時だ。
バスに乗り込んだユイは、すぐに見えなくなった。
そして、バスは、カラフルな街を、去っていった。
夜の12時を過ぎてから、僕の携帯が泣いた。
メール着信の合図だ。
ユイからのメールだった。
自分は、ひとりで、なにもかもやってきた。
友達もいなくても、平気だった。
とにかく、人に頼らず、自立することで、精一杯。
だから、どうしていいか、分からないの。
あなたと、どうすればいいのか、分からないの。
僕は、寝た子が起こされる思いをしながら、かなり、驚いていた。
意外、だった。
結婚の約束の無い男とみだらなことはしてはいけない、という話は、僕は良く分かったよ。
日本も以前はそうだったし、タイにはまだその考えがより強く残っているのだろうし、
親は当然、子に望むことだろう、と思う。
しかし、一方で、良く相手を知らずに、結婚をしてはいけない、という考えがある。
そして、良く相手を知るには、相手と深く付き合う必要がある。
表面だけでは、人間は、到底理解できないからね。
わたし、決心した。
あなたと、ホアヒンに行くとき、一緒の部屋に泊まっても良いわ。
そう、しようと、思う。
僕は、本心、話が自分の望まないほうへ、展開していくのに、あせった。
わかった。
ユイがよくよく考えたのもわかった。
それが、第一歩かもしれない。
もう、一日、置いて、冷静になってから、また話してみよう。
携帯のメールが、何度か、行き交い、こういう話になったのは、もう、1時を過ぎていた。
僕は、ユイとは、良い人間関係のままで、居たかった。
男女の関係になることを、強く望んだことは無かった。
結婚の可能性の対象としても、見ていなかった。
それで、ホアヒン行きも、こちらから避けようとしたのだ。
それが今、ユイの方から、変化のきっかけを切ろう、としている。
それこそ、結婚の対象になるかどうかは、深く付き合ってみなくちゃ、分からないだろう。
という、自分で言った言葉に、足をすくわれようとしているのか。
困った。
外は深夜。
だが、まだ、車は絶え間なく、走っている。
ふと、ユイの、小さくやわらかそうな唇が、目の前に浮んできた。
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深みにはまる前に離れていこう、と思っていた。
それで、バス停で見送ったとき、その自然な別れが来た、と思った。
いつもは地下鉄で帰るユイが、その日は、バス停の前で、
ちょっと放心したように動かなくなり、
やがてやってきたバスに乗りこんだのだった。
僕は、言葉を話せないほうが、都合のいい時もあるんだ、ということを知った。
それは、こんな別れの時だ。
バスに乗り込んだユイは、すぐに見えなくなった。
そして、バスは、カラフルな街を、去っていった。
夜の12時を過ぎてから、僕の携帯が泣いた。
メール着信の合図だ。
ユイからのメールだった。
自分は、ひとりで、なにもかもやってきた。
友達もいなくても、平気だった。
とにかく、人に頼らず、自立することで、精一杯。
だから、どうしていいか、分からないの。
あなたと、どうすればいいのか、分からないの。
僕は、寝た子が起こされる思いをしながら、かなり、驚いていた。
意外、だった。
結婚の約束の無い男とみだらなことはしてはいけない、という話は、僕は良く分かったよ。
日本も以前はそうだったし、タイにはまだその考えがより強く残っているのだろうし、
親は当然、子に望むことだろう、と思う。
しかし、一方で、良く相手を知らずに、結婚をしてはいけない、という考えがある。
そして、良く相手を知るには、相手と深く付き合う必要がある。
表面だけでは、人間は、到底理解できないからね。
わたし、決心した。
あなたと、ホアヒンに行くとき、一緒の部屋に泊まっても良いわ。
そう、しようと、思う。
僕は、本心、話が自分の望まないほうへ、展開していくのに、あせった。
わかった。
ユイがよくよく考えたのもわかった。
それが、第一歩かもしれない。
もう、一日、置いて、冷静になってから、また話してみよう。
携帯のメールが、何度か、行き交い、こういう話になったのは、もう、1時を過ぎていた。
僕は、ユイとは、良い人間関係のままで、居たかった。
男女の関係になることを、強く望んだことは無かった。
結婚の可能性の対象としても、見ていなかった。
それで、ホアヒン行きも、こちらから避けようとしたのだ。
それが今、ユイの方から、変化のきっかけを切ろう、としている。
それこそ、結婚の対象になるかどうかは、深く付き合ってみなくちゃ、分からないだろう。
という、自分で言った言葉に、足をすくわれようとしているのか。
困った。
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今日(10月3日)の夕方から、ウドン・ターニーに行ってきます。
突然、決めました。
ビエンチャン・ビザ旅行の帰りに寄った町で、なぜか居心地がよかったように思えたのです。
その確認に行ってきます。
ブログの更新が、なんにちか、出来なくなると思います。
このごろ、アクセス数も増え、ブログ・ランキングも過去最高位の24位までになって、喜んでいます。
ちょっと、小休止になるのは残念ですが・・・。
下記の本を携えながら、行ってきます。
.jpg)
この本のユニークなセリング・ポイントとして、16ページに次のように書かれています。
翻訳してみます。
毎年、何百万もの男女が、西洋から、何かを満たすために、タイにやってくる。
多くは、手ひどい離婚の傷を負っていて、タイこそ、新たなスタートを切る最上の場所だ、との思いでやってくるのだ。
東南アジアの異文化研究家のリザは、言う。
「私は世界の54カ国を旅行し、その半数以上の国で生活してきた。
そして私が思うには、タイ女性が、世界でもっとも可愛らしく、女らしい、ということだ。
私はタイ女性が最も「美しい」と言う言葉は使わないが、彼女たちが見つめることに快く、もっとも女らしい、ということは確かだ。
もっとも楽しいのは、フィリッピーナだろう、それは彼女たちのユーモアと遊び上手なせいだ。
しかし、タイ女性が、最も「女らしい」のである。
タイは、退職者が、こころから生活を楽しめる最上の場所のひとつである。
ドルでより多くのものが買えるばかりでなく、買いたいものがより多く存在するのだ。
タイ人は、世界で最も親切でやさしい人たち、の一種である。
西洋では、人間関係が標準的に同一化されていく傾向にあるが、東南アジアでは、おのおのの望みに応じて人間関係のとり得る形式は無限である。
そして、男性の年齢は、なんら制限要因ではなく、老年男子が若い女性と一緒になることを、悪評されることなく、楽しむことができるのである。
もしも、男性がかなりの年寄りでも、また身体的に難があっても、タイ女性の観点からすると、それは主要な問題ではない。
彼女にとって最大の関心事は、彼が、経済的に彼女や彼女の家族をサポートすることが出来るか、その意思があるかどうか、なのである。
もしその彼が、優しい男性だったり、外見的にも魅力があったとすれば、まぁ、喜ばしいプラスではある。
しかし、とにかく十分な金が無ければ、事は始まらない、のである。
この本のスタンスが、明確、シンプルに、述べられている文章です。
恋愛を、事業と考えて良い。
市場経済の原理で、求めるものと提供するものがいて、市場が成り立つ。
双方、幸福が得られるのが、経済である。
偽善的にも、偽悪的にも、なる必要はないのである。
内面的に得たもの、外面的に得たもの、それぞれ全てがその人の価値である。
その価値を取引して、お互いの幸福を増加させる、それが出来れば良し、なのである。
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毎年、何百万もの男女が、西洋から、何かを満たすために、タイにやってくる。
多くは、手ひどい離婚の傷を負っていて、タイこそ、新たなスタートを切る最上の場所だ、との思いでやってくるのだ。
東南アジアの異文化研究家のリザは、言う。
「私は世界の54カ国を旅行し、その半数以上の国で生活してきた。
そして私が思うには、タイ女性が、世界でもっとも可愛らしく、女らしい、ということだ。
私はタイ女性が最も「美しい」と言う言葉は使わないが、彼女たちが見つめることに快く、もっとも女らしい、ということは確かだ。
もっとも楽しいのは、フィリッピーナだろう、それは彼女たちのユーモアと遊び上手なせいだ。
しかし、タイ女性が、最も「女らしい」のである。
タイは、退職者が、こころから生活を楽しめる最上の場所のひとつである。
ドルでより多くのものが買えるばかりでなく、買いたいものがより多く存在するのだ。
タイ人は、世界で最も親切でやさしい人たち、の一種である。
西洋では、人間関係が標準的に同一化されていく傾向にあるが、東南アジアでは、おのおのの望みに応じて人間関係のとり得る形式は無限である。
そして、男性の年齢は、なんら制限要因ではなく、老年男子が若い女性と一緒になることを、悪評されることなく、楽しむことができるのである。
もしも、男性がかなりの年寄りでも、また身体的に難があっても、タイ女性の観点からすると、それは主要な問題ではない。
彼女にとって最大の関心事は、彼が、経済的に彼女や彼女の家族をサポートすることが出来るか、その意思があるかどうか、なのである。
もしその彼が、優しい男性だったり、外見的にも魅力があったとすれば、まぁ、喜ばしいプラスではある。
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ラチャダーに戻って、MKで昼食をとったあと、どうしようかと思っていた。
が、ヌイは、その日、僕にタイ語を教えようと、考えていたようだった。
MKレストランを出て、どこか、静かに話せるところ?
喫茶店はどうか、、、スターバックとか、、、
そのうちに、エスプラナーデの3階に、フリースペースでテーブルと椅子が置いてある場所を思い出した。
10個ほどのテーブルがあり、床から電源も取れるようになっていて、よくパソコンを持ってきて、勉強したり、インターネットをやったりしている人がいる、場所だ。
そこに行こう、と決めた。
ユイは、自分が勉強している英語のテキストと、タイー英辞書をもってきていた。
僕は、ユイがタイ語を教えようと考えていたことを知らなかったので、なにも持っていなかった。
それで、自然に、ユイの英語のテキストを見ながら、話をすることになった。
発音が大事、という話から始まる。
気が付くと、母音と子音の発音の表記が、僕が持っている日本語で書かれたタイ語テキストとは違っていて(当然ですが)、面白いと思った。
例えば、タイ語には、英語で言う V の文字、発音がない。
いわゆる、下唇を噛んでヴィ、と発音すると言われるヤツ。
V に近いタイ語はWである。
だから、Visit はヴィジットではなくウィジットになる。
辞書も、発音記号での表記ではなく、タイ語で発音を表記していると、このようになる。
はは〜ん、タイ語を勉強するテキストも、英語のスピーカー用に書かれたものは、いろんな点で、日本語で書かれたタイ語テキストと違った面白い発見があるかもしれない、と思った。
それとは別に、
タイ人とチャットなどをしていると、時々彼らが、5555、と打ってくることがある。
それなに?
と以前、何回か訊いたことがあったが、答えが返って来なかった。
それが、どうやら、次のような、意味なのだった。
タイ語で数字の5は、Haa(ハー)と発音します。
5555は、ハーハーハーハーと読むわけです。
は は は は。。。笑い、の意味だったのですね〜。
それ、どういう意味?なんて、笑いの場面で訊いていたので、
しらけて誰も答えてくれなかったようです。
そんなこんなで、1時間ばかり、二人で、語学談義をした。
ユイが、僕のために何かしよう、してあげたい、と思ってくれていることが良くわかった。
それは、とても嬉しいことだった。
そろそろ、今日のデートはこれくらいにしようか、と思ったとき、僕は言い出したのです。
この間、ユイが言った、ホアヒンに一緒に行かないか、という話だけど。
僕は、行けない。
行かない、方がいいと思う。
何故?
ユイは、僕を単なるお友達の一人、としてみているだけだ、ということが分かる。
しかし、僕が、一緒に旅行に行こう、と誘われたとすると、それ以上のこと、友達以上の関係になること、と解釈してしまいがちだ。
行ってから、なにかユイの好まない行動に出てしまって、お互いが嫌な思いをする怖れが大きい。
だから、今のままでは、一緒に旅行はしないほうが良い、と思う。
分かった。
結婚を約束しない相手とそういう関係を持つことは、タイの文化では無いの、父も絶対だめだ、と言っているし、がっかりさせたくない。
そうだろう、と思った。
大体、一緒にホアヒンに行こう、と言ったとき、具体的にどこまで考えた?
ホテルに泊まる、とする。
その時、同じ部屋に泊まると、考えたか、別々の部屋に泊まる、と考えたか?
そこまで、考えなかった。
ただ、ホアヒンに行って、友達にあって、一緒に歌をがんがん歌って・・・。
5555。(これは僕の発言)
分かった。
今日、タイ語を勉強しようと、場所を探したときに、すぐ近くにある僕の部屋で勉強しよう、
と決して言わなかったことから、そこまでの気持ちだろう、と想像していたよ。
だから、ホアヒンには、一緒に行かない方がいい、と僕は決めた。
分かった、わ。
そうして、僕はユイをバス停まで、送っていった。
ユイは、力なさそうに、見えた。
昨夜は遅番で、なおかつ残業し、今朝の7時にはぼくに電話をして、8時に待ち合わせ・・・
彼女はほとんど徹夜に近い、状態だったかもしれない。
そんな状態の時に、むち打つようなことを言ってしまったかなぁ、と思った。
ただの友達でいることが、なにが悪いのか。
彼女には、わからないだろう。
ぼくにも、わからない。
しかし、ぼくには、その舵がまだ切れていなかった。
これからは、そう考えていくように、しよう。
バスに乗り込む、ユイの白い足が、とても細く、小さく見えた。
(僕は、ここでユイとの関係は終わった、と思ったのです。
ところが、、このストーリーは、ここで終わりではない、そんなことがその夜のユイからのメールで分かるのでした・・・)
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そこに行こう、と決めた。
ユイは、自分が勉強している英語のテキストと、タイー英辞書をもってきていた。
僕は、ユイがタイ語を教えようと考えていたことを知らなかったので、なにも持っていなかった。
それで、自然に、ユイの英語のテキストを見ながら、話をすることになった。
発音が大事、という話から始まる。
気が付くと、母音と子音の発音の表記が、僕が持っている日本語で書かれたタイ語テキストとは違っていて(当然ですが)、面白いと思った。
例えば、タイ語には、英語で言う V の文字、発音がない。
いわゆる、下唇を噛んでヴィ、と発音すると言われるヤツ。
V に近いタイ語はWである。
だから、Visit はヴィジットではなくウィジットになる。
辞書も、発音記号での表記ではなく、タイ語で発音を表記していると、このようになる。
はは〜ん、タイ語を勉強するテキストも、英語のスピーカー用に書かれたものは、いろんな点で、日本語で書かれたタイ語テキストと違った面白い発見があるかもしれない、と思った。
それとは別に、
タイ人とチャットなどをしていると、時々彼らが、5555、と打ってくることがある。
それなに?
と以前、何回か訊いたことがあったが、答えが返って来なかった。
それが、どうやら、次のような、意味なのだった。
タイ語で数字の5は、Haa(ハー)と発音します。
5555は、ハーハーハーハーと読むわけです。
は は は は。。。笑い、の意味だったのですね〜。
それ、どういう意味?なんて、笑いの場面で訊いていたので、
しらけて誰も答えてくれなかったようです。
そんなこんなで、1時間ばかり、二人で、語学談義をした。
ユイが、僕のために何かしよう、してあげたい、と思ってくれていることが良くわかった。
それは、とても嬉しいことだった。
そろそろ、今日のデートはこれくらいにしようか、と思ったとき、僕は言い出したのです。
この間、ユイが言った、ホアヒンに一緒に行かないか、という話だけど。
僕は、行けない。
行かない、方がいいと思う。
何故?
ユイは、僕を単なるお友達の一人、としてみているだけだ、ということが分かる。
しかし、僕が、一緒に旅行に行こう、と誘われたとすると、それ以上のこと、友達以上の関係になること、と解釈してしまいがちだ。
行ってから、なにかユイの好まない行動に出てしまって、お互いが嫌な思いをする怖れが大きい。
だから、今のままでは、一緒に旅行はしないほうが良い、と思う。
分かった。
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そうだろう、と思った。
大体、一緒にホアヒンに行こう、と言ったとき、具体的にどこまで考えた?
ホテルに泊まる、とする。
その時、同じ部屋に泊まると、考えたか、別々の部屋に泊まる、と考えたか?
そこまで、考えなかった。
ただ、ホアヒンに行って、友達にあって、一緒に歌をがんがん歌って・・・。
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今日、タイ語を勉強しようと、場所を探したときに、すぐ近くにある僕の部屋で勉強しよう、
と決して言わなかったことから、そこまでの気持ちだろう、と想像していたよ。
だから、ホアヒンには、一緒に行かない方がいい、と僕は決めた。
分かった、わ。
そうして、僕はユイをバス停まで、送っていった。
ユイは、力なさそうに、見えた。
昨夜は遅番で、なおかつ残業し、今朝の7時にはぼくに電話をして、8時に待ち合わせ・・・
彼女はほとんど徹夜に近い、状態だったかもしれない。
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ただの友達でいることが、なにが悪いのか。
彼女には、わからないだろう。
ぼくにも、わからない。
しかし、ぼくには、その舵がまだ切れていなかった。
これからは、そう考えていくように、しよう。
バスに乗り込む、ユイの白い足が、とても細く、小さく見えた。
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昨夕から降り始めた雨が、朝になっても、しとしと降り続けていた。
まるで、日本の雨だ。
日本では、今頃の季節に降る雨は、一雨ごとに秋の深さを増していく雨だ。
さすがに、バンコクの雨に、そのようなメリハリは感じられないが、それでも、昨夜は涼しかった。
このしんみりした趣はなんだろう。
昨晩から、
青春というのものはお金といっしょよ。
残り少なくなると、むやみやたらと使いたくなるものよ・・・。
この言葉が誰の言葉だったのか、思い出せなかったが、
この言葉にいたくこころを動かされたのだった。
ワット・プラケオの疲労困憊したお出かけの次の金曜日は、ユイは休みが取れなかった。
他の場所にある同じスーパーの助っ人に出かけなければならない、という。
先週のワット訪問が、決して楽しい終わり方をしていなかったのは、ユイも気にしていた。
それが、失地回復できないまま、1週間が過ぎ、次の金曜日がやってきた。
今度もまた、ワット訪問だ。
友達が、グループで、ラットカバーンのお寺に、サン・カターンをしに行くので、一緒にいくのだ、という。
サン・カターンというのは、まぁ、一種のお布施で、いろいろな日常品を一緒にまとめて、お坊さんにささげるのである。
お坊さんには、お経をあげてもらって、お祓いのようなこともしてもらう。
そのようなことを、ユイは僕に見せたかったのだろうと、思う。
8時に落ち合って、ユイと僕はタクシーで(お〜、今日はバスではないぞ!と喜ぶ)、
友達4人(女性3人に、男性1人)は、自前の車で、お寺の向かった。
お寺で体験したことを、事細かに書けるほど、行ったことを理解しない。
それが、ちょっと残念でもある。
ヌイにとっても、自分の知ってるお寺のやり方と少し違うようで、うまく僕に説明してくれる時間が持てないようだった。
まず通常に、仏像にお参り。
お賽銭が片手いっぱいほどに入れたお皿をもって、仏像に前に置かれたつぼに、入れていく。
その仏像には、関係する「曜日」が決まっているらしく、自分の生まれた曜日の仏像の前のつぼには、9個のお賽銭を入れるようにと、ユイが説明してくれる。
タイ人は、生まれた曜日を大変大事にみなしていて、こういうところにも現れているのだなぁ、と思う。
僕は、自分の誕生「曜日」を知らない。
それで、適当に顔の良い仏像の前で、祈願し、9つのお賽銭を置いた。
いよいよ、別の建物の中で、サン・カターンをし、お経をいただく、儀式を体験。
直径40cmほどの大きなお盆に、ろうそく、その他5種類のもの乗っけるのだが、これがすべて、自分の年齢+2個を乗せなければならない。
これには、閉口した。
自分の年齢を正確に数えていたら、時間もないし、お盆からこぼれてしまう、からだ。
ユイなどは、20数本で済むわけだから、あっと言う間の乗せ終わってしまう。
そして、封筒が渡されて、中に現金のお札を入れ、その表紙に、祈りをささげたい誰かの名前を書く、という作業があった。
祈ってあげたいのは、ユイの幸せだから、君の名前を書いてもいいのか、と訊くと、
馬鹿ね、亡くなってあの世に行ってしまった人の中から選ぶのよ、
と言われた。
なるほど、あの世に往った誰かに祈りを届けようと、それをお坊さんに頼もうとしているんだ、
ということが分かった。
捧げ物を積んだお盆と、他に別途サン・カターンの供物を持って来ているひとは、それも一緒に、お坊さんに差し出します。
実際には、寺男のようなアシスタントが、どんどん奥の部屋に運んでいってしまう。
そして、お経をあげてもらいます。
唱和するところは、タイ人は、みんなお経を諳んじていました。
10人位づつのグループで、お坊さんとの時間をもつのですが、このグループ全員が、床に仰向けに寝転んで、その身体全体を大きな白いシーツで被いかぶせてしまいます。
その下になって、感じたことは、お棺の中に入ったような、あの世と一番近いところに来たような、そんな感じがしたのは、きっと雰囲気に乗って調子がでていたのでしょう。
メーンの儀式が終わって、また別の建物に入り、祈願をして、おみくじを引く。
ろうそくを立て、お花を供え、そのあとで、小さな紙に挟まれて渡される「金箔」を仏像に貼り付けます。これが、ひとり、2、3枚づつ、貼り付ける。
ところが、おみくじが、あまり良い運でなかった場合、どうするか。
おみくじの紙自体を、お寺に返却してしまうと同時に、もうひとつ、きんきらになっている仏像から、金箔を剥ぎ取って、自分の身体の塗りつける、のです。
どうやら、僕のおみくじの卦は、ひどいものだったらしく、ユイは思いっきり仏像から金箔をそぎ落としして、僕の手に、こすりつけました。
しばらく、洗わないで、置くといい。
だから、今、ぼくの手の甲には、金箔が張り付いています。
.jpg)
思いのほか、簡単には取れないのです・・・
お昼まで、そのお寺で過ごした。
ヌイと僕は、お寺で、彼女の友人たちと別れ、ずっと寺内で待っていたタクシーの乗って、ラチャダーに戻ってきました。
今日は、珍しい体験もし、疲れもなかった。
昼食を食べている間も、ユイは、満足そうだった。
このあと、僕は、ユイが2週間前に語った、
10月に3日間の連休をとるからホアヒンに一緒にいかない?
と言った件に触れることになるのだが・・・。
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まるで、日本の雨だ。
日本では、今頃の季節に降る雨は、一雨ごとに秋の深さを増していく雨だ。
さすがに、バンコクの雨に、そのようなメリハリは感じられないが、それでも、昨夜は涼しかった。
このしんみりした趣はなんだろう。
昨晩から、
青春というのものはお金といっしょよ。
残り少なくなると、むやみやたらと使いたくなるものよ・・・。
この言葉が誰の言葉だったのか、思い出せなかったが、
この言葉にいたくこころを動かされたのだった。
ワット・プラケオの疲労困憊したお出かけの次の金曜日は、ユイは休みが取れなかった。
他の場所にある同じスーパーの助っ人に出かけなければならない、という。
先週のワット訪問が、決して楽しい終わり方をしていなかったのは、ユイも気にしていた。
それが、失地回復できないまま、1週間が過ぎ、次の金曜日がやってきた。
今度もまた、ワット訪問だ。
友達が、グループで、ラットカバーンのお寺に、サン・カターンをしに行くので、一緒にいくのだ、という。
サン・カターンというのは、まぁ、一種のお布施で、いろいろな日常品を一緒にまとめて、お坊さんにささげるのである。
お坊さんには、お経をあげてもらって、お祓いのようなこともしてもらう。
そのようなことを、ユイは僕に見せたかったのだろうと、思う。
8時に落ち合って、ユイと僕はタクシーで(お〜、今日はバスではないぞ!と喜ぶ)、
友達4人(女性3人に、男性1人)は、自前の車で、お寺の向かった。
お寺で体験したことを、事細かに書けるほど、行ったことを理解しない。
それが、ちょっと残念でもある。
ヌイにとっても、自分の知ってるお寺のやり方と少し違うようで、うまく僕に説明してくれる時間が持てないようだった。
まず通常に、仏像にお参り。
お賽銭が片手いっぱいほどに入れたお皿をもって、仏像に前に置かれたつぼに、入れていく。
その仏像には、関係する「曜日」が決まっているらしく、自分の生まれた曜日の仏像の前のつぼには、9個のお賽銭を入れるようにと、ユイが説明してくれる。
タイ人は、生まれた曜日を大変大事にみなしていて、こういうところにも現れているのだなぁ、と思う。
僕は、自分の誕生「曜日」を知らない。
それで、適当に顔の良い仏像の前で、祈願し、9つのお賽銭を置いた。
いよいよ、別の建物の中で、サン・カターンをし、お経をいただく、儀式を体験。
直径40cmほどの大きなお盆に、ろうそく、その他5種類のもの乗っけるのだが、これがすべて、自分の年齢+2個を乗せなければならない。
これには、閉口した。
自分の年齢を正確に数えていたら、時間もないし、お盆からこぼれてしまう、からだ。
ユイなどは、20数本で済むわけだから、あっと言う間の乗せ終わってしまう。
そして、封筒が渡されて、中に現金のお札を入れ、その表紙に、祈りをささげたい誰かの名前を書く、という作業があった。
祈ってあげたいのは、ユイの幸せだから、君の名前を書いてもいいのか、と訊くと、
馬鹿ね、亡くなってあの世に行ってしまった人の中から選ぶのよ、
と言われた。
なるほど、あの世に往った誰かに祈りを届けようと、それをお坊さんに頼もうとしているんだ、
ということが分かった。
捧げ物を積んだお盆と、他に別途サン・カターンの供物を持って来ているひとは、それも一緒に、お坊さんに差し出します。
実際には、寺男のようなアシスタントが、どんどん奥の部屋に運んでいってしまう。
そして、お経をあげてもらいます。
唱和するところは、タイ人は、みんなお経を諳んじていました。
10人位づつのグループで、お坊さんとの時間をもつのですが、このグループ全員が、床に仰向けに寝転んで、その身体全体を大きな白いシーツで被いかぶせてしまいます。
その下になって、感じたことは、お棺の中に入ったような、あの世と一番近いところに来たような、そんな感じがしたのは、きっと雰囲気に乗って調子がでていたのでしょう。
メーンの儀式が終わって、また別の建物に入り、祈願をして、おみくじを引く。
ろうそくを立て、お花を供え、そのあとで、小さな紙に挟まれて渡される「金箔」を仏像に貼り付けます。これが、ひとり、2、3枚づつ、貼り付ける。
ところが、おみくじが、あまり良い運でなかった場合、どうするか。
おみくじの紙自体を、お寺に返却してしまうと同時に、もうひとつ、きんきらになっている仏像から、金箔を剥ぎ取って、自分の身体の塗りつける、のです。
どうやら、僕のおみくじの卦は、ひどいものだったらしく、ユイは思いっきり仏像から金箔をそぎ落としして、僕の手に、こすりつけました。
しばらく、洗わないで、置くといい。
だから、今、ぼくの手の甲には、金箔が張り付いています。
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思いのほか、簡単には取れないのです・・・
お昼まで、そのお寺で過ごした。
ヌイと僕は、お寺で、彼女の友人たちと別れ、ずっと寺内で待っていたタクシーの乗って、ラチャダーに戻ってきました。
今日は、珍しい体験もし、疲れもなかった。
昼食を食べている間も、ユイは、満足そうだった。
このあと、僕は、ユイが2週間前に語った、
10月に3日間の連休をとるからホアヒンに一緒にいかない?
と言った件に触れることになるのだが・・・。
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アントレプレナーって、言いにくくて、キザで嫌いな言葉なんですが、意味はとてもいいものです。
リスクあるなか、創造力と勇気をもって、新しい領域を拓き、事を起こして行く事業家、ということでしょうか。
「自由市場経済が席捲する現代、タイでは、恋愛も、需要と供給の原理が適用されるでしょう。
多くの貧困家庭出身の、美しく聡明なタイ娘が、外国人と結婚することをビジネスとしている、という現象は、もはやファッションなのです。
タイでは、恋愛は、稼ぐものなのです。
だから、あなたが、自分の能力とパートナーへの約束を示す前に、相手の愛を求めては、ならないのです。
しかし、この恋愛事業は、なにも貧しいイサーンのタイ娘が貧困から抜け出すためだけではなく、
何百というお気楽な白人の先生たちが、お金持ちの寂しいタイ女性と結婚しようと企んでいるという、双方に有効なのです
(白人で、英語を教えながら世界をふらついている人種をすこし揶揄している、ようです・・・) 」
というような、書き出しで始まる本を、今日、紀伊国屋書店で買ってきました。
著者の故郷のアメリカの町では、2004年に、49組の結婚があって、32組の離婚があった。
70%、3組に2組が、離婚する、という時代です。
タイ人とのクロス・カルチュラルな結婚の方が、はるかにいい結果を生むのではないか。
先進国でみられる”自由になった女性”と毎日諍う、男女平等、競合社会よりも、古い役割社会、男は供給するもの、女は受容し支えるもの、という社会は、まちがった選択肢ではないはずだ。
むしろ私には、好もしい社会だ。
と言っています。
少なくても、率直な眼で、タイの現実の恋愛事情の1面を明らかにしている本のように思われます。
この本を読みながら、発見したことの感想を、おいおい書いていきたいと、思います。
「Finding Love Online」という章は、インターネットで恋人を探すことを取り扱っています。
いまでは、5人のシングルのうち、一人はかならずオンライン・ネットで恋人をさがしている、時代だそうです。
僕も、タイ・ラブ・リンクスで、同じことをトライしているわけですが・・・。
何が書いてあるか、楽しみです。
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